ば~ちゃんが好きだった紫陽花
一年と言うのは、日々暮らしている時は気づかないが
過ぎてしまえば何と早い事かわかるような気がする。
ちょうど 一年前の今頃、大げさに言えば命も危ぶまれるほどの事があった。
夕方の5時にオムツを換えて5時半に夕食。
そして7時に、もう一度オムツを換える。
それがいつものパターンだった。
その日もいつもと同じように夕食を終え7時にオムツを交換したら
8時半に部屋の電気を落とすまで、家族との夕食と片付けの時間となるのだが
虫の知らせと言うのは確かにあると思った。
7時にオムツを換えた後、ほんの10分か15分ほどで何気なく覗いた。
息が変だった。
顔が赤くなって体が硬直しているようで、見る間に顔色が赤から赤紫になった。
夫と息子を呼ぶと同時に主治医に電話するよりも救急車だと思った。
すぐさま119を回し事の次第を告げた。
そうしているうちに顔色は赤紫から青くなってきた。
息もしていないように見える。
これで死んでしまうのかもしれない…そう思った。
救急指示者の声で我に返った。 心臓マッサージをしてください!!
息子がば~ちゃんの胸の真ん中辺を両手で押している、 1・2・3・4・5!
突然 ぷ~~っと、吐き出すように息をし始めた。
ちょうど その時に救急隊員が到着した…。
我が家の子供たちも幸いな事に
赤ちゃんの頃から“ひきつけ”を起こすことなく育っていたので
この発作が“ひきつけ”の発作だとは、この歳になっての初体験であった。
それは癲癇から来るものであり
脳疾患のあった者は後遺症として出るときがあるのだそうだ。
だから 命に別状はないと聞いたのは
いつも入院している病院の救急入り口にある待合室で
長い時間、硬い長椅子に腰をかけて待っていた後の事だった。
その後 一週間ほどの入院の予定ではあったが
脳梗塞が発症した後かなりな年数が経っているので
この際だから、再発とかの心配がないか徹底的に再検査しましょう。
そういう事になって三週間ほどの入院となった。
それでも もし、あの時食べたものを戻して喉に詰まったりとか
何かの拍子に、危ないものになっていたかと思うと
いくら命に別状がないとしても、癲癇の発作は侮れないと思った。
去年から、体調が良くて貧血の薬は必要がなくなったけれど
今度は癲癇の発作止めの薬が増えた…。
プラスマイナス0になってしまった。