人としての義、家族への愛、友との友情…、浅田次郎特有の人情味あふれる作品の映画化である。貧困ゆえに盛岡藩を脱藩して新選組に入隊した吉村貫一郎の可笑しくも悲しい男の物語である。
コロナ禍で各種の講演会や講座は軒並み中止になるし、さりとて雪のフィールドに出ようとしてもここ数日は吹雪に見舞われ足止めを食わされてしまっている。そこでBSプレミアムで放送されたのは昨年10月4日とずっと以前なのだが、まだレポしていなかったこの作品を今日もう一度見直し、本日の投稿とすることにした。
この作品は2002(平成14)年に制作されたが、浅田次郎の原作を、中島丈博が脚色し、滝田洋二郎がメガホンを執った映画である。なお、この作品は2004年の日本アカデミー賞作品賞を受賞している。
映画は主人公の吉村貫一郎(中井貴一)と同じく新撰組隊士であったが、何かと吉村を忌み嫌う斉藤一(佐藤浩市)が回想する形でストーリーが進む。吉村貫一郎は盛岡藩の藩校の剣術師範として勤めるも家族を養えぬほどの貧困から逃れ金を稼ぐために脱藩し、新撰組に身を投じた、となっている。このところが映画(原作)では吉村の生き方を貫く礎となっている。しかし、私はこの部分に若干の疑問を持った。盛岡藩はけっして豊かな藩ではなかったかもしれない。しかし、いくら下役といえども藩士が妻子を養えないほどの薄給に遇するだろうか?史実を調べてみると、吉村は藩命により江戸に出仕し北辰一刀流の千葉道場で剣術の修養に励むが、藩より盛岡への下向を命じられて直ぐに出奔している。このことから吉村は江戸に在住していて尊王攘夷派(討幕派)の台頭を感じ、佐幕派の一人としてその盾になりたいと新撰組に身を投じたのではないだろうか?というのも浅田次郎はこの作品の執筆にあたってフィクションとして書かれた子母澤寛の「新撰組物語」を参考にして、さらに浅田自身の創作を加えたということだから…。
という史実はあるようだが、映画のストーリーは吉村が可笑しくも悲しいほどにお金に執着し、そこで得たお金を故郷の妻子に送っている。その可笑しくも悲しい一人の男を中井貴一が好演している。また、冷めた目をして吉村を視る役の佐藤浩市もはまり役と見えた。
吉村が画面で義を語ることはほとんどなかった。しかし、彼の中には佐幕派の一人として使命感には燃えていたはずだ。でなければ、いくらお金のためといえども命を賭した日々を送れるはずがない。しかし、時代は討幕派が勢いを増してゆき、新撰組など佐幕派は追い詰められていく。そして吉村貫一郎の運命は…。137分という長尺映画だったが、少しも長く感ずることなく、映画に入りこめ、楽しませてくれた映画だった。
※ 掲載写真は例によってウェブ上から拝借しました。