加藤神社を左に見て、加藤清正かなぁ。。と思いつつ石塘(いしども)橋...渡りながら親柱に石橋の匂いがしました。。
工事中です。でも隙間から見るとまぎれもなく橋脚が石です。
反対側を観ました。。すごいものを見つけてしまった。。。なんとラッキーな。。
上の写真では分かり難いのですが、せきとめてあります。対岸からの分をご覧ください。
目を左に向けるとまだあります。。。同じ所です。。教育委員会の案内板がありましたので 緑色文字で転記します。
石塘
往時菊池川の主流は横島山と久島山間を流れていた。加藤清正は菊池川の水路変更と石塘築堤によって数百町歩の耕地が出来ることに着眼し、天正17年(1589年)工を起し17年間の歳月をついやし慶長10年(1605年)これを完成した。
ここもせき止められています。
その間横島久島間約400米の築堤は最も難工事で人柱と読経の加護によって築かれたと言い伝えられている。
こちらもせきとめてあります。
横に公民館があり お掃除をされていたのでお話をお聞きしました。石塘橋.....石の塘(つつみ)と思ったら 地区の小字が石塘....いしどもでした。。
山の上にはお経をあげた経塚があるそうです。玉名市横島町 京泊 石塘 です。。。
進むたびに広がるのでびっくりしました。
人柱の跡
加藤清正公の小田牟田新地干陸で最も困難だったのは石塘の潮止工事であった。築いては幾度となくこわれるので人力では如何ともしがたく古例にならって人柱を入れ横島山頂より読経して潮止めに成功したという その場所がここであると伝えられる この築堤に当たり多数の犠牲者と人柱に立った人の霊を祀ったのが大園にある本田大明神である。
横島町 教育委員会 横島町 文化保存顕彰会
人柱....フィクションの世界の言葉としてさりげなく見聞きしていましたが、現実に見るとき・・・石橋好きの私は胸にズンと来ました。
最初の橋を逆方向から来たときにはこうみえます。
そして もしも逆方向の道路から走っていたらこんな美しい風景ですから必ず目につくでしょう。。
左側の柵のように見えるところも石です。
全景です・・・・偶然見つけましたが恐らく1度きりの出会いでしょう。。瞼に焼き付けておきたいと、ここに立ちもう1度。。
この場を去り難く、暫く この景色を眺めました。。覚えておきたい景色を切り取ることができる写真・・・
省くことができず、今日も多過ぎる写真をご覧いただきありがとうございました。