解剖学者である養老孟司氏は言う。「研究者は自然の中に出でよ!」と…。実験室での研究には危うさが潜んでいると指摘する。飄々とした表情で、思いのままに縦横に語る養老ワールドを楽しんだ。
5月30日(土)午前、北海道科学大学において、北海道薬科大学・北海道科学大学短期大学部のキャンパス移転記念講演会が解剖学者の養老孟司氏を迎えて開催されたが、その講演を受講する機会を得た。
手稲にある北海道科学大には初めて訪れたが、広々としたキャンパスに講義棟や研究棟などが点在し、教育環境としては素晴らしい環境だと思われた。
講演会はその講義棟の一画で行われた。演題は「脳と高齢化と医療技術」と題されていたが、養老氏は確かに高齢化の問題や現代の医療についても触れたが、どちらかというと演題に拘泥されることなく、氏の思いのままを語ったようにも受け取れた。
そんな養老氏の話の中で、一つ印象に残った話題が教育論といってよいか、現代の研究者の研究環境(姿勢)のようなものについてだった。
養老氏は、「小保方晴子」問題について触れた。小保方晴子さんのような問題がなぜ生起したかというと、その背景要因として研究が実験室内で行われ、実験室内で完結している点を指摘した。養老氏は実験室内の研究はどうしても問題を「単式化」する傾向があるという。 「単式化」とは? その点については後述してみる。
そうした「実験室」派に対して、養老氏はフィールドにおける研究の重要性を説いた。フィールド = 自然は複雑であり、そこに身をおくことで研究者は自然の複雑な世界に気付くという。複雑な世界ではモノゴトを「単式化」して考えることなど出来ないということだろう。
養老氏が指摘しようとしたこと。それは実験室内においては問題を「単式化」して追究しようとするが、そこには総合的な視点が欠けがちになる、ということを指摘したのだと思う。
そして、養老氏は自らが東大出身にもかかわらず、東大はどちらかというと「実験室」派であり、京大こそが積極的にフィールドに出て行っていると話した。
もっとも養老氏は若い頃、研究対象である○○ネズミを捕獲するため、石狩市の浜を頻繁に訪れたと話していたが…。(○○の部分は良く聞き取れなかった)
さらに養老氏は、そうした違いは思考活動にも特徴が出ると述べた。
そんな話を聞きながら、そういえばノーベル賞受賞者は圧倒的に京大出身者に多いことに気付いた。
養老氏は、研究者は人工的な環境に身を置くのか、自然の環境に身を置くのか、と問うたが、それはもう自明の理のような気がした。
養老氏の問い掛けは、単に研究者というレベルにとどまらず、教育論に関わる重要な指摘であると感じた私だった…。
5月30日(土)午前、北海道科学大学において、北海道薬科大学・北海道科学大学短期大学部のキャンパス移転記念講演会が解剖学者の養老孟司氏を迎えて開催されたが、その講演を受講する機会を得た。
手稲にある北海道科学大には初めて訪れたが、広々としたキャンパスに講義棟や研究棟などが点在し、教育環境としては素晴らしい環境だと思われた。
講演会はその講義棟の一画で行われた。演題は「脳と高齢化と医療技術」と題されていたが、養老氏は確かに高齢化の問題や現代の医療についても触れたが、どちらかというと演題に拘泥されることなく、氏の思いのままを語ったようにも受け取れた。
そんな養老氏の話の中で、一つ印象に残った話題が教育論といってよいか、現代の研究者の研究環境(姿勢)のようなものについてだった。
養老氏は、「小保方晴子」問題について触れた。小保方晴子さんのような問題がなぜ生起したかというと、その背景要因として研究が実験室内で行われ、実験室内で完結している点を指摘した。養老氏は実験室内の研究はどうしても問題を「単式化」する傾向があるという。 「単式化」とは? その点については後述してみる。
そうした「実験室」派に対して、養老氏はフィールドにおける研究の重要性を説いた。フィールド = 自然は複雑であり、そこに身をおくことで研究者は自然の複雑な世界に気付くという。複雑な世界ではモノゴトを「単式化」して考えることなど出来ないということだろう。
養老氏が指摘しようとしたこと。それは実験室内においては問題を「単式化」して追究しようとするが、そこには総合的な視点が欠けがちになる、ということを指摘したのだと思う。
そして、養老氏は自らが東大出身にもかかわらず、東大はどちらかというと「実験室」派であり、京大こそが積極的にフィールドに出て行っていると話した。
もっとも養老氏は若い頃、研究対象である○○ネズミを捕獲するため、石狩市の浜を頻繁に訪れたと話していたが…。(○○の部分は良く聞き取れなかった)
さらに養老氏は、そうした違いは思考活動にも特徴が出ると述べた。
そんな話を聞きながら、そういえばノーベル賞受賞者は圧倒的に京大出身者に多いことに気付いた。
養老氏は、研究者は人工的な環境に身を置くのか、自然の環境に身を置くのか、と問うたが、それはもう自明の理のような気がした。
養老氏の問い掛けは、単に研究者というレベルにとどまらず、教育論に関わる重要な指摘であると感じた私だった…。