以前 いつもコメントをくださる山小屋さんのブログで
大内宿でネギ蕎麦を食べられた時に
ネギ蕎麦の由来についての説明があって思い出したのだが
昔 pochiko地区でも似たような謂れがあった。
私がまだうら若き頃の話なのだが…結婚式の手伝いに行って
無事婚礼の儀が終り、その後手伝いの人に大義振舞いと言う
お手伝いありがとうございましたの意味もあって
たくさんのご馳走が振舞われる。
もちろん、そういうものを準備するのは手伝いの仕事なわけで
考えてみたら、自分たちが食べるご馳走を作る手伝いみたいなものだけど
当日宿泊した親族の為に朝ごはんの支度などもしていたから
やっぱり おつかれさま~っての、ご馳走はあって良いかな…なんて思うのだけど。
そうそう、こういう冠婚葬祭の手伝いで楽しみなものと言ったら
葬儀の時は何十個も揚げられる饅頭の天ぷら!
揚げたて熱々のを味見と称して食べられた事だったり
婚礼の時は餅を搗くので、搗きたてのきな粉餅の美味しさは絶品だったなぁ。
大変だった分、それなりの楽しみもあったって事だよね。
そんな婚礼のお手伝いに行った時に、一回だけ蕎麦売りを見た事があった。
会津には蕎麦口上というのがあり、それを歌いながら
お客さまに蕎麦は要らねが…と売って歩く蕎麦売りが行われていた。
その婚礼の時に食べる蕎麦は、丼ではなく普通のご飯茶わん?
小丼か…そこに入るくらいに丸められた蕎麦。
わんこ蕎麦のあんつぁまみたいな感じと思っていただきたい。
つゆをかけてネギが一本、もちろん大内宿の様な水道のホース並みのではなく
細くて短いのを一本蕎麦に挿して、大きなお盆にいくつも並べられた蕎麦を
地区で民謡の上手なお年寄りが…会津木綿の合わせとさっぱかま
頭には手ぬぐいでほっかぶり?随分昔の事で不確かだが
会津特有の作業着姿だったように思う。
そば口上にもいろんな種類があるらしいが、確かこんな口上だったような気がする。
東西東西(とざいとざい)、ちょっと鳴り物止め置きまして、ほほほのほうと誉めましょう。
ほめましょう。さて本日、御当家の御祝い、~~~~~っと!
詳しくはこちら ポチッと!!
茹でた蕎麦を手でクルクルっと巻いて、蕎麦箱と称するスノコ状になった箱に
いくつもいくつも作っておくのだが、慣れないと上手く丸められなくて
年かさの人が上手に早く丸める手さばきに目を見張ったものだった。
ちなみにお葬式の時はそうめんで、婚礼の時は蕎麦だったが
昔、自宅で行われていた冠婚葬祭は、その中で使われる料理を
作りながらにして覚えて来た。
キンピラや辛子和えの味付けは誰がする?だとか
若い人はハイカラにサラダとか作ってくんつえ~などなど。
けっこうワイワイと楽しいものではあった。
今はほとんどが自宅で行われる事がなくなり楽になった分
伝えられる場所が無くなったというのも寂しい気がする。
かなり昔の事なので、そういう事があったって事は若い人は知らないと思います。
手伝いも自分たちが食べるご馳走作りみたいなもので
ワイワイ賑やかに、普段作らないような料理を覚えたのもこういう時でした。
それでもうちの地区は、新しいお嫁さんが来ると
仲間入りと称して、お披露目みたいなものがあるんですよ。
まあ、若い人にとっては近所付き合いのコミュニケーションも
煩わしいところもあるのでしょうけど
地区の中で会っても声もかけてもらえないよりは良いですよね。
こういうしきたりは、昔ながらの農業を生業とした地域ならではの事かなぁと思います。
あんつぁま…ですかぁ(笑)
分った様な分らないようなですよね!
今どき、こんな事を言う人はいないかもしれません^^;
蕎麦口上は昔、上高野の父の実家に御呼ばれしたときとばんちゃの実家に御呼ばれしたときに見た覚えがあります。
そん時の蕎麦はおいしかったなあ。
昔だからあんまりごちそうなかった時代、やっぱり、婚礼とかのごちそうはぴか一だったお思います。
それに農家って近所のお手伝いの人総出でたっくさんごちそう作るもんねェ。
私の婚礼の時も近所の人たちたくさん手伝いに来てくれてごちそう作り、
そして、自分たちで食べてたような気がします。
花嫁は結婚式場(私の時は市内のお寿司屋さんでした)に行っちゃっていなかったのにね。
でも昔はそういうコミュニケーションがあったから
近所付き合いもあって、よかったんですけどね。
今じゃ、近所の人はどんな人が住んでんのかなって、
どぶ掃除の時しか顔合わせないからわかんないですよね。
お向かいと裏と両隣くらいしか付き合いないですもの。
さびしいなああ。
その点pochikoさんのご近所は村内だから
お付き合いがあって、いいですね。
いまどき面倒だって言う人もいるけど
やっぱりそういう近所付き合いって言うのは
大切なんじゃないかなあって思いますよ。
ところで皆さん、冒頭の「あんつぁま」ってわかったかなあ(笑)。
もっと、ずっと前です(笑)
私がすご~く若かったころですもん。
でも面白い風習でしょう。
それでもじいちゃんのお葬式は斎場でやったのですけど
村親戚のお年寄りに文句言われちゃいましたよ。
当時も斎場を使う家が多かったんですけどね。
ホント会社は休まなくちゃなt¥らなかったですし
大変でしたけど、今となっては良い思い出です。
ほんの少し前までまだ残っていた風習なんですね。
なんか、たのしーぃ。
東京近辺では私が若いころでももう既に
冠婚葬祭は会館やホールで行うようになり
自宅で行うのは珍しいことです。
お葬式は20年前ぐらいまでは自宅ですることも珍しくないかもしれませんが、
結婚式を自宅でというのは聞いたことがありません。
煩わしいこともあるのでしょうが、隣近所助け合って、喜びや悲しみを共有しあって、なんだか楽しくて、ステキ。
お嫁さんが来ると、地区の神社とお寺に花嫁衣装のままお参りをして
近所の人が花嫁を見に集まったりしてましたよ。
今は家でやる事もなくなってしまい
楽になった分、ちょっと寂しいかなぁ~とも思いますね。
冠婚葬祭で食べる料理には特別な思いがありました。
奥会津の方だと、まだいろんな風習が残されている様な気がします。
大内宿も、寒い時など平日はお店を閉めてるところ多いですよ。
kikiさんが行かれた頃って、特に寒い…確か雪も降っていたと記憶してます。
そば口上は、私も一回見たっきりですが確かではないのですが
思い出しながらでした^^;
5人組と言うのは、こちらで言う隣組みたいなものでしょうか。
それとも村親戚みたいな?
そういう人が中心になって、ご馳走を作ったりしてましたね。
さすがにネギをそのまま齧る風習はありませんでしたか。
大内宿のネギ蕎麦にはビックリされたでしょうね~
しかもネギ…ぶっといですし!
あは、さすがに浜省は歌えてもそば口上は無理です(笑)
ネギが太くてビックリされたでしょうね。
こちらでも、今はほとんど斎場を使うようになりましたよ。
昔は何処のお宅でも自宅で行っていましたからね。
後始末も大変だったようです。
冠婚葬祭のお手伝いは、お互いさま的な事もありますよね。
そば口上、私も見たのは一回こっきりでしたが
もう口上を言える人も少ないのだと思います。
私も覚えがありますよ、だから昔は各家庭にも大きな鍋があったりしました。
うちにもあるんですよ~直径40センチほどの大鍋や
お茶わんやお椀、皿などが100個ずつくらい。
丼もいくつなんぼあるもんだかです^^;
一生使ったって使い切れないくらいです。
じゃんぼん、って大きなシンバルみたいのでしょう?
こちらでもありましたよ。
そういうのを鳴らす人も決まっていました。
先日亡くなられたんですよね。
地域や宗派によって葬儀の取り行いが違うので
戸惑う事もあると思います。
昔は葬式には3日お手伝いがありましたが
この不景気な時に3日も休んだらリストラにあっちゃいますよ(~_~;)
そうそう、お手伝いには料理番がいて
そういう人が献立などを決めて采配などをふるっていました。
あとは年かさの人に聞いたり味付けを教わったり
それはそれで大変でしたけど楽しい事もありましたよ。
葬儀も隣組が当日の受付くらいです。
我が地区でも自宅の葬儀はなくなりました。
その分葬儀社の多い事ったら、なにほど会津は年寄りが多いと思われてんだかです(笑)
azamiさん、そろそろジャガイモを植えですか。
こちらはもう少し経たないと無理みたいです。
よく葬式は年寄りが行って
結婚式は若い者が行くもんだとか言われてましたよ。
今はみんなが忙しいから仕方ないんですけど
廃れて行く風習があるのは寂しいですね。
pochiko農園も早く活動開始したいですね。
体が重くってしかたないです(~_~;)
動画もあったら良かったんですけど。
子供も褒めて育てるとか言われてますし
褒められて嫌な思いをする人はいないですよね。
pochiko地方、ずいぶんと雪が無くなって来ました。
早く活動開始したいところですが、今日の強風は…春一番でしょうか。
それにしてはすごい風でした!
とても素晴らしい式でした。
伝統が消滅して行くのは寂しいですけど
これも仕方ない事なのでしょうね。
本人同士が一番ですもん。
今度は次女か長男か、どっちが早いんでしょうね~
私としたら、どっちでも良いから早く身を固めて欲しいです^^;
それも時代の流れで仕方ない事なのかもしれませんね。
昔の擬似結婚式を手伝い…そういうのもあるのですね。
そこで体験した事は、生かせないにしても
そういう事があったのだと忘れない事が出来たら良いのだと思います。
そういうのがあったら、私も体験してみたいです^^
昔は全て家で行っていたので、ホント大変でした。
まあ、それはそれで楽しい事もあったりでしたけどね。
蕎麦売りも、ずいぶん昔の事で一度だけ見た事を思い出しました。
今となっては懐かしい思い出です。
もちろん、こちらでも今は結婚式にしても本人たちの意思を尊重したり
会費制なんて式もアリですよ。
何でもかんでも昔の事が良いというのではなく
今に見あった冠婚葬祭でもいいのかなぁ~とも思います。
だって、誰もが仕事を持っている昨今では、葬儀に3日も休んだら
即リストラの対象にも成りかねないじゃないですか。
世知辛い世の中になりましたよね^^;
良いじゃないですか、嬉しい事ですもん。
こういうコメントはいくら長くたってOKです(^^)v
昔はどこでも家で行われていたので
お葬式の時などは欠勤3日でしたよ。
いろんな料理も覚えられらりして
大変でしたが、楽しい事も多かったです^^
でも、作ったお料理を自宅へ運ぶ人っているんですね~
身内だけの密葬 僕がいる団地でも、葬儀の時は、密葬の為 お手伝いは不用ですと会長のところに挨拶にこられます 希薄な世の中になりましたね
葬儀で、饅頭の天ぷらやソウメンを食べる
結婚式には、紅白の餅を搗き 蕎麦を食べる
山口では聞いた事ありませんが、皆で喜び
皆で、亡き人を送る 良い集まりと言いますが
団結力でしょうか 古き日本人の良い所が、残っているのですね うらやましく思います。
伊達に来て40年になりますが、目立った風習はないみたいです。大内宿に行った時は寒いせいか食事を出してくれる店はないようでした。
蕎麦口上 わかりませんでした。[恥ずかしいです]
いよいよpochikoさんの出番のようです。
昔は冠婚葬祭を自分の家でやりました。
5人組の人が中心になっていろいろと
準備をしました。
子供にとってはお餅や赤飯などのご馳走が
食べられるのを楽しみにしていました。
さすがにネギをそのままかじるという習慣は
ありませんでした。
今回大内宿で初めて体験しました。
会津若松の蕎麦口上・・・
なかなかおもしろいですね。
今度テープに吹き込んで送ってください。
もちろん、pochikoさんの美声でお願いします。
都会では冠婚葬祭を自宅ですることはほとんどなくなりました
義父が亡くなった25年前には自宅でし、ご近所の方々が“炊き出し”と言って稲荷ずしなどを作って大変なお世話をしてくださいました
その後は一軒一軒お礼を言って回ったのを思い出しました^^
ご近所付き合いがまだ濃かった頃です
今では代も変わって家も処分した人も多く葬儀社でしていますね~
pochikoさんのところはまだまだ多くの風習が残っているんですね
婚礼の時の蕎麦口上って初めて知りました(^o^)
レオママも本当に幼い頃曾おばあちゃんが亡くなり家で葬式を出したの覚えています。
庭にかまどを持ち出し大きな釜でほうれん草をゆでたり近所のおばちゃん達が働き手としてにぎやかにやっていました。
男の人達はじゃんぼん(葬式の事)の準備で半紙でたなばた飾りのような物をつくったり外ではたらいていて子供心に楽しい事のように記憶しています。
今ではそんな事もないですが式の後自宅でお茶くらい出すみたいですね。
ところで今から息子の嫁ぎ先のお通夜に行くんですが変わった宗派らしく色々な決まりごとがあるらしくこまります。
ネックレスやイヤリングお断り。線香は半分に折って寝かしておく。
棺には何一つ入れないんですって。
坊さんの説教が長いらしいのですが始まったら一切出入り禁止なんですって。
そろそろしたくせねば。
こちらで7,8年前に自宅で葬儀をされるお家があったけれど、、料理の殆どは仕出し屋さんに注文で、お手伝いに行っても、せいぜい味噌汁を作るかお茶の用意をする程度です。
とは行っても、何をするにしても仕切るおばちゃんが何人か居て、その人の指示で細々なお手伝いをするのですが、何かを教わるってことは少ないですね~。
父の葬儀の時も感じたのですが、ホールにお任せするとお手伝いの人たちに粗相をする心配もなく、自宅の台所に大勢の手伝いの人が入ることもないし
その人達に気を使うことも無くて、楽と言えば本当に楽だったと思います。
こんな田舎でも、もうこの7、8年は自宅での葬儀って1度もないんですよ。時代なんですね~。
その分、何かの時には助け合うと言った結びつきが弱くなっているのは確かですよね。
雪が殆ど融けちゃてるね!土がもう少し乾いて来たらお待ちかねの畑が忙しい季節だよね。
我が家もいい加減にジャガイモを植えねば・・・今年はいつまでも寒いので遅くなってます。
必ず自宅でやってた。
その為、お手伝いが必須で
お年寄りから郷土料理も伝統も、
若い世代に伝承された。
けど、今はそういう良き風習も完全に
途絶えてしまった感がするねぇ!
w(゜o゜)w オオー!
pochiko地方も春近しですねぇ♪
やはり先人は賢い智恵がありますね。
誉めることが円滑な人間関係の特効薬。
よく伝えてくれてます。
考えれば、誉める、誉められることがなくなってきました。幼い頃、周りから誉められやる気をだしてきました。
復活させたい誉め言葉です。
土が顔を覗かしまてますね。
畑仕事も間近でしょう。
今は便利な時代と言うか
個人個人も忙し過ぎるし
どんな事にでも企業が進出してきて・・・
プロの演出にはかないませんものね~
どちらが良いのかという事よりも
自分の子供たちにも幸せな結婚生活を
しっかりと歩んで欲しいと考えています
pochikoさんのお嬢様も結婚式が楽しみですね
地域に溶け込んで、
そして自分のものにしてるから、すごいpochikoさんは。
私は、昔の擬似結婚式を手伝いして、おねえさま達に教えてもらいました、
でもそれを生かすことはないでしょうね、
今年も、催しあるのかな、その時は又、お手伝いです。
そば口上なんてものがあったり、今では若い人だけの「2次会」風のものがあったりで。。。。
銀行の支店長が新しく赴任した場合、新赴任地の冠婚葬祭の仕来たりをまず最初に学びます。
銀行さんは不特定多数の方々とのお付き合いですから、お取引先の業種や規模、取引度合い等によって、ご祝儀(香典)、出席者(支店長か次長・課長か)、祝電(弔電)のランクをどうするか、等々を瞬時に判断して決めます。
この辺が大手銀行の支店長の悩みの一つになるのでしょう。
でもね、札幌(北海道と置き換えてもいいかも?)では、昔から簡略化、手作り、支えあいなどを基本に物事が決められてきました。
pochikoさんが最近書かれているこの種の記事に関しては、当地ではほとんどありません。
娘の結婚式も、もちろん会費制で、仲人「制度」が消滅して、ご両家負担などというものは聞いたことがありません。
それだけ若い人がしっかり自分を主張するようになったんだと喜んでます。
当然ながら若い二人ですから、お金に余裕はない。
でも友達以上の式をやりたい。
だから事前に相当額を娘に渡しておくのです。
彼のほうも、関東出身でありながらそうらしいです。
家と家が結ばれる訳でもでないので、本人同士の結婚という意識が広がってきたのでしょうか。
話が大きく逸れてしまいました。
ブログには書いてません、かけません、・・・ってことがありますが、娘の結婚式は札幌で、とのことなので、いろんな意味で楽しみにしてます。
特に先方の開業医の先生(お父さん)と2度目になりますが、親しく楽しい会話ができること、ワクワクしています。
あっ!! 自分の話ばっかりになってしまいました。
品格に欠けるコメント、お許し願います。
今は、冠婚葬祭の手伝いも、家の留守番とか、受付位になっちゃたね。
私も、嫁に来がけは、近所の手伝いに行って、最初は、洗物、下ごしらえ、たいがい仕切る人は、決まっていて、その人の指図で動くんですよね。
でもいろんなことを教えてもらいました。
煮物などは、今でも役に立っています。
でも、あるところでは、お手伝いの人が、天麩羅など家に運んだりする人もいて、びっくりもしました。