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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

コロナ禍と憲法

2022-01-30 16:11:06 | 講演・講義・フォーラム等

 講演を聴きながら我が国は立憲民主制が確立されている国であることを再確認することができ、国(政府)が法の下でコロナ禍に対応していることを確認することができた。メディアなどで鋭い評論を展開している気鋭の憲法学者・木村草太氏の講演を聴いた。

        

 昨日午後、札幌弁護士会が主催する講演会が「かでるホール」で開催され参加した。講演は東京都立大学教授の木村草太氏「コロナ禍と憲法~自由や緊急事態をめぐって~」と題して講演されたのを聴いた。

 木村氏は、①コロナ禍とはどういう事態なのか? ②憲法と公衆衛生。③憲法と緊急事態。④日本におけるコロナ対応。といった順で論を展開された。その様はもう “立て板に水” がごとき滔々と流れるような論の進め方だった。そのため私の理解は追いついて行かず、十分に木村氏の論を咀嚼したレポにはなり得ないと判断した。

   

 そこで本レポでは、講演を聴いた私の感想を述べるにとどめることにしたい。講演の趣旨は、国民の自由権と国(政府)が発する国民の行動規制の関係について木村氏の見解を披歴するものだった。このことについて関わる憲法は第13条と第22条である。

 憲法第13条では「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とある。

 また第22条では「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外国に居住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」と国民の自由権を保障している。(下線は私が引いた)

 「但し」として〈自由を制限できる条件〉、つまり公共の福祉を優先して(つまり個人の自由を規制する)法律を立案する場合、①規制目的の正当性、②目的・手段の関連性、③規制手段の必要性、④規制の相当性、が担保される場合は自由を制限する法の成立が可能となっているとした。

   

 ここからはやや乱暴な記述になるが、我が国では憲法に基づき各種法律が整備され、国(政府)はそれに基づいて各種対応策を講じているというのが実状だと理解した。さらには国(政府)が講ずる対応策についても国会での議論・承認がなされる立憲民主制が機能しているのが現状だと理解した。

 ここで木村氏は、悪しき例として「大日本帝国憲法(明治憲法)「ワイマール憲法」を例示した。明治憲法では「緊急事態においては天皇が法律に代わって勅令を発する」(意訳)となっていた。そこには立憲制も民主制も存在しえないものである。またドイツの「ワイマール憲法」は、時の大統領によって徐々に自らの権限を拡大していき、憲法がないがしろにされていった結果、ナチス政権が誕生する遠因に繋がったとした。

 こうしたことを伺うに及び、我が国政府が例え対応が遅い、十分ではないと指弾されようが憲法(法律)を重視し、その規制のもとに各種施策を講じていることを是として捉えたいと思う。

 国民の自由が著しく侵されていると指摘されるかの国の国民と比べると、私たちは何て恵まれた国に生まれてくることができたかを改めて実感させられた。いろいろな疑義や不満が噴出する我が国であるが、我が国の立憲民主制はなにはともあれ厳守しなければならないものであると木村氏の講演から学んだ最も大きなことだった。



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