鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

永六輔さん、

2017-01-10 15:56:37 | 思いつくまま

 きょうは午前中は風が強く吹いたりしたのですが、午後前からはやんでくれて、打ち合わせ会には自転車で行く気になりました。 空気もまださほど冷たくはなかったし。 ただ、天気はこれからですね、下ってくるのは。

             (午前9時20分頃)

 

 ああ、そして14日の大作八幡宮のどんと祭。 必死になって立ち続けないと、自分にも風邪にも負けてしまいそう。 夜中は零下となりそうとか。これも試練ですね。

                

 

 そうそうきょうからまた学校が始まりました。きょうは給食がなく、午前中で下校したようです。 こたつに入っていても、外を歩いて学校に向かう子どもたちの話し声が聞こえたり、2,3人で登校する姿が見えます。 元気ですね。

  

                

 もう1月も10日、中旬となってしまいます。まだ幕の内とはいえ、本当に月日の経つのは早いですね。何でこんな意早いのか。 早いと言えば朝が来るのも早いと感じませんか? 何か寝たと思ったらもう朝か!という感じです。

 またこの頃はいろんな夢を見ているようです。朝方は覚えているのですが、もうすっかり夢の内容は忘れています。 それでいいのでしょうか、いいのでしょうね、受け入れます。

 

 

 1月7日の朝日新聞の土曜版特集に大きくこういう記事が掲載されていました。読んだ方もいるかと思います。

                   

 

 永六輔(呼び捨てをお許しください)と言えば、ラジオ番組、そして旅、日本全国のグルメとか温泉とかとは無縁の、いろんな人たちとの出会いを求めての旅ですね。 脚本や段取りとはまったく無縁の旅だったようです。そういうのをとても嫌ったようです。

              

 木綿の手ぬぐいに下着を2セット、風呂敷と手帳を入れた小さなカバンという出で立ちで、50年近くも歩き続けたそうです。 タオルでなく木綿の”手ぬぐい”というところがいいですね。いかにも尺貫法に拘った永六輔そのものです。

 

 沖縄には戦後すぐから何度も足を運び、沖縄に寄り添っていたということがウチナーンチュの人たちは知っていた、そうです。 下の写真は、2000年頃の家族での沖縄旅行のものだそうです。

        

 妹さんが言うには、永六輔は家族や気を許した人以外の前では、決してものを食べませんとのことです。人前で食べることを恥と考えていたようだと。 ここまで書いて来てふと思い出しました。 

 私を彼のように素晴らしい人間と思っているということでは絶対にありませんが、かって(また出ました、昔話が)中年以前のことかなあ~、ニンゲンは食べなければ生きられない生き物であるのですが、動植物の命を頂かなければ自分の命を全うできない生き物ですが、そういうニンゲンが食べる姿を見て、若かりし頃は感受性がきわめて鋭かったのかもしれませんが、とっても醜い、醜悪そのものだという観念に囚われていたことがありました。

 それは他人ばかりではなく、家族でもそうでした。異常だったのでしょうか? 何と醜いことかと思いながらも、では自分はどうしたのかというとそれでも自分も食べるのです。同じ仲間なのです。食を拒否する何てことはなかったのです。

 なんて勝手ないい加減なことかとも思うのですが、実際そういう観念に囚われていた時期がありました。 でもそのときでも可笑しいかもしれませんが、赤ちゃんが食べる姿は何ともなかったというか、それ以上に極めて微笑ましいというプラスの感情を抱いていました。

 赤ちゃんとそれ以外とを区分していたのですが、その理由は今となっては知る由もありません。 「恥」と感じることと少しは相通じるところがあるのかなあなんて思ったりした次第です。

 

 実はこういう本を先月読んでいました。 読んだ人はいますか。

        

 まだ読んでいない人には是非とも読んで欲しいなあと思っています。 詳しくは次回以降にさせていただきます。

  

 参考までに、去年このブログでも取り上げていますので、興味がある方は検索して見てください。 2016年10月18日 と 7月21日 です。    

           

 

  

 

                          

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする