ホーレス・ケプロン、トーマス・アンチセル、A.Gワーフィールド、そして忘れてはならないW.Sクラークやエドウィン・ダン、等々…。その数は実に78人に上ったという。アメリカから来道し、北海道の近代化に尽力したお雇い外国人たちの業績を振り返るパネル展を見た。
※ 会場入り口に表示されていたパネル展の案内です。
4月17日~19日の三日間、紀伊国屋札幌の2階ギャラリーにおいて「開拓使の近代化事業とお雇い外国人たち」パネル展が開催されていたのを知って覗いてみた。
私たちが企画・運営する講座「さっぽろの古を訪ねて」の参考になるかもしれない、という思いを抱いて…。
※ お雇い外国人の有名な写真です。左から、J・クラーク、ケプロン、アンチセル、ワーフィールド、エルドリッジの5人です。
4月17日(火)午後、パネル展の初日に足を運んでみた。
パネル展は想像していたよりは地味な感じだったが、標題どおり明治初年から年代順に北海道の開拓・近代化の様子と、そこで果たしたお雇い外国人の業績を37枚のパネルで表示したものだった。
※ 会場の様子ですが、展示されていたパネルは主に反対方向にたくさんありました。
掲示されていたパネルのほとんどは、これまで私があたってきた文書などで目にしたものがほとんどだった。
その中で一枚のパネルが私の目にとまった。それは明治14年当時の「札幌育種場と物産局周辺概略図」というパネルである。
その概略図の中で私の目にとまったのは、「ホップ園」と「ブドウ園」だった。ホップ園については、当時すでに開拓使として正式にビール醸造が始められていて、それが今のサッポロビールの始まりであるというのは有名である。ところがホップ園以上に面積が広く目立ったのが三カ所のブドウ園だった。さらには「ビール醸造所」の横には「ワイン醸造所」が建てられていた。
ビールについては前述のとおりだが、ワインが北海道でつくられていたとは初めて聞いた。日本のワイン醸造の歴史の中にも出てこない。
これは当時の北海道ではワイン用のブドウ栽培ができなかった、ということなのだろうか?それとも?
パネル展のもう一つの特徴は、お雇い外国人のことではなく、開拓使の一人で麦酒醸造所や葡萄酒醸造所、製糸所などの設立に関わった「村橋久成の展示が多いなぁ」という感じに若干の違和感をもった。
ところが翌日の新聞にパネル展のことが載っていて、主催が村橋久成を研究する「北海道久成会」だと出ているのを見て、納得した。
※ 知事公邸の前庭に建てられている村橋久成の胸像です。
会場には取材する道新の記者に熱心に説明する、おそらく会の代表の方だと思われる方がいた。私はその方に、今もっとも疑問に思っていることを率直に尋ねた。それは開拓判官島義勇が立った「コタンベツの丘」はどこだろうか?という疑問だった。その方は即座に「それは今の円山でしょう」と明快に答えてくれた。
諸説ある「コタンベツの丘」だが、私たちの講座では「円山」で統一していきたいと思う。