私がスラブ圏(中東アジア)についていかに無関心であるかを思い知らされる講義だった。わずか半世紀ほどで湖として世界4位の面積を誇った「アラル海」が消滅の危機に瀕しているという。20世紀最悪の環境破壊とされるアラル海災害の話を聞いた。
6月6日(土),北大祭で賑わう中、スラブ・ユーラシア研究センターで開催されていた「スラブ・ユーラシア展」を覗いた。訪れたときに、ちょうど市民講座SCIENCE TALKが行われるところだったので、受講することにした。
講座は「『20世紀最悪の環境破壊』の教訓~アラル海災害から学ぶべきこと~」と題して、スラブ・ユーラシア研の地田徹朗助教が務めた。
※ 緑色の国がカザフスタン、赤色がウズベキスタンです。その間に挟まる水色のところが以前のアラル海です。
アラル海は中央アジアのカザフスタンとウズベキスタンにまたがる内陸湖である。
わずか半世紀前の1960年には面積約6万8千㎢と世界第4位の広さを誇っていたという。その面積は琵琶湖の約100倍、日本の東北地方の面積と同じくらいだったそうだ。
それが旧ソ連邦時代に周辺において綿花栽培をするために、大規模な灌漑が必要となり、アラル海に注ぐ川(アムダリア川)の中流域に運河を建設した。そのためにアラル海に水が供給されなくなったしまったという。(運河建設は1950年代)
そのことが影響し1960年を境にしてアラル海の面積が急激に減少し始めたそうだ。
その急激な減少の経年変化(下の写真)を見ると、戦慄すら覚えるほどである。写真は2000年までのものだが、2014年のものではさらに面積は減少している。
2009年の計測によると、湖水面積は6.7千㎢と元の1/10以下にまでなったという。
※ アラル海の面積の経年変化の様子です。1957年にはほとんどが湖だったのに対して、2000年には大きく減少しています。
※ こちらは衛星写真です。左側が1980年代末の写真です。右側は2014年のものですが、大きく変わっています。
こうした急激な環境変化が何を及ぼしたかについて、地田氏は次のようにまとめて提示した。
《環境面》・湿地や河畔林の縮小 ・砂漠化 ・魚類の消滅 ・降水量の減少 ・渡り鳥の飛来地の消滅 etc.
《経済面》・地域の基幹産業だった漁業や魚肉加工業の壊滅的被害
《社会面》・若者を中心とする人口流失 ・独立後の都市部での失業 ・治安の悪化
《健康面》・塩分を含む砂塵嵐による呼吸器疾患 ・血中塩分濃度の異常な高値 ・飲料水不足による内臓疾患、伝染病 ・乳幼児死亡率の上昇 etc.
さて、こうした災害を何故防げなかったのかということについて、地田氏は「misfit(ミスフィット)」という言葉を使った。ミスフィットとは「ずれ」、「くいちがい」を意味するそうだ。詳しく説明するとかなりの字数を必要とするので、簡単にいうと災害が顕在化するまでの時間的ずれ、対策を講じようとするときの行政間のずれ、灌漑を始めたことによって益する側と害する側の空間的なずれがあったとした。
※ 受講者に講義をする地田北大助教です。
そして今、アラル海流域はどうなっているかというと、元のアラル海(大アラル海)に戻すことはすでにあきらめたものの、可能なかぎりの復元(小アラル海)を目ざすことで、 経済面、社会面、健康面の安定を図っていく取り組みが始まっているが、実際に流域は復興に向かって歩みをはじめつつあるとのことだった。
このアラル海の災害状況から何を学ぶかということについて、地田氏は次の2点を提示した。
一つは「『ずれ』に着目せよ!」ということだ。地田氏の提示を正確に記すと「アラル海の災害が突きつけているのは、時間、空間、役所の機能などが『ずれ』ていることが、環境問題の解決を妨げているということ。福島原発事故もこの『ずれ』が引き起こす問題に対応することができなかったことが大きな要因」と述べた。
二つ目には「科学を疑え!」ということだ。これも地田氏の言を正確に記すと「アラル海災害が起きたのは、環境変化について正確に予測することが極めて難しく、対策がベンディング(保留)されてゆき、その最中にも環境悪化が進展して最終的に災害化してしまったこと、科学の不確実性は環境問題だけでなく、我々の社会・生活の様々な局面で露呈することが頻繁にある」とした。
地田氏のまとめの2点は現在の日本における様々な状況に対する示唆も含まれているように私には思えた。
それにしても東北地方と同じくらいの面積があった湖が、わずか50年程度で1/10以下に激減するような大きな出来事がスラブ圏で起こっていたことを、私はほとんど意識せずにいたことを恥じる思いだった…。
6月6日(土),北大祭で賑わう中、スラブ・ユーラシア研究センターで開催されていた「スラブ・ユーラシア展」を覗いた。訪れたときに、ちょうど市民講座SCIENCE TALKが行われるところだったので、受講することにした。
講座は「『20世紀最悪の環境破壊』の教訓~アラル海災害から学ぶべきこと~」と題して、スラブ・ユーラシア研の地田徹朗助教が務めた。
※ 緑色の国がカザフスタン、赤色がウズベキスタンです。その間に挟まる水色のところが以前のアラル海です。
アラル海は中央アジアのカザフスタンとウズベキスタンにまたがる内陸湖である。
わずか半世紀前の1960年には面積約6万8千㎢と世界第4位の広さを誇っていたという。その面積は琵琶湖の約100倍、日本の東北地方の面積と同じくらいだったそうだ。
それが旧ソ連邦時代に周辺において綿花栽培をするために、大規模な灌漑が必要となり、アラル海に注ぐ川(アムダリア川)の中流域に運河を建設した。そのためにアラル海に水が供給されなくなったしまったという。(運河建設は1950年代)
そのことが影響し1960年を境にしてアラル海の面積が急激に減少し始めたそうだ。
その急激な減少の経年変化(下の写真)を見ると、戦慄すら覚えるほどである。写真は2000年までのものだが、2014年のものではさらに面積は減少している。
2009年の計測によると、湖水面積は6.7千㎢と元の1/10以下にまでなったという。
※ アラル海の面積の経年変化の様子です。1957年にはほとんどが湖だったのに対して、2000年には大きく減少しています。
※ こちらは衛星写真です。左側が1980年代末の写真です。右側は2014年のものですが、大きく変わっています。
こうした急激な環境変化が何を及ぼしたかについて、地田氏は次のようにまとめて提示した。
《環境面》・湿地や河畔林の縮小 ・砂漠化 ・魚類の消滅 ・降水量の減少 ・渡り鳥の飛来地の消滅 etc.
《経済面》・地域の基幹産業だった漁業や魚肉加工業の壊滅的被害
《社会面》・若者を中心とする人口流失 ・独立後の都市部での失業 ・治安の悪化
《健康面》・塩分を含む砂塵嵐による呼吸器疾患 ・血中塩分濃度の異常な高値 ・飲料水不足による内臓疾患、伝染病 ・乳幼児死亡率の上昇 etc.
さて、こうした災害を何故防げなかったのかということについて、地田氏は「misfit(ミスフィット)」という言葉を使った。ミスフィットとは「ずれ」、「くいちがい」を意味するそうだ。詳しく説明するとかなりの字数を必要とするので、簡単にいうと災害が顕在化するまでの時間的ずれ、対策を講じようとするときの行政間のずれ、灌漑を始めたことによって益する側と害する側の空間的なずれがあったとした。
※ 受講者に講義をする地田北大助教です。
そして今、アラル海流域はどうなっているかというと、元のアラル海(大アラル海)に戻すことはすでにあきらめたものの、可能なかぎりの復元(小アラル海)を目ざすことで、 経済面、社会面、健康面の安定を図っていく取り組みが始まっているが、実際に流域は復興に向かって歩みをはじめつつあるとのことだった。
このアラル海の災害状況から何を学ぶかということについて、地田氏は次の2点を提示した。
一つは「『ずれ』に着目せよ!」ということだ。地田氏の提示を正確に記すと「アラル海の災害が突きつけているのは、時間、空間、役所の機能などが『ずれ』ていることが、環境問題の解決を妨げているということ。福島原発事故もこの『ずれ』が引き起こす問題に対応することができなかったことが大きな要因」と述べた。
二つ目には「科学を疑え!」ということだ。これも地田氏の言を正確に記すと「アラル海災害が起きたのは、環境変化について正確に予測することが極めて難しく、対策がベンディング(保留)されてゆき、その最中にも環境悪化が進展して最終的に災害化してしまったこと、科学の不確実性は環境問題だけでなく、我々の社会・生活の様々な局面で露呈することが頻繁にある」とした。
地田氏のまとめの2点は現在の日本における様々な状況に対する示唆も含まれているように私には思えた。
それにしても東北地方と同じくらいの面積があった湖が、わずか50年程度で1/10以下に激減するような大きな出来事がスラブ圏で起こっていたことを、私はほとんど意識せずにいたことを恥じる思いだった…。