鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

みちのく YOSAKOI まつり

2023-10-09 13:54:42 | 思いつくまま

   きのうの朝の澱橋付近での釣果   

 今日あたり鮎たちは慌てて下っているのでは? 

 

寒いです。天気予報通り夜からずーと雨模様でまったくさえない天気となっています。まあ、当然と言えば当然なんですよね、これから冬に向かっていくわけですから。徐々に徐々に気温が低い日が続くようになっていくわけです。

                  

 

そんなもんで、とうとうお昼前に茶の間の掘りごたつに火を入れました。火といってもほんものの日ではありません。電気の火、電気をつけたわけです。あったかい!足元があったかいということはすごく助かる、気持ちが体が安らぎます。これでみかんがあふれ出したらもう完全に冬です。

                  

 

昔々の我が家ではこたつといえば練炭こたつでした。関東地方かどこかで歴史のあるお寺の住職が練炭で殺されましたね。犯人はいろいろ考えて、これなら捕まらないだろうと思ったのでしょうかね。まだまだ塾考が足りないと思うのですが。そんなことはどうでもいいのですが。

                   

練炭こたつを掘り炬燵の中に入れて暖を取るものです。昔は練炭にも何種類かあって、豆炭とか筒状の大きいものとかありましたが、我が家では両方を使っていたかな。石油ストーブはどうだっただろうか?使ったとは思うのですが、数に限りがあったと思います。

 

寒かったとおもいますが、よく乗り越えてきたものだと感心します。昔の人は我慢強く寒さにも強かったですよね。華奢ではなかったです。小学校では亜炭を使った達磨ストーブでした。亜炭を保管場所から運んできたのは子どもたちでした。自分たちで火をつけたようにも思いますが、そこは先生か用務員さんがやってくれたかも。学年によるか。

でもまあ、大学の時は1年目ですが大正時代の寮生活でした。木造2階建てで3棟ずつ、計6棟ありました。2階を人が歩くと揺れたものです。揺れに慣れるのに時間がかかりました。12畳に5人という寮生活、よくやったものです。冬の暖房は火鉢2個で燃料は炭でした。1週間に炭1俵だったなあ。寒かった、本当に。よく耐えて生きてきたものです。

 

きのうの午後から定禅寺通りを目指してチャリで行ってきました。メディアテークにチャリを置いて少し歩いてパレードのある所まで行きました。7日8日の二日間仙台YOSAKOIまつりがありました。正式には「第26回みちのくYOSAKOIまつり」です。

きょうみたいな天気(雨模様・秋冷)でなくてよかったです。こんかいのYOSAKOIには、107チーム、延べ5000人が参加しました。8日は定禅寺通りを50チームが練り歩くということでした。私としてはこのチームの躍動感あふれる踊りを見られれば良かったのです。

この大きな旗を見てどこのチームかお分かりですか?

 

                  

   分かりましたね。

そうです、会津若松のチームです。

  よく見てください。

                  

  

                   

 

                   

  

                   

 

知事公館の坂のところにある萩です。

 

                  

       


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