モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



昭和28年西日本水害で遠賀川は氾濫し、6月 芦屋町の西川に架かる祇園橋は流失 父が繰り返し言った【心配せんでいい】を憶えています。3月生まれだから小2でした。

川向うには祖父と叔父が住んでおり暫くは渡し船でした。その後、架橋された橋(写真左)も古くなり今 現在架け替えのための仮橋の工事中です。

 

その後 西川のこの斜面は大きな岩のような石が並べてありました。 そこで幼馴染 Cちゃんと ごっこ遊び 

Cちゃんがお嬢さんで 私はなぜか婆やでした。ユリお嬢さんは野菊の花を耳飾りにしていました。配役はいつも同じです。

 

そのCちゃんが 私の75歳の祝いに贈ってくれた 桔梗の絵  中3の時に引っ越して今は 奈良に住んでいます。

 

西川を4㎞位遡上した 遠賀町です。 妹一家が住んでいます。左側が下流芦屋町です。 

 

集落をつなぐ橋の下を通り この後 国道3号線の下も通り抜けます。妹んちからの5,000歩ウオーキングです。

 

 

そしたら 鹿児島本線の鉄橋があります。(緑色) その向こうの赤煉瓦橋脚が旧鹿児島本線です。

 

就学前からの幼馴染が3人いました。家の前の悦ちゃんは亡くなったけど 2人は今でも 途切れることなく友達です。

 

電車が来ました。右から左に・・・ 右が水巻駅 左が 遠賀川駅 鹿児島本線下りです。

高校1年の1学期だけ 汽車通学 当時は赤煉瓦の橋台の上を通っていたんですね。

 

いつも一緒のK子ちゃんは 今は東京に住んでいて彼女も絵を描いています。

 

今度は上りが来ました。 川の流れのように・・・ひばりさんの歌がありましたね。

今夜(24日記す) 月夜で明るく、夜なのに鱗雲が広がって 昔のことを思い出しました。

 

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