奇跡の出会いとは、ちとオーバー過ぎる表現かもしれないが、私からすると奇跡の出会いと表現したい。いつかまたその方と語り合いたいと思った。
私が所属する退職組織の各支部では、4月にそれぞれ総会を開催する。その総会には北海道本部から役員を派遣し、祝辞を述べさせてもらうことになっている。
札幌市内には各区ごとに10支部あるため、役員が手分けして派遣している。役員の一員である私もその一翼を担っているのだが、8日(日)某支部の総会が開催され、私が赴くことになった。

※ 支部総会の後の記念講演で「認知症について」講演する、徳洲苑しろいしの施設長・岡本尚士氏です。
総会では無難(?)に祝辞を述べさせていただき、その後の総会、記念講演会、そして懇親会と全ての行事に参加させていただいた。
懇親会に移ってからである。懇親会では、各自が自分の近況とか、関心事についてスピーチするコーナーが設けられていた。
初対面の方々ばかりであるから、私にとってはその人となりを知るうえでとても興味深かった。
私にもスピーチせよというので、私は拙ブログのことについて話させていただいた。
会には大学の後輩にあたるK氏も参加されていた。K氏がスピーチの中で、私のことに触れて「大学時代に休学されてヨーロッパ、アジアをバックパックの旅をされた方です」と紹介してくれた。
すると、全ての方のスピーチが終わったとき、ひとりの方が私の傍に近づいてきた。
そして、その方は「あなたは学生時代にヨーロッパ、アジアをバックパックで巡って歩いたというけれど、私も同じころヨーロッパを自転車で巡り歩いた経験があります」といって、ご挨拶された。その方は私より7年先輩の方でN氏と名乗られた。
N氏は一度札幌市内の私立高校に勤務されていたが、25歳の時に退職されヨーロッパに旅立ったということだった。それは私が旅立つより2年前のことになる。
というと、N氏か旅立ったのは1966年ということになる。一般市民の海外渡航が自由になってから、わずか2年後ということになる。
海外渡航が自由になったとはいっても、2年後である。そんな中で勇敢にも旅立ったN氏の行動力は素晴らしい!
酒の力があったのかもしれない。私たちはたちまちのうちに意気投合した。
それは旅したものでしか分かり合えない感情である。
若き日に海外を彷徨した体験は、自分を創るうえで大きな動機付けとなった、ということについて二人は意気投合した。
さらには、旅の体験談を語るときに体験したものでしか理解し合えないものがある、という点についても意見は一致した。

※ 札幌市内某支部の懇親会の様子です。
時間もそれほどなかったので、N氏の旅談義を聞くには時間がなさ過ぎた。彼がどこを自転車で走ったのか、彼は旅の中で何を感じ、体験をどう生かしたのか?それらを十分に語るには時間がなかった。
今から半世紀以上も前、ヨーロッパ・アジアの国々を長期間にわたって旅した人はそうは多くないだろう。
50年以上も前に、そうしたスタイルでの旅をした人との遭遇は、私にとってはまさに“奇跡の出会い”だった。
N氏と、できればゆっくりと旅の体験談を語り合いたいと思った。
そんな奇跡の出会いにも近い出会いを演出してくれたK氏に感謝したい。
私が所属する退職組織の各支部では、4月にそれぞれ総会を開催する。その総会には北海道本部から役員を派遣し、祝辞を述べさせてもらうことになっている。
札幌市内には各区ごとに10支部あるため、役員が手分けして派遣している。役員の一員である私もその一翼を担っているのだが、8日(日)某支部の総会が開催され、私が赴くことになった。

※ 支部総会の後の記念講演で「認知症について」講演する、徳洲苑しろいしの施設長・岡本尚士氏です。
総会では無難(?)に祝辞を述べさせていただき、その後の総会、記念講演会、そして懇親会と全ての行事に参加させていただいた。
懇親会に移ってからである。懇親会では、各自が自分の近況とか、関心事についてスピーチするコーナーが設けられていた。
初対面の方々ばかりであるから、私にとってはその人となりを知るうえでとても興味深かった。
私にもスピーチせよというので、私は拙ブログのことについて話させていただいた。
会には大学の後輩にあたるK氏も参加されていた。K氏がスピーチの中で、私のことに触れて「大学時代に休学されてヨーロッパ、アジアをバックパックの旅をされた方です」と紹介してくれた。
すると、全ての方のスピーチが終わったとき、ひとりの方が私の傍に近づいてきた。
そして、その方は「あなたは学生時代にヨーロッパ、アジアをバックパックで巡って歩いたというけれど、私も同じころヨーロッパを自転車で巡り歩いた経験があります」といって、ご挨拶された。その方は私より7年先輩の方でN氏と名乗られた。
N氏は一度札幌市内の私立高校に勤務されていたが、25歳の時に退職されヨーロッパに旅立ったということだった。それは私が旅立つより2年前のことになる。
というと、N氏か旅立ったのは1966年ということになる。一般市民の海外渡航が自由になってから、わずか2年後ということになる。
海外渡航が自由になったとはいっても、2年後である。そんな中で勇敢にも旅立ったN氏の行動力は素晴らしい!
酒の力があったのかもしれない。私たちはたちまちのうちに意気投合した。
それは旅したものでしか分かり合えない感情である。
若き日に海外を彷徨した体験は、自分を創るうえで大きな動機付けとなった、ということについて二人は意気投合した。
さらには、旅の体験談を語るときに体験したものでしか理解し合えないものがある、という点についても意見は一致した。

※ 札幌市内某支部の懇親会の様子です。
時間もそれほどなかったので、N氏の旅談義を聞くには時間がなさ過ぎた。彼がどこを自転車で走ったのか、彼は旅の中で何を感じ、体験をどう生かしたのか?それらを十分に語るには時間がなかった。
今から半世紀以上も前、ヨーロッパ・アジアの国々を長期間にわたって旅した人はそうは多くないだろう。
50年以上も前に、そうしたスタイルでの旅をした人との遭遇は、私にとってはまさに“奇跡の出会い”だった。
N氏と、できればゆっくりと旅の体験談を語り合いたいと思った。
そんな奇跡の出会いにも近い出会いを演出してくれたK氏に感謝したい。