鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から、8年6か月

2019-09-11 14:49:20 | 思いつくまま

 

 135億年前の銀河だそうです。宇宙観測史上最古の銀河とか。そういわれても全くピンときません。)

 

        

 いやあ、参ってしまいますね、この天気の変わりよう。 気温の変動の激しさ。今午後2時50分頃ですが、今までの最高気温は朝の7時41分に記録した 25.3度 となっています。時間の経過とともに気温は低下して、お昼は22.9度、午後2時は20.5度となっています。

 

     

 きのうのお昼は32.8度、午後2時は32.4度もあったのです。10度から12度近くまで低くなっているじゃないですか。半袖では膚寒いくらいで、お昼寝するにしてもしっかりと掛けないと風邪を引いてしまいます。

 

 さっきのラジオでは気象予報士が今日のこの涼しさは”夏との訣別”の涼しさとか言っていました。いよいよ夏ともお別れのようです。 きょうは9月の11日、9月長月も中旬に入ったというのに、まだ1回も川に入っていない、鮎釣りをしていないのです。広瀬川の鮎釣りは、もうすぐお仕舞いというのにです。

       

 

 広瀬川に入ろうとしても水量を見ると竿を出す気になれませんし、日程等を調整して小国川に行こうかなと思っても、向こうの天気の状態も良くないようですし、、、なんかこのまま終わってしまうのかな…と悲観的になってきますが、かなり現実味を帯びています。 いっそのこともう仕掛け等を仕舞ってしまおうかななんてやけくそにもなってしまいます。

      

 それにしても午後からの雷雨は凄かったですね。大粒の雨が降ってではなく落ちてきて、そしたらしばらくして雷まで鳴りはじめたり、鳴るのは虫の音でいいですよね。上流域では洪水注意報まで出ているようですし。どうなるのでしょうね。

 

 例によって前置きが長くなりました。この頃朝日新聞朝刊連載小説「ひこばえ」からいろいろ引用させていただいています。原作者は重松 清さんです。 この新聞小説を読み始めてからこの作家が好きになりました。 心理描写というか、心の機微を実にうまく表現してくれます。

 変な話しですが、なぜかこの作家は山形県出身者とばかり思っていました。勝手に先入観を持ってたようなのですが、実際は岡山県出身です。失礼しました。

 だから本屋に行っても彼の名前が目につくようになってきました。先週ですかこういう文庫本が目に入ってきました。ある意味向こうから飛び込んできたと言ってもいいかな。本屋に行ってそういう経験をしたことはないですか。陳列されている、または平積されている本から自分に向かってオーラみたいなものが出ていて、買ってくれ!と言っているようなことが。

 この本は久しぶりにそういう本でした。だからすぐに読み始めました。題名は『希望の地図』です。

    

                

 まさに「被災地への徹底取材により紡がれた渾身のドキュメントノベル」と言っていい作品です。 これはじっさいの取材に基づいての作品です。

            

 まさにドキュメント作品で、これと対照的なのが何回か紹介していますが いとうせいこうさんの「想像ラジオ」ですね。 題名からしてまさに想像の作品ですが、秋の夜長にしみじみと一人で静かに読み進めていく作品ではないかと思っています。

 「希望の地図」は不登校の高校生を引き連れたライターによる、あの日から半年後の岩手県・宮城県・福島県3県の被災地をめぐる旅で、いろんなところへ行き、いろんな人と会い、いろんなことを経験していく中で少年も変わっていきます。

 悲惨極まりない被災地でも希望を失わない人々を訪ね、話しを聞き、一緒に悩み、沈黙し、共感していく中で、共鳴するものを少しずつ獲得し少年も変化していくさまが丁寧に書かれていますね。 さすが作家は凄い、組合せがうまいです。

 『報道を通じて「知っている」というレベルを「この目で見た」に変えることで、地元の人々との距離が縮まったのだ。』

 『希望というのは、未来があるから使える言葉なんだよ。』

 『「被災地」とはいったいどういう土地のことを言うんだろうな。・・・。  津波は確かに去った。けれど、土地の負った傷はまだ癒えてはいない。傷口はいまもなおズキズキとうずき、血が流れつづけている。   石巻は(気仙沼でも南三陸でも釜石でも宮古でも、もちろん福島でも飯館村でも双葉町でもいい)2012年1月8日の今日も「被災」している。明日も、このままだときっと「被災」しているだろう。あさっても、悔しいけれど、おそらく……。    人々の悲しみや苦しみは、あの日からずっと、途切れることなくつづいている。「被災」とは、過去の出来事を語る言葉ではなく、今の状態を示す言葉なのだ。   だからこそ、あらためて思う。   僕はこれからも、機会さえ与えられれば、「被災地」のレポートをつづけるだろう。2012年の「被災」の様子を伝えることで、まだ終わってないんだぞ、東日本大震災を歴史年表の一項目に収めるのはまだ早いんだぞ、とうったえつづけるだろう。』

 『町が消えた風景は、「震災前」の時代の終わりではない。「震災後」の時代の始まりの風景なのだ。』

  

 自宅の小さい花、名前を度忘れしています。 テッセンですか!

                       

 


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