恐る恐る踏み出した「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトだったが、記録を振り返るとシーズンを追って取り組む日数が増えていることが分かる。特に4年目となった今シーズンは実に10日間もこのプロジェクトに費やした。
※ 全てはこの一枚の写真から始まった…。石狩川が日本海に注ぐ先端部分です。
このプロジェクトにかけた日数をシーズン別に振り返ってみると、
◇2014シーズン 3日
◇2015シーズン 4日
◇2016シーズン 5日
◇2017シーズン 10日(※ ‘16/12/15 ‘16/12/28~12/30 も含む)
私はこのプロジェクトに取り組んだ第1日目のレポートに次のように記している。
正月以来、初○○と称して、山登りやスキー、クロカンなどを体験してみたのだが、「もっとも今の自分に相応しいのはスノーシューかな?」との思いを強くしていました。スノーシューといっても山には危険が伴います。その点、河原を歩くことは迷う心配がなく、冬を楽しむには最適なのでは?と私一人が思っていることです。
そこで思い出したのが、2011~2012年にかけてスノーシューで豊平川河口から定山渓まで河原を遡行した体験でした。
まさかあれと同じようなことを石狩川でやろうとは思っておりません。あのとき体験したように少しだけ石狩川でもやってみようか、と思い立ったのです。
つまり、このプロジェクトに踏み出した時には、豊平川河岸を遡った時の充実感が忘れられず、石狩川を舞台に“ちょっとだけ”やってみようか、という思いだった。
だから2014シーズンは3日を費やしただけだった。この3日間、レポートを読み返してみると、その日の終盤には必ずと言って良いほど大腿部の痛みに悩まされている。なのに私は懲りずにその後も石狩川に向かっている。
2014シーズンの最終日のレポの終わりに私は次のように記している。
これだけ辛い思いをしてもスノーシューを止めようなどとは全く思わない。それほど私は今、スノーシューにはまっている。
最初は“ちょっとだけ”と思って始めたにもかかわらず、わずか3日間の取り組みで心境はがらりと変わり、「止めようなどとは全く思わない」と言い切っている。
いかに私がスノーシューの魅力に憑りつかれたかを如実に言い表している一文である。
※ 「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトは、ある意味石狩川に架かる橋との出会いの連続だった。写真は江別市近くに架かる「美原大橋」です。
そんな私は翌2015シーズンには4日間、石狩川河岸に通い上流に歩を進めた。
転機はその年の夏、超人的おじさんsakag氏との出会いだった。
氏と話す中で、この「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトのことについて、私が漏らすと「誰もやっていないオリジナルな取り組みだから、頑張りなさい」と激励を受けたことだった。
そうした激励もあって2016シーズンは取り組む日数がさらに増え5日間となった。
その2016シーズン最後のレポの終わりは次のような言葉で締め括られている。
この日が今シーズンのスノーシュートレッキングの最後と決めた。シーズン前には、今シーズンの目標を「滝川まで!」と内心思い定めていたが、残念ながら目的地には届かなかった。しかし、今シーズンはこのプロジェクトを始めて3年目だが、最も多い5日間をこのために費やした。
その一日一日は、私にとって何にも代えがたい充実した日々だった。それでいいではないか!
届かなかった滝川、そしてその向こうまで…。来シーズンまた取り組めばいいのだ。石狩川はいつも待っていてくれるはずだ。私の体調、意欲が今シーズンと変わらなければ、という但し書き付きだが…。今シーズンは一応の終止符を打とう。
そして今シーズンである。
なんとこれまでとは比較にならない10日間もこのプロジェクトに費やすことになった。
その要因はいろいろ考えられるが、まず第一には目標が近づいてきたことが大きいと思う。日数さえ費やせば密かな目標としていた旭川に到達できると…。
二つ目は、私の体調が意外に良かったということがあげられる。これまで必ずといってよいほどその日の後半に感じていた大腿部の痛みを感ずることがなかったことだ。体力が増強したとは考えられないが、一日の距離が適当だったという幸運に恵まれたのかもしれない。
※ このプロジェクト最後の一枚は、目的地の旭橋をバックにしたわが愛機(というほど立派なギアではないが)です。
今シーズン前までの取り組みと比較すると、宿泊を伴ったこともあるが充実した最後のシーズンとなった。
さて、私は何故これほどまでスノーシュートレッキングにはまってしまったのか、その辺りについて明日考えてみようと思う。