鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

見ましたか、映画「野火」

2019-09-02 16:55:41 | 思いつくまま

           

 

        

 夜中から雨降り。 日中も降ったり止んだり。 梅雨そのものという感じでした。 最高気温も24.7度のようで、それは深夜の午前0時31分に記録したものです。 昼でも23.5度までしか上がりません。 きのうの最高気温は31.3度ですから、8度前後も低くなっています。

 

     

 きのうは降伏文書を紹介させていただきました。1945年9月2日に署名したものですが、降伏文書の”日時”の部分を書き写しておきます。

 

 『千九百四十五年九月二日午前九時四分、日本国東京湾上に於て署名す』 となっていて、その後「重光葵、梅津美次郎」の署名があります。 9月2日の午前9時4分に米戦艦ミズーリで署名したことになります。

 

      

 

 9月2日降伏文書に署名した日だからということではないのですが、この前大岡昇平原作の映画「野火」見てきました。仙台フォーラムでの最終日に何とか見ることができました。8月29日ですか。 新しい「野火」の監督は 塚本晋也 です。主人公としても出ています。

    

 「野火」というと、どうしても思い出す映画は市川崑監督の映画ですね。後で調べたら1959年の製作となっていました。でも字際に映画を見たのはテレビからです。日本映画専門チャンネル(552CH)で放送した映画だと思います。

 主人公は誰だったかは忘れたものの、中でも強烈な印象を持ったのはミッキーカーチスですね。なぜか結局彼が極限状態で行ったこと、人肉食の兵隊だったからです。(あとで分かりましたが主人公は船越英二でした。) 敗残兵をサルと称して、鉄砲で狙い撃ち、人肉を干してサルの肉として食していたわけです。

 あのハイカラな風貌のミッキーカーチスの人肉食の兵隊を演じている姿、逆にそれだからこそ印象が強烈だったのかもしれません。当時の映画は当然白黒映画です。今回の映画はカラーです。 (カラーの出初めのむかしは「総天然色」映画と言っていましたね。 70ミリ映画・総天然色映画というと「ベンハー」ですね。)

 

 カラーで見る腐敗した兵隊、腐った吹き飛ばされた腕、それに群がる蛆虫、それを見て思わず食べたくなって手を出したくなる場面なんか強烈でした。 そこまで現地の兵隊を追いつめた戦争という現実。戦争は決して美化できるようなものではないのです。

                  

 銃弾や砲弾に吹き飛ばされた死体は醜悪そのもの、見るに堪えないものであり、”玉砕”何て言って決して美化できるものではありません。靖国神社に祭られる?ふざけるなといいたいです。兵隊として出征し、戦地に赴いたのに、満足な武器弾薬もなく、戦うことよりも山間地帯、ジャングルを逃げ回り、食料も無くなり、病気になり、動けなくなり、遂には餓死してしまう。

 

 兵隊としてそれなりに十分な武器弾薬で敵と戦って死ぬとかいうのでしたらまだしも納得いくでしょう。 兵隊なのに逃げ惑い、ついには病死、餓死する、こんな理不尽なことがありますか。 それと満足な護衛船もないままに南方に送られ、途中で潜水艦の標的となって海の藻くずとなって消えてしまった兵隊、病死、餓死、溺死した兵隊たちに申し訳が立ちますか。

                

 ちょっとした想像力を働かせればいかにひどいことか、酷すぎることか、分かるはずです。大本営の作戦参謀たちの無理難題無知な作戦の数々。今でももっともっと責任を問われてもいいのではないですか。

 

 それなのに丸山何某は、北方領土だけでは懲りずに、竹島についても戦争で奪い取れとかいうようなことを言っているようです。全く呆れてあきれてこれが国会議員何だと思うともう絶望するよりほかはないですね。エリート官僚から政治家への転身組ですよね。頭はいいのかもしれませんが、想像力の無さはまさに絶望です。

                

 最後に、監督の塚本晋也のチラシの言葉を掲載させていただきます。

 『 戦後70年で公開しました「野火」。 そのときすでに戦争にいかれた方々はほぼいらっしゃらなくなり、戦場での恐ろしいできごとが忘却の彼方に消し去られようとしていました。

 それから丸4年。記憶はさらに遠くなり、戦争で起こったことはさらに遠くへ押しやられ、戦争の痛みを想像することができずにその道に突き進んでしまうことへの不安を感じます。さまざまな考え方がありますが、まずは「野火」を見ていただき、戦争の実際の恐ろしさを体で知っていただくーー。その必要を感じています。

 常に考えていなければいけないことではありますが、せめて1年に一度、戦争で起こったことを想像していただく機会にしていただけたら、と思います。そこには絶対近づかないようにするためにーー。

 ぜひ、劇場の大きなスクリーンと音響で、体感してくださいませ。   塚田信也  』

 

 


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