安足間駅 ⇒ 真勲別バス停 トレッキング期日 ‘20/9/12
今回のトレッキングの最終日である。前日の頑張りもあり、目的地の上川町に意外に早く到達した。そこで歩を先に進めることにした。単調な国道歩きではあったけれど、予定よりかなり層雲峡に近づいてトレッキングを終えることができた。
※ この日のスタート地点となった「安足間」駅です。
この日は今回の3日連続トレッキングの最終日であった。朝、車中泊をした「当麻道の駅」から車を「安足間(あんたろま)駅」に移動し、6時30分トレッキングを開始した。
この日は気温が下がり、手持ちの温度計は14℃を指していて、肌寒いほどだったが歩き始めると寒さはあまり感じず、むしろトレッキング日和といった感じだった。
歩き始めて10分も経過しただろうか?「愛山渓(温泉)入口」に到達した。昨日ここまで到達したかったと考えたところである。大雪山の山について私は詳しくないが、愛山渓温泉は「北鎮岳」や「愛別岳」の登山口であり、さらには大雪山系の縦走路入口としても登山愛好家たちに良く知られたところのようである。
※ 愛山渓(温泉)入口にあるドライブインです。
愛山渓入口を過ぎて直ぐに「ヌクモ」と称する施設があった。場所は以前に「東雲小学校」があったところだ。私は以前からこの学校の前を通るたびに「しののめ」という素敵な学校名が気になっていた。現在東雲小学校は廃校となり、その校舎をリノベーションして新しいタイプの公民館「大雪かみかわ ヌクモ」として活用されているとのことだ。
※ 新しいタイプの公民館「大雪かみかわヌクモ」の建物です。
スタートから約40分、一つの目安としていた「上川大橋」に到達した。橋上から石狩川を眺めると川幅がずいぶん狭くなっていた。石狩川もかなり上流まで遡ってきたことを感じた一瞬だった。
※ 「上川大橋」から見た石狩川の流れですが、その一部のようです。向こうに見えるのはJRの鉄橋です。
単調な国道歩きが続いた。道路標識には上川町まで11キロと出ていた。その時点ですでに上川町には入っていたが、上川町の中心部まで11キロという意味であった。すると上川大橋から30分を過ぎた時点で上川町の「北の森ガーデン」というところに到達した。私のように上川町が通過点としてしか認識していないものにとって北の森ガーデンはすでに上川町の中心部の一部と思っていたが、どうやらそれは認識不足で、中心部よりかなり外れたところにあるドライブイン的施設であった。
※ 上川の街の外れに位置する「北の森ガーデン」です。
※ 国道沿いにあたパークゴルフ場ですが、こちらも素晴らしく整備されたコースでした。
結局、北の森ガーデンと対極の上川町の端にあたる「留辺志部橋」に到達したのはそれから30分後だった。ここは冬のトレッキングの際に、上川町からの出発点となったところだ。しかしこの時点で8時10分、当初の目的地には到達したが、時間的にも、体力的にもまだまだ余裕があったので、先へ進むことにした。
※ 上川町の市街地の外れに位置する「留辺志部橋」です。
※ 留辺志部橋から少し行ったところに紋別、遠軽方面に向かう分岐点がありました。
単調な国道歩きは続いた。周りには建物などほとんど無い国道39号線(大雪国道)を行き交う車はかなりのスピードで走り去る。辛かったのは建物が無いだけでなく、腰を下ろして休めそうなところもまったく無かったことだ。「日東」、「古川」、「元白川」と15分から20分おきくらいに現れるバス停だけが僅かずつでも進んでいることを実感させてくれる。この時点で私は11時台でトレッキングを止めてバスで引き返すことを決め、できる限り層雲峡に近づいたバス停まで足を延ばそうと考えた。
※ 国道わきにあったアスファルト製造工場のようです。
※ 国道わきに立つ、こうしたバス停が現れるのを待ちながらのトレックでした。
※ このコンクリートの残骸は、その昔石狩川を渡る「渡し」の機械が入っていた建物と思われます。冬に訪れた時は川端に残る「渡し」の跡を見ることができました。
その後、「白川」を過ぎ、「真勲別(まくんべつ)」バス停に着いた時、時計は10時35分を指していた。次のバス停を目ざすとバスを逃す危険があると判断し、「真勲別」バス停でこの日の前進を止めた。人家が見えない国道歩きは単調で精神的にも肉体的にもけっこうしんどかった。時折右手に石狩川の流れが望見できたのが救いだった。
※ 途中で石狩川で渓流釣りをする男性と出会いました。
※ 写真のように樹間から石狩川の流れをみることができる箇所もありました。
※ 干からびたミミズをずいぶん目にしました。雨が降った後の特徴でしょうか?
※ 真勲別発電所に向かう「北鎮橋」から見た石狩川の流れです。
※ 真勲別発電所の建物です。右手の山から水を落として発電しているようです。
※ この日のゴールとした「真勲別」バス停です。
さて、この日はライブレポでも触れたが、なんでこんなバカげたことに血道を上げるのか?ということについて考えてみたい。そもそもの始まりは、私が冬期間にスノーシューを駆って石狩川河岸を遡行して大雪ダムまで歩いた体験があり、その「夏バージョンをやってみよう!」というのが始まりだった。しかし、正直に言って夏の河岸遡行トレッキングは冬ほどエキサイティングなものではなかった。その理由は、石狩川河岸遡行とはいっても歩くことができるのは堤防がせいぜいである。(今回、その内側のサイクリングロードを歩くことができたが…)となると、堤防から石狩川の川面を見ることはほとんどできないのだ。代り映えのしない堤防上を黙々と歩くだけになってしまった。でも私は歩みを止めようとはしなかった。それはライブレポでも触れだが、私がやっていることは一見バカげたことのように映るが、こうした旅の形態は私たちシニア世代だからこそできる「贅沢な旅」ではないのか、と思うからだ。「歩き旅」は移動の手段としては最も非効率な手段である。敢えてその手段を用いることができるのは、時間が有り余っている私たちシニアの世代か、モラトリアム世代である学生くらいしかできない手段ではないだろうか?現役世代がもし実施しようとした場合は職を辞さねばできない旅の手段である。そして非効率な旅は費用も当然かさんでくる。と考えると、誰もができる旅の形態ではない。だからこそ、そこにこの旅の価値があるのではないか、と屁理屈を考えてみたのだが…。
ゴールは近い。長距離の歩き旅には辛さも伴うが、それも贅沢のうちの一つと考えゴールと設定した大雪ダムを目ざしたい。
この日の総歩距離 16.8km (歩数 25,192歩)