モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



高校の同級生と、その姪っ子 裕子ちゃんと3人で・・・夕方 6時ごろの出発 夜中に鹿児島に着いても困るので 水俣でビジネスホテルに泊まり 翌日6時半出発・・・

最初の目的地 水俣(まだ熊本県です) エコパーク水俣バラ園 

 

 

こんなに広くて 素晴らしいバラ園で しかも入園無料 (維持費の協力金募金箱があります。)

 

 

ゴールデンウィークの5月3日 渋滞を避けるため時間調整 7時ごろに着いています。 受け付けはないから入れます。

牡丹のような大輪でした。 イブピアッチ という品種 マスク越しでも強い香りがします。

 

こちらは まるで 椿のようでした。 

 

舟形の台です。 ここの手前で従業員の方が 樹のように立派なバラを掘り起こしていました。虫がいてダメになったって・・・友人が話を聞いています。

私は虫は見たくないので無視です。でも怖いもの見たさに離れた所から見ると 貝のようなのがみえた・・・

 

舟の名前がさなぎ なぎさ? やっぱりさなぎ、虫と聞いて そう見えてしまいました。 あさなぎ かな

 

テラコッタ という品種 友人の家に 以前あって、私は 茶色オレンジ赤の色が 大好きでした。

 

さぁ 鹿児島県 目指すは薩摩川内市の石橋です。(コースはドライバーの裕子ちゃんにお任せですが 私の希望で・・)

阿久根市を走って 最初の休憩 道の駅 阿久根 まだ早すぎて お店は開いていませんでした。

 

海は東シナ海 目の前の島がどこか聞きたいけど 誰もいない ・・・私は 甑島じゃないかと思っています。

ブログ友の chiroさん 教えてくださいね。 ぼーーっとしか見えないけど・・・

 

走行中に車窓から・・・ 島じゃなく岩ですが、鯉のぼりがありました。5月3日のことです。

 

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています。



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花巻市ではおなじみ 宮澤賢治ゆかりの地の印の案内板です。 大きくしても見えにくいので 書き写します。

賢治は、花巻農学校の教師時代とその後羅須地人協会時代に、幾度となく足を運んだそうです。この地方の「市」として古くから賑わったのは清水寺の門前で、賢治も陰暦の六月と七月に催された清水祭(宵宮)の盛況ぶりを「田園浅草」と名付けて、教え子を連れて何度も出向いたといわれています。 (案内板より抜粋)

 

 

天台宗のお寺さんでした。 花巻駅から乗ったタクシーには待っていただいてます。 拾えるような場所じゃないのです。

 

広い境内のあちこちに 色んな石仏や石塔があって 気になるけど きりがありませんね。

 

車道から入ったので いったん出て入りなおします。 

 

奥のほうに山門とその奥に本堂が見えます。

 

阿吽の狛犬さんです。

 

立派な山門です。奥に本堂が見えます。

 

門の両側の阿吽の仁王像です。

 

そして本堂です。

 

本堂前から山門を見ています。 垂木が美しい・・・

 

賢治さん関連のお寺さんですから もちろん 御朱印を頂きました。

 

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花巻旅行2日目 まだ盛岡編です。ここは いーはとーぶアベニュー材木町 です。賢治さんを見つけました。

 

石座 花崗岩 

石のコレクター賢治、数十億年の地球の歴史が凝縮されている石、一つ一つの石が語るドラマに魅せられて思いにふける賢治座像 (案内板より)

 

その前に 光原社があります。中央が玄関ですが 左の方から奥に抜けられるようになっていました。

 

宮澤賢治イーハトーブ童話註文の多い料理店出版の地 の石碑です。

出版の地

 

こちらの石碑の碑文 童話「烏の北斗七星」です。

ああ、マジェル様、どうか、憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません。

 

もう少し奥に行くと 書道部の生徒さん達の作品 賢治さんの詩 が沢山ありましたが の花びら です。

 

そして 雨ニモマケズ 5日に公開された映画 【銀河鉄道の父】 早速観ましたが 賢治臨終のときに 父親が賢治さんを抱いて 耳元で大声で アメニモマケズ カゼニモマケズ・・・・とこの詩を熱唱?します。

 

 

チェロもあります。 多分全体を星座に見立てているようで これは 音座 と書いてありました。

 

これは星座 ならば これは セイザ じゃなくて ホシザ かな? 花座もあったから。

 

光原社は 裏の川まで続いていました。北上川です。 右奥に見えるのは 夕顔瀬橋です。

 

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もう歩けないほど歩いて ようやく着きました。 もりおか 啄木・賢治青春館です。

国指定重要文化座(建造物) 旧第九十銀行本店本館 

 

 

あいにく 十数名のグループの方が 入った後です。 入館後 彼らの終わるのを待って ドームのようなブース友人と二人 入ります。 

 

中は小さなプラネタリウムのような感じです。 

星めぐりの歌のメロディーが流れています。 岩手公園 この建物 石割桜 など盛岡の観光名所  よだかの星 白鳥座 銀河鉄道 などが 回り灯篭のように流れて変わっていきます。8分間

 

見慣れている肖像と少し感じが違いますね。 若いですからね。

 

啄木もありますが 割愛します。

 

二つ前の記事の 岩手公園 の 詩の一部です。岩手公園(盛岡城跡)内の詩碑にありました。

 

事前の情報で 高校生が考える賢治さん の催しがあったので 二階に行きました。

高校生が 一生懸命研究したのですから写真は自主規制しました。

 

そして・・・ 応援の意味で この書物を買いました。

 

カフェのコーナーがあったので 休憩 南部せんべい とコーヒー  これは後で ラッキーだったのです。

お昼に わんこそばを いただく予定だったけど満員  遠賀川筋の人間は 並んでまで食べません。

 

お知らせ 今日から 【銀河鉄道の父】 の映画が始まります。 

 

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ちょっと賢治さん旅日記を一休みして・・・ 近場宗像の 宗生寺さんです。曹洞宗のお寺さん、 

 

 

本堂です・ 以前 中でご住職のお話をお聴きしたことがあります。 今回は 17年ぶりの 馬頭観音さんのご開帳でした。

本堂の右側から 空に上るように 石段を登っていきます。

 

大観音堂 紐は馬頭観音さんと結ばれて 私たちが 触れるものです。

 

33年に2回 17ぶりの 馬頭観音さん 遠くから撮ったもので写真で確認できませんが 三面八臂の馬頭観音さんです。

 

塗り替えはされているでしょうが 彩色が美しいです。

 

鐘楼です。この日の連れは 妹です。

 

鐘楼から見た 大観音堂です。 ひもの繋がった先でも、お願い事をしました。 

 

宝物が展示してありました。 珍しいものです。

 

下りの階段はやめて つつじの自然道を 本堂まで下りました。 そこでご住職の奥様と暫く座り込んでお話ししました。

前回ご住職によると 許斐家 小早川隆景 黒田家 その三者のお参りを今でも毎日なさるとのことでした

 その時の記事 よかったらご覧くださいね。

 

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さぁ もともと 啄木と賢治の青春館 が開館前だったから散策していたのです。 降りようと思った時です。 

お嬢ちゃんが お膝歩き。 抱っこされたいのですか? ってママに聞いたら そうじゃないって。 このまま見えなくなるまで進みました。 おズボン やぶれてないかな?

 

方向音痴ですからね~ 賢治さんの詩碑が見つからず 諦めていたところ ありました。 入口と思っていたら出口に。

元々 入口、出口なんてないのに思い込んだだけでした。【岩手公園】盛岡城跡のことです。

 

弧光燈(アークライト)にめくるめき 羽虫の群のあつまりつ 川と銀行木のみどり まちはしづかにたそがるゝ

 

道路に出ました。下ノ橋のほうに行きます。      

 

橋のたもとに・・・ 賢治清水 です。 リストアップしていたけど 偶然目の前にありました。階段の一番下 左 パイプから水が出ています。飲んだ後ペットボトルを空けて いれました。  

 

そこに 歌碑があります。ちゃんがちゃがうまこ 宮澤賢治 自筆 と書いてあります。 自筆・・・

 

 

反射したのが映り込んでますから 見やすいところ ズームしますね。賢治さんの自筆です。方言がいいですね。

 

夜明げには まだ間あるのに 下のはし ちやんがちゃがうまこ見さ出はたひと。

ほんのぴゃこ 夜明げがゞった雲のいろ ちゃんがちゃがうまこ 橋渡て來る。

いしょけめに ちゃがちゃがうまこはせでげば 夜明げの為が 泣くだぁぃよな氣もす。

下のはし ちゃがちゃがうまこ見さ出はた みんなのながさ おどともまざり。

 

目の前が その下の橋です。

 

 

清水のところに 井戸があるとあったので探します。 この井戸です。 弟の清六さんと一緒に暮らしたんですね。

井戸の右と書いてあるけど 真ん中の建物かな 表札を見て回ったけど 玉井家 わからなかった。

 

なんかなんでもない風景を沢山 撮りました。この辺に確かに居たと なんか息吹のようなのを感じます。写真は割愛します。

 

新渡戸稲造生誕の地でもあり 色んな史跡がありましたが 代表して 銅像です。

 

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています。

 

 



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