「魚影の群れ」は短編4編が収められた短編集だった。その中で最初に収められた「海の鼠」は、実際にあった話をもとにしたもので島全体が鼠に占拠されてしまう話だった。読んでいて身の毛もよだつ恐ろしい話だった…。
上述したように吉村昭著「魚影の群れ」は、動物を仲立ちとした小説「海の鼠」、「蝸牛」、「鵜」、「魚影の群れ」の4編が収録されたものである。
いずれもが吉村の筆致によって興味深く読ませてもらったが、私は特に最初に収録された「海の鼠」に圧倒された。
昭和25(1950)年3月、四国・宇和島の先端に浮かぶ小島である戸島が鼠の集団に襲われた。戸島は面積が僅か3km²にも満たない小島で、戸数が当時で416戸だったという。島では気が付いたときには島中がドブネズミに覆いつくされていたというが、その描写を読むだけで寒気がするほどだった。どのような被害があったかというと、島の住民の食料である甘藷、麦、トウモロコシ、大豆など軒並み食べ尽くされ、島の特産物である水産加工物のイリコも狙われた。また家屋や家具がかじられ、天井を走り回って冬眠は安眠妨害にも悩まされた。そしてとうとう幼児の唇がかみ切られてしまうという事故まで発生した。この状況は、札幌で過去に遭ったバッタの襲来より酷い状態にも思える。そうした中、郡や市の担当部署や大学の研究者たちは鼠の退治のためにさまざまな方法を講じるがどれも決定的なものは見つからなかった。例えば、黄燐製剤やデスモアなど薬剤による駆除。弓張式竹罠やねずみ捕網など器具による駆除。ヘビ、イタチ、猫など天敵による駆除。等々考えられるあらゆる駆除法を試したが効果はなかったという絶望的状況が描かれた。
最後は増える鼠の量に対して、島内の餌が不足するような状況となり、1063年頃になって姿を消したという。実に13年間も島の人たちを悩ませ続けたのである。
この様子を吉村はこれでもか、これでもか、執拗に描き続け、読む者の恐怖を煽るがごとくの筆致で表現した。短編とはいっても155頁に及ぶ「海の鼠」は吉村文学の中でもかなり上位の支持を得る作品ではないか、と思えた。
残る「蝸牛」、「鵜」、「魚影の群れ」も読みごたえ十分だった。ただ、「海の鼠」が実際に起こった事件を忠実に再現したのに対して、他のそれはヒントになる出来事はあったようだが、吉村の創作の割合が多い作品だと聞いた。そういう意味ではやりは事実を克明に、迫真的に描いた「海の鼠」が他を圧していたと言える作品だった。