これはどういうことなのでしょうかね? 一日があっという間に過ぎて行ってしまうのです。そう感じているのです。午後10時台に寝て、午前5時20分には起きて、いろいろ台所仕事をして(妻さまは寝るのが遅いし、起きてもいろいろやることがあるのです)、5時40分頃から生島ひろしの「おはよう一直線」を聞いて朝が始まります。
朝食の前と後にはNHKのラジオ講座(4つも!!)がありますし、外国語を聞いた後は河原の散歩、戻ってからは写真のパソコンへの取り込み・加工をし、新聞に目を通します。そうすると、もうお昼の時間が近くなってしまうのです。
朝食の後は予定がなければお昼寝をします。この頃は30分と短くなりました。前は1時間近くも寝ていました。昼寝の時間は夜のおしっこの回数に比例するようです。お昼寝で寝不足分を補っているといえるのかなあ。
その後はブログについてあれこれ悩みつつ書き(なぐり?)、恥ずかしげもなく?投稿し、夕方の二度目の河原の散歩などに出かけるともう夕方になってしまいます。河原の緑地地等で子どもたちが元気に遊んでいる姿を見るのが好きですね。このまま大きく育ってほしいと思います。
夜は、本当は本を読みたいのです。この頃はもっぱら本を買っても積んどくばかりで、本にはほんに申し訳なく思っています。夜にはもう目がしょぼしょぼして活字を読めないのです。蛍光灯の明かりが合わないこともあるでしょうが、夜は本もパソコンもまぶしくて長く見ていられません。
(以下の写真はおとといのものです)
スマホは持っています。まあ一応ショートメール、eメール、ライン等は人並みにやっていますが、最低限だけという感じかな。今の風潮に一応は自分なりに””抗っている””つもりなのかな。妻さまはこの頃はスマホが離せなくなりつつあるようで、これはまずいなあと私は思っていますが、私の先を行っているのでいろいろ教えられてもいるので強いことは言えません。
夜のパソコンはこの頃はもっぱら世界の音楽を聴いています。これはインターネットの素晴らしいところかなと感心しながら聞いています。だって世界中の音楽を聴くことができるのですから。仲間内だけでのスマホの活用なんてなんてもったいない!!と思っています。
クラシックからロックまでただで聴けるのです。大好きなピンクフロイドも見て聞くことができます。カッシーニ(カッチーニ)の””アベマリア””に出会ったときには感激感動しました。イネッサ・ガランテというソプラノ(たぶん?)歌手のアベマリアの素晴らしいことと言ったら鳥肌が立ちました。
高音の素晴らしいこと、どこまでも伸びるのです。いくらソプラノ歌手といってもよくもまあこんな高音がきれいに出せるものだともう感心しきりです。まあ、「アベマリア」というとシューベルトですか、有名ですが、曲としては個人的にはシューベルトをはるかに凌駕していますね。
曲と歌手がマッチしているというのか、私もかって合唱団に入ってベートーベンの第九合唱(第1テノール担当)を歌いましたが、その時ソロのソプラノ歌手(ソプラノ・アルト・テノール・バス)の生の声を何度も聞いていますが、彼女たちにあれだけの伸びのある高音が出せるとは失礼ながら思えません。
一杯いい曲があるのですが、パッヘルベルのCanonもいいですねえ。というわけで、夜のパソコンはもっぱらYOUTUBEでの世界の音楽が中心となっています。いろんな音楽が世界中を飛び交っていますので聞かないのは非常にもったいないと思います。
本の話に戻りますが、きのうの朝日新聞の声欄(「語り継ぐ戦争」がテーマでした)にありました投書から。私も学生時代に読んでいるはずなのですが記憶にございません。「きけわだつみのこえ」からの引用です。
(投書引用)「ぼろぼろの古新聞や半年前の内閣の週報まで読み尽くし、『メンソレータムの効能書を裏表丁寧に読み返した時などは、文字に飢えるとは、これほどまでに切実なことかとしみじみ感じた』」(引用終わり)
投稿者は、「暴力や不合理が蔓延する旧日本軍の中で、正気を保つために必死に抗っていたのだろう。」と書いていました。
何かまとまりのない、予定外の展開となってしまいました。毎回どう進むか自分でもはっきりはしていませんので、自由散策を(といえれば)楽しみたいと思っています。気ままな展開をお許しください。
寒い一日でした。正午の気温は17.7度で、最高気温は18.3度のようです。