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田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

「冬の石狩川河岸を遡る」を振り返る 5

2017-03-06 16:28:04 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 振り返るシリーズの最後は、今回の「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクト実施に際しての装備や携行品について記録として留めながら最後としたい。 

 装備として、先ずは肝心のスノーシューであるが、ブログの中でも何度も触れているように、私の所持するスノーシューはいわゆる中級品である。私が贔屓(?)にするmont-belで買い求めたものではなく、スポーツ量販店で買い求めたもので「TUBBS」というメーカー名が入っている。
 中級品ではあったが、2010年末に買い求めて以来、かなり過酷な使用に耐えながら、これまで何の故障もなく使い続けられた。このことはある意味幸運だったと言えるかもしれない。同時に買い求めたストックもまた同じである。
 ただし、持ち運びに使うスノーシューのケースはmont-bel製である。

               
               ※ 私の愛機をあらためて床の上で撮ってみた。右からストック(縮めた状態で)、スノーシュー、ケースの順です。

 スノーシューを付ける靴であるが、これにはmont-bel製の登山靴を使用している。記録によると豊平川を遡っていた当時は長靴を使用していた時期もあったようだが、いつからか登山靴になった。登山靴に防水スプレーをかけ、スパッツを使用することで、防水対策もバッチリである。

 続いて身に着けるウェア類であるが、基本的には上下ともに三枚である。
 上半身は、アンダーウェア、ミドルウェア、そしてアウターの三枚で行動している。寒さが心配される場合は、ミドルとアウターの間にフリース素材のミドルを着用するが、行動を開始するといつも直ぐに脱いでいた。
 私の場合は、アウターがかなりしっかりした素材でできているため、その下は薄着でも寒さを感ずることはなかった。
 対して下半身は、ロングタイツの上にジャージーの下(あるいは登山用パンツ)、そして風除けのためレインウェアの下、という恰好である。

 続いて携行品であるが、いつも必要以上に携行していたのが食料である。厳寒の外ではおにぎりなど水分を含むものは不適である。私の場合は「調理パン(ホットドック系)」をいつも携行していた。その他に北海道のソウルフード?「ビタミンカステーラ」、さらに行動食としてコンビニなどで購入できる「スニッカーズ」のようなものを携行した。
 さらに、粉末状のスープも携行したが、今年は特にそれらを食することは持ち帰ることが多く、これらは「もしも」のための食料としていつも携行していた。

               
               ※ 左側は残っていた行動食、塩飴など、右側はスープやインスタントコーヒーなどです。
              
 携行品の特徴としては、二本のステンレスボトルに入れた熱湯である。一本は甘味を加えた紅茶を、一本はスープやコーヒー用のための白湯である。この二つをどちらも専用にケースに入れた上に、さらにタオルでぐるぐる巻きにして温度が下がらないように工夫した。
 紅茶の方は、寒い中でホッと一息できる飲料として重宝したが、もう一本の白湯はいつもそのまま持ち帰ることがほとんどだった。寒い中でゆっくりとスープなど作っている間がなかったというのが実状である。こちらも「もしも」のために最後まで携行することを忘れなかった。
 少し大げさなのではと思う向きもあるかもしれないが、あくまで“万が一”に備えてという気持ちを忘れなかった。

               
               ※ 右側はケースに入れただけのステンレスボトル。左側はそれをタオルで包んだ状態のボトルです。

 その他で携行したものは、緊急の寒さ対策のためのライトダウン、雨対策のザックカバー、さまざまな状況で重宝するトイレットペーパーなどである。
もちろんカメラ(コンデジ)、スマホ(GPS)、地形図は必携品です。
 それに、宿泊を伴う場合は洗面道具、替え下着が加わった。

                     
               ※ 私は自撮りというものをほとんどしない。この写真も息子が現地まで送ってくれた際に、撮ってくれたものです。
                この時は腰にウェストポーチを付けているようですが、今年は全く付けませんでした。

 ここまで5回にわたって「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトに取り組んできた22日間を振り返ってきた。私にとっては記念碑的(少しおおげさ?)な石狩川河岸遡行だった。
 本来であれば、河口から源流まで辿って初めて記念碑的取り組みと称するのが適当かもしれない。しかし、それは私のような素人にはあまりにも難しすぎることだ。私にとっては旭川まで至っただけで十分に記念碑的なことだと思っている。

 この取り組みが終わった時、書店へ出向いて、旭川から石狩川の源流である石狩岳までの地形図は購入してきた。しかし、それは私が取り組んだことの延長線上にこうした経路があるということを認識したかったことと、私自身の記念品として買い求めたということだけである…。