モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



飯塚宿から3里7丁、12kmくらい。 最近はあまり歩いてないから仮想も捗りません。内野宿に着きました。




宿場の入り口を構口といいますが東構口から西構口まで、ここは1kmもありません。(実際に歩きました)

地図の黄色のところ 郡屋はここから奥 内野では“ぐにや”といい 村役人の集会所があったそうです




麴屋さんの建物はここで麴を造っていたのかな? 屋根裏の小窓は別のお宅ですが風情がありました。

地図のピンクの辺りです。




石造りの道標には 大宰府天満宮米山越道 嘉永二年正月 と刻まれています。地図は紫色曲角です。

恵比寿様は元禄13年建てられ、嘉永6年4月再建、宿場の繁栄と旅人の安全を祈願しています。(案内板より)



旅籠肥前屋・・・ここが内野宿展示館 入館料100円 ビデオを見ました。シーボルトの記録などが展示されています。





小倉屋さん 質屋さんだったそうです。伊能忠敬の一行のうち3名が投宿 現在の建物は明治前期の物だそうです。

火事に備えて戸や窓に銅板が張ってあります。地図ではオレンジです。



旅籠 長崎屋さん 脇本陣でした。新聞で紹介されています。シーボルトが冷水峠越えで食べた白おこわを再現するそうです。

地図でグリーンです。



そしてこのあたりが西構口・・・小川がさらさら。。。先に見えるのは以前石橋探訪でご紹介した老松神社です。




国道側に目をやると大きな車が通っていてその先は・・・こんな空でした。シーボルトも伊能忠敬もみたかな?




次の山家宿方面は地図左側、旧冷水峠です。ピンクのハナマル「石橋」の文字!行きました。目印は大きな鳥居

ここに車を置きなさいと言われたけど ちょっとだけ入ろう。。。でも戻れない。。暫く行くとちょっとした離合場所があって。。。




少し歩くと後ろから大声で制止されました。髪振り乱した方・・ぞーっとしたからにっこり挨拶して話しかけました。

とりつく島がない。。首なし地蔵です。 私 心の中では ケチーーと思ってるから もうおばさんはいないのに八つ当たりして自分の車に傷が付きました。





あーーーーーーーくやしい  目の前に 石橋があるのに―――長崎街道も地主がいるの?

もう一度 下から歩きなおすにも ひとりじゃ怖い峠越え(山家宿へ)です。仮想で我慢しよう。 



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