鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

永六輔の伝言のはずが、

2017-01-12 15:54:30 | お知らせ

 きのうからの積雪は4,5センチくらいで大したことはなかったです。助かりました。日中も細かい雪が舞ったり止んだりの繰り返しでした。 空気は当然のことながら冷えています。 今日の最高気温は何度になったのか分かりませんが、天気予報ではきのう同様3度くらいのようです。

   (松飾もこんな状態でした) 

 きのうは最高気温が3.1度で、最低は△0.7度でした。 きょうあすあさってと寒い日が続きます。とくに今度の土曜日日曜日はセンター入試の日ですか。 受験生は大変です。 一番寒いときに私見ですから、健康管理も大変ですね、本人よりもまわりの家族の方が何かと心配かもしれません。

 (堤防に上ります)

 我々の頃は、何月に試験があったのでしょうか? 2月中旬頃かなと思います。そのころにまず国立の一期校の試験があり、不合格の人は3月ころの二期校の試験に臨むというパターンでしたか。 まあ私は頭が悪かったせいで、一浪しても国立の一期校には全く縁がなく、いわゆる駅弁大学と卑下していた二期校に入らざるをえなかったわけです。

 

 家が貧乏だったので、浪人は一浪のみで、入学先はみちのくの国立大学という条件がありました。 昭和42年入学かな。 仕送り節約のため、大正時代に建てられた木造2階建ての寮に入りました。 経済的な理由からそれしか方法がなかったです。

 

 でも、今と比べたら物価は安かったから助かりました。 何しろ1ヶ月の寮費はたったの”100円”でした。 これで水道光熱費は無料でした。今にも倒れそうな、2回を人が歩くと揺れてしまい、最初はとっても不安で、落ち着きませんでした。

 

 当然食費はかかりますが、学内にあった学寮だから助かりました。3食学寮で食べられたのですから。 今の人が聞いたらわが耳を疑うでしょうね。 一日3食の食費はナントなんと何と””120円””でした。 これでほぼ十分食べられました。

 

 朝食は30円、昼食は40円で夕食が豪華で50円でした。だから30+40+50=120円ということになります。でも12畳に5人という入居状況で、100人以上は入寮していましたから、いや200人以上はいたかな、だから食事は早い者勝ちというか、ご飯はどんぶり飯でしたが、味噌汁は今の学校給食みたいな大きななべから各自が取り分けます。 だから遅くなると、みそ汁の具はほとんどなく汁ばかりということになります。

 

 120円 × 30日 = 3,600円  3,600円あれば1ヶ月飢えることはなかったのです。 今となっては信じられませんが、古き良き昭和の時代があったと言っていいのでしょうか。 その代わりと言ってはなんですが、静かに勉学に勤しむなんて環境ではなかったです。

 

 全国的に学生運動が盛んで、全学連も民青系(日本共産党系)と反民青系に分かれていましたし、3派全学連や革マル派、中核派の全学連もありましたが、全学連を乗り越える形で”全共闘”等のノンセクトラジカルの組織が当時一世を風靡しました。

 

 と書けばどういうことがあったのか、大体予想がつくのではないでしょうか。 それはそれとして、当時の日本育英会の奨学金は2種類ありました。 月に3,000円のものと、8,000円(もしかして7,000円?)のものだったかな。 その8,000円の奨学金は高校生のときから申請していなければすぐには受けられなかったのではなかったかな。

 

 それを知らなかったもので、大学に入ってから奨学金の貸与の申請をして、最初は月3,000円の奨学金を、1年か2年経過してからは8,000円の奨学金の貸与を受けて助かりました。 やっぱり8,000円ではなく、7,000円だったかな、(スミマセン、いい加減で)だから寮生活をしていれば奨学金だけでもやって行けたのです。

 

 今の奨学金”地獄”を耳にするにつけ憤りが湧いてきます。一体何のための奨学金なのか?!それがあいまいになっている。4年間で400万とか500万もの借金を背負い、就職するということになります。待ち構えているのはタダ働き、サービス残業、名ばかり店長、セクハラ、パワハラ、こんなにも将来の日本を背負って立つ若者たちに冷たい政府って一体何でしょうか。

 

 こんなに若者たちをいじめ、追いつめて何があるというのでしょうか。ようやく給付型の奨学金を少しばかり増やすようではありますが、焼け石に水の状態です。 まあ確かに学生の数が50年前とは雲泥の差があるといっていいのでしょうか。 大学全入時代で、すべてに対応はできなくなったのは事実でしょうがそれでも若者に冷たすぎます。そのうち絶対にしっぺ返しが来ますよ。

 

 そうそう授業料の、私に言わせれば”暴騰”がけしからんことで、それが全ての元凶の元になっているのでしょう。 これは文部省よりは大蔵省の暴挙にほかなりませんが、自民党もそれに加担しているわけです。 国立大学の授業料が安すぎるから、私立大学並みに引き上げろという大蔵省の論理でここまできてしまったと思っています。

 

 今の授業料はいくらなのか、子ども二人のときいくら払ったか思い出せませんが、40万。か50万円くらいだったでしょうか。もう少し安かったかな。 私の時代の、むかし昔は、12,000円でした。年間の授業料です。月にすればひと月1,000円でした。

 

 これでいいのでしょうか。 選挙権の年齢が18歳に引き下がったので、若い人たちの意見や考えを表明しやすくはなったはずですが、まだまだ全く生かされていないと言ってもいい状態です。

 

 なんか話しが古臭い、むかしむかしのお話しになってしまいました。完全な脱線ですね。表題から外れてしまって申し訳ないです。

 

                   (雪景色は午前9時頃です。)

  子どもに言いきかせるために書いた感じですが、若者たちに何とか奮起を促したいという強い気持ちが根底にあります。 若者たちの意識改革なんて言ったら嫌われますが、それでもこのままでいいはずがないと強く思いますので、これからも拘って行きます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする