田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌ぶらり散歩 25 二つのサイロ

2014-11-20 21:28:11 | 札幌ぶらり散歩 & Other
「札幌ぶらり散歩」とは、札幌市内の歩道のできるだけ未体験のところを歩くことによって、新たな発見や心に留まった光景などをレポートしようとするものである。 

 ひばりが丘の市営住宅群の中にある「ひばりが丘西公園」の一角に立つ「旧馬場農場のサイロ」は「さっぽろ・ふるさと文化百選」にも選定されているので有名だが、そのサイロとそっくりなサイロをもう一つ発見した!

          
          ※ ひばりが丘公園内の「ひばりが丘西集会所」の横に建つ「旧馬場農場のサイロ」です。
           その横の白い建物が「ひばりが丘西集会所」です。

 
 「札幌第2時計台」を見た後、私は南郷通り沿いの北側を新札幌まで歩くことにした。
 南郷通り沿いの北側には高層ビルの市営住宅群「ひばりが丘団地」が広がっていた。ウェブ上で調べてみると、その総棟数は61棟、総戸数は1,613戸ということだから壮観であった。(ありふれた光景だと思い写真は撮らなかった。失敗!)

          
          ※ サイロの壁を大写しすると「札幌軟石」が石材であることが分かります。
          

 その団地の中に「ひばりが丘西公園」があり、その一角に「旧馬場農場のサイロ」が立っていた。昭和2年に建てられたということで、材料には札幌軟石が使われていた。
 内部の覗いてみたいと思い、側に建っていた「ひばりが丘西集会所」に赴き、管理人にたずねたところ、残念ながら内部は公開していないとのことだった。

               
               ※ サイロの入口がありましたが、固く閉じられていました。
                その前には「さっぽろ・ふるさと文化百選」のプレートがありました。 

          
 サイロの前に「さっぽろ・ふるさと文化百選」のプレートが立ち、そこには次のような説明がなされていた。
 「種畜生産と乳製品の加工を目的に馬場和一郎氏が創設した農場のサイロである。高さ9m、直径6.15mで、当時最大級の規模であった。農場は昭和17年(1942年)頃旧内務省、その後旧国鉄の所有となり、同33年(1958年)に札幌市が買収して、翌年から『ひばりが丘団地』が造成された。その後もサイロは残り、現在では貴重な歴史的遺産として、また団地のシンボルとして保存されている」と記されていた。
 さらに建築年 昭和2年(1927年)、構造 石造 と記されていた。

          
          ※ そのプレートを大写ししたところです。

 その後、団地内を新札幌に向かって東に進んだ。
 すると、しばらく行ったところにまたまたサイロが現れた!?
 そこのサイロは石造りではなく、建物と一体となる形で建っていた。その建物とは「ひばりが丘東集会所」である。
 「ははあ~ん」と私は思った。
 団地のシンボルであるサイロを、東集会所を建てるときに西集会所と対比するようにサイロを配したのだな、と…。

          
          ※ 「ひばりが丘東集会所」に併設されるように立っていたサイロです。

 私の思いを確かめるべく、東集会所に赴き、管理人にたずねた。しかし、管理人は「はっきりしたことは分からない」とつれない返事だった。そして、そのサイロ型の部分は何の役割もはたしていないとのことだった。
 集会所を建てるときにはきっと私が思ったような思いで設計されたのだろうが、時代が経ってその思いは受け継がれずに形骸化してしまっているということだろうか?