今日の野良猫;いつもの日当りのいいところにいました、群れて。
睨んでいます。
朝晩の冷え込みは以前として厳しいですが、きょうの日中の天気は感じがいい天気で、気温もそこそこ上がってくれました。 陽射しが眩しいです。
午前中は近くの市民センターで打ち合わせをしました。午後は本当に久しぶりにいとこ夫婦が訪れてきました。いとこと言ってももうお互いにかなりの高齢でもあります。お互いの無事を確かめ合いホッとしたところでございます。
我々世代はいいとしても、子どもたちの時代にはもうお互いのいとこ同士でも頻繁に会ったりすることはなくなるのでしょうね。そういう意味では家族のありよう、社会のありようが確実に変化していると感じます。
もう現代ではバラバラになった親族等は、共同体を再構築することは無理でしょうし、ますます孤立化というか個々バラバラになって、まとまるということは、つまりは共同体を形づくるということはありえないのでしょうね。
大家族制がよかったなんて言っているのではありません。戦前の大家族制、天皇を頂点としての家族制度なんてまっぴらですが、縦型ではなく横型の地域でのコミュニティはやはり必要ではないかと思います。
つまりは家族や親族の枠を超えて、地域でのコミュニティですか、それは必要ではないかと思った次第です。何にしても人付き合いというものはある意味でとっても面倒くさいことでもあるわけで、つかず離れず、ほどほどの距離を保ちながら、必要なときにお互いに助け合うという共同体がつくれればいいなあと思ったりします。
話しがまた逸れていきました。(わかったようなわからないようなことですみません。)
きのうだったかな”声”欄にこういう投書がありました。つけられた標題が「原爆の現実知った米国の友人」です。79歳の女性はかって「米国の友人夫妻を広島の平和記念資料館へ案内したことがあります。・・・。2人は原爆の力で日本に終戦を決意させた米国の偉大さを実感したかったのが本音だったそうです。」と書き始めます。
しかし、「見学後、2人の心は大きく変化しました。・・・・・・・・、三輪車ごと熱戦で焼かれた3歳児と自分の孫を重ね涙がとまらず、言葉を失い立ち尽くしていました。」
それだけ原爆の非人間性に押しひしげられたため、「2人は『広島の人々に憎しみと復讐の念で石を投げつけられるだろう』と震えていました。」と続きます。
しかし、「2人は『広島の人々の優しさと平和への願い、原爆反対をできるだけ多くの人に伝えたい』と言っていました。」
ということで、14日の投書「米国の子供たちを広島・長崎に」に賛成するというものでした。
またきのう19日の朝日歌壇の歌です。
「泣かぬだけなお悲しきは少年の背負う弟死者なればなり」 (佐賀県・白武留康さん) 長崎での原爆で亡くなった弟を背負って立つ少年、「焼き場に立つ少年」を歌ったものです。