flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

鴨川ほとり

2006-04-15 00:00:35 | かみのやしろ
 叡山線出町柳駅から高野川を渡り、下鴨神社方面へと向かう。
世界文化遺産に指定された下鴨神社こと賀茂御祖(かもみおや)神社と糺(ただす)の森。
この森は、高野川と鴨川の合流付近に形成された、三角州である。
御祖神社は賀茂別雷(上賀茂)神社と同じく、賀茂建角身命(カモタケツミノミコト)と、玉依媛命を祀り、山城国一宮とされた時期もある。
境内の建造物31棟は、国宝、重要文化財に指定されている。

 賀茂川を渡り、鴨川と高瀬川の間を下ってみる。
相変わらず観光客が多く、桜並木もライトアップの設備が施されていた。
そして河原町を通り、下京区河原町正面に差し掛かった。
この地は私の母の知り合いが旅館を営んでいたところであるが、すっかりその痕跡もなく高級割烹料理店となっていた。
その一角、以前はなかった京都市景観まちづくりセンターの近代的な建物が建っており、下京界隈の町並みの歴史を観覧した。
         
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鞍馬山

2006-04-14 00:00:30 | かみのやしろ
 貴船川の橋を渡り、鞍馬山へと入る。
明らかに一般的な神社寺院とは違う雰囲気。
中間的な位置といえるであろうか。
開山した奈良時代後期の宝亀元年以後、神仏習合の習わしが続き、戦後、神社神道でも仏教寺院でもない独立宗教を立教した。よって、宗旨宗派をこだわらないスタイルをとっていて、人間にウェイトを置いた近代宗教の方針を掲げている。
途中では、何度か訪れているというご婦人と、カナダ人カップルに出会い、ほぼ行動を共にした。
いわゆる観光客とは違った、深い領域の信者、文言を唱えながら、何度も礼拝を繰り返す信者が何人もいた。
奥の院魔王殿から標高513mの頂へ。
途中、天狗や牛若丸、義経に関する伝説遺跡を通りながら、東へ下りていくと、博物館があった。
鞍馬山の自然、歴史、信仰と源義経の紹介、同山で安置する仏像などが展示されていた。
ここからまた少し下ると、本殿に到達する。
殿内は絶えず焚かれた線香により、コンクリートの伽藍が古建築が如くの艶を呈していた。
本殿前の六芒星を象った石の真ん中で家族のためにお祈りをする若いお母さんがいた。
私も、皆が仲良く生きられるよう祈った。
ここから九十九(つづら)折り参道を下り、そして鎮守である由岐神社に参拝、仁王門から鞍馬の駅へと向かった。
              
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鞍馬貴船

2006-04-13 00:00:25 | かみのやしろ

(京都市左京区鞍馬貴船町 旧官幣中社)
 京都散策は一ヶ所だけでも時間を要する。そして京都は自動車であると非常に不都合な街でもある。京都駅から奈良線に乗り、次の東福寺で京阪線に乗り換える。そして終点で叡山線に乗り換えるのが一番スムーズなようだ。急勾配のワンマンカーに乗り、あえて手前の貴船口駅で降りた。ここからほんの数分バスに乗り、「貴船」で下車、貴船川沿いに神社が鎮座する。

 日本貴布彌総本宮であるこの社の祭神は、タカオカミノ神。火の神カグツチノ神から生まれ、祈雨祈晴の神という。故に、祈願絵馬発祥の地とも伝えられている。日本磐余彦尊(神武天皇)の皇女、玉依媛命(たまよりひめのみこと)は、雨風の国潤養土の徳を尊び、その源を求めて黄船に乗り浪花より淀川、鴨川を溯り、この地に至って清水の湧き出る霊境吹井を認めて水神を奉斎したと伝えられている。このときに乗ってきた黄船の周りに石を積み囲んだものが「船形石」といわれている。また、奥宮付近の貴船川では「神足石」といわれる、輝緑擬灰岩の石が採取される。

 神社で参拝の記念品を戴いた。貴船橋を渡り、鞍馬山へと向かう。
      船形石
 神足石


(関連記事:哲学の道 大豊神社 熊野若王子神社 永観堂の紅葉 南禅寺の紅葉 岡崎公園 大礼記念京都美術館 白川 蹴上第二発電所 蹴上インクライン 冬の南禅寺 南禅寺水路閣 南禅寺聴松院 尊良親王墓所 大原三千院 勝林院 修学院山端 田中柳 貴船平成二十七年

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早太郎

2006-04-12 00:00:15 | 干支

(長野県駒ヶ根市)
 鎌倉時代の正和年間頃、信州光前寺では早太郎(悉平太郎)という山犬が飼われていた。その頃、遠州見付天神社では、怪物に対して人身御供(いけにえ)の風習が続けられていた。
 社僧の一実坊弁存は、怪物が早太郎を恐れていることを知り、この光前寺を訪れ早太郎を借り受けた。そして早太郎によって怪物は退治され、弁存から光前寺に大般若経を贈ったと伝えられている。 そして早太郎は、光前寺の本尊、不動明王の化身であったと言われている。
   

(関連記事:悉平太郎と霊犬神社 駒ヶ根平成十八年

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駒ヶ根 平成十八年

2006-04-11 00:00:31 | 漂い紀行

(長野県駒ヶ根市)
 8年前、駒ヶ岳に訪れて以来である駒ヶ根。今日は中アもくっきり望められる。
駅を降り、バスで「切石公園」まで行く。中ア、南アを両目に見ながら光前寺へと向かうが、思ったよりも近く、すぐ辿り着いた。
  
 二月に訪れた見付天神社の霊犬、悉平(しっぺい)太郎。この地では早太郎というようだが、この地より出向き、遠州の怪物を退治したという伝説が伝えられている。今年生誕七百年ということであり、参拝者も若干多いようだ。
 近隣、高遠の桜が見頃となっているのに比べ、境内の桜はまだ蕾が固い。南東斜面であるための温度差のようである。
 仁王門をくぐり、杉並木と光苔の生えた参道を歩くと、本堂がある。横手には「延命水」と呼ばれる清水があった。そして本堂西側には、早太郎の墓があり、五輪塔の下に眠っている。
   
 本坊客殿にはこの寺の安置仏及び弁財天像、早太郎像があり、また名勝ともなっている庭園の傍で茶菓を戴いた。記念にその湯呑みを戴き、隣の高原美術館へと向かった。
    
 美術館をあとにし、そのまた隣りのカフェでランチを摂る。
駒ヶ根はソースかつ丼が名物の土地柄だが、ここにはなかったので、この店の名物ボルシチを食してみた。
 ここから市街地方面へと歩く。途中、美術館で見た風景があった。駒ヶ岳を瀬に咲く水仙の花の光景であった。
 
 何やら意味深な「女体入口」停留所を通り、総合文化センター内博物館では、周辺各地で出土した縄文遺物などが展示されていた。そして町中の大きな寺院、安楽寺に参拝。大火復興祭セール中の看板のある駒ヶ根銀座を通り、街並みを歩いてみた。
 
 駅反対側を一回りしてみると、飯田線変電所の古い建物があった。
帰りの時間がまだあったので線路沿いを歩き、市役所へ寄ってみることとした。ここからはすぐ近くにある小町屋駅から、二回目の駒ヶ根の地を離れることとなった。

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「三遠南信地下鉄」

2006-04-10 00:00:37 | RODEN-哀愁のRailway-
(東海旅客鉄道飯田線)
 鉄橋、トンネルを絶えず繰り返すローカル鉄道飯田線は、天竜川沿いでは「信州の地下鉄」と呼ばれる。
 鶯巣、猪牙、燕岩、鰐渕 、越危山など目に止まってしまう名前のついたトンネルを幾つもくぐり、伊那谷へと差し掛かる。

 写真は、順に上片桐、伊那小沢、門島、天竜峡、七久保、伊那本郷付近の車窓風景。
    
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伊賀上野

2006-04-09 01:52:20 | 城郭・城下町
 三重の小京都と呼ばれるこの場所も、奈良に行く途中何度となく通ってはいるが、今まで立ち寄ったことはなかった。
平成の時代とは思えない沿線の車窓景色を見ながら伊賀上野駅に到着した。
近鉄線は関西線構内にあり、ワンマンカーで、忍者パッキングされた電車が走る。
降りるときは、切符は駅の箱に入れといてという感じで乗務員が集めるでもなく、JR近鉄共、有人改札も居たり居なかったりという感じで非常にのんびりしていた。
朝一番の人身事故運休、乗り換え毎約30分待ちということもあり、上野市駅で降りたときは昼となっていた。
市庁へ寄り、昼であったので役所の食堂に入った。
各部署も先頃の合併、配置転換等で職員が把握しきれてない感じだったが、誠実な対応であった。 

 石垣の高さ日本一の上野城。伊予今治から移った、藤堂高虎の城である。
木造の天守は、昭和10年に個人が私財を投じて建設されたもので伊賀産業文化城という。
慶長年間、台風により完成を見ないで倒壊以後、天守の無い時代が廃城まで続いた。
城からは、伊賀盆地を360度望むことができる。
城のある上野公園内には、芭蕉翁記念館があり、また近くの市歴史民俗資料館で往古からの歴史を知った。
更に日本六古窯の一つ、伊賀焼の文化財古陶を展示するコレクション館を観、寂れ行く商店街と上野天神宮に参って、伊賀盆地をあとにした。
        
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霞む空

2006-04-08 16:39:54 | ご近所漫ろ歩き
 黄砂のようである。
気温は低くはないが、風が強い。

西から東へ、自然の摂理でもある…。
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はなまつり

2006-04-08 09:53:42 | 天祐語録
 今日は釈迦の誕生日である。
生まれて直ちに、七歩歩いて天と地を指差し、
「天上天下唯我独尊」…てんじょうてんがゆいがどくそんと言ったという。
訳すと、世界中で自分は最も尊い人間である。となる。
このことに祝福され、竜王の口から甘露の雨が降り注いだ。
それにより、はなまつりの今日、誕生仏に甘茶をかけてお祝いをする。

昔、クリスマスセールならぬ、はなまつりセールがあったことを思い出す。

※ 紀元前四六三年四月八日、釈迦牟尼世尊誕生=降誕会(ごうたんえ)
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罐詰記念館

2006-04-07 00:00:08 | 木のたてもの
 昭和4年、日本で初めてマグロ油漬缶詰を製造した食品会社の創立当時の社屋である。
昭和52年に清水港湾博物館敷地内に移転し補修が行われ、内部をツナ缶詰の歴史を紹介を兼ねる施設として保存された。
玄関の瓔珞飾りがアクセントとなっている。
  
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新境川百十郎桜

2006-04-06 00:00:36 | ふるさとの木々
(岐阜県各務原市)
 各務原桜まつり期間中のこの日、「20万人の広場」が催されていた。
天気は薄曇、桜も早咲き以外はまだ蕾の状態であったが、大勢の人でごった返し、露店などは行列を成していた。やはり花より団子か。
 新境川は、昭和5年(1930)に度重なる洪水をもたらしていた境川の放水路として築造された。その完成記念として、ご当地出身の歌舞伎役者、市川百十郎が桜の苗木千本を寄贈し、植樹したのが始まりである。
  

(関連記事:新境川百十郎桜平成二十年 那加2005 手力那加
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散歩の道端で

2006-04-05 00:00:29 | ご近所漫ろ歩き
 蕾でなかった桜の花は、この強い北風によって散ってしまった木もある。
そんな中、近所を歩いていると、路傍につくしの群や春の草花が生き生きと育っていた。

 
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沼津城

2006-04-04 06:00:33 | 城郭・城下町
(三枚橋城 観潮城)
 元々狩野川沿いのこの地には、北条氏の城砦が存在したが、北条氏との同盟破綻後の天正七年(1579)武田勝頼により三枚橋城として築かれた。
織田信長による甲州攻め以降、荒廃していた城を慶長六年(1601)大久保忠佐が沼津城として二万石で城主となったが、慶長十八年(1613)に無嗣断絶で駿府藩領地となった。
安永六年(1777)水野忠友が三河大浜より二万石で城主となり、以後水野家は五万石まで加増し廃藩を迎えた。
 現在、全く遺構は残されていないが、狩野川に面した城地には本丸に三層櫓、二の丸には御殿を配置し、本丸跡に城跡の碑が立っている。
 付近の工事等の際には城に関する遺構が検出されるという。

(関連記事:戸倉城 沼津宿 千本松原
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沼津宿

2006-04-04 00:00:38 | 街道・宿場町

(東海道十二番目 静岡県沼津市)
 新蒲原駅から東へ向かう。
次第に晴天となり、富士の山が姿を現す。
沼津に到着、柿田川方面へ向かおうと考えたが、時間が夕刻に差し掛かり始めたため、沼津市街地を散策してみた。
この地へは、2年前御殿場の帰りにも立ち寄った。
市街地を南進、東海道を横切り、今は何も無い沼津城跡を通って、狩野川を渡る。
市役所に立ち寄ってみたが、文化財に関する部署が海岸の方へと離れており、ここでは何も分からなかったが、文化財センターの方がこちらに出向いてくださり、資料を提供して戴いた。
旧戸田村が合併したばかりで、まだ落ち着いていないようだ。

 次第に強風が吹き始めた。
日没に近づいたため、今日の散策を終えることにした。
   
(関連記事:原宿 三島宿 千本松原 内浦 沼津港

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蒲原宿

2006-04-03 00:00:30 | 街道・宿場町

 東海道十五番目の宿場町である、かんばら。
山と海に挟まれたこの地は、交通の要所であり、日本の幾つもの大動脈が通る。
蒲原駅から東進してみる。
東海道でもある旧国道を歩くと、文化センターや役場が見えてくる。
蒲原町の文字が消されていた。
あと一日で静岡市清水区蒲原町になるからである。
117年続いた町制も幕を閉じる。
途中の由比町は合併せず、静岡市の中の飛び地となる。
慌ただしく片付けをする町の施設をあとに、和歌宮神社へと参る。
この頃になると、雲が取れ青空が現れ始めた。
そしてバードウォッチングする一行に出会った。
地元のご婦人に呼び止められた。「あちらのお寺さんに三本の古い枝垂れ桜があります…」と言って案内された。
時期的にそろそろ終わりであるが、京都から持って来られたという桜の古木は、青空に映え、若々しさを見せてくれた。
旧東海道に入り、幾つかの古い建物、そして富士が見え始めた。
そして新蒲原駅から更に東へ向かってみることにした。
         
(関連記事:吉原宿 由比宿

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