一七六
一今日仁田市郎左衛門被申聞候ハ、御免方之儀に付てハ毎
年上地御内檢役へも委被及達事ニ候ヘ共、今度平太左衛
門殿より各様へも御申達候筋も有之候間、今日上地御内
檢呼出、御徳懸例等之儀も彌以正道相心得、たとへ下方
不直之筋有之候共正直ニ相極候様申聞置候、其外ニも申
聞候筋有之候得共、其儀ハ各被申達候筋ニても無之、若
御内檢不直之仕法も有之候ハヽ、各様よりも左様無之様
被仰談、様子ニより此方へも御達可被成候、尤右之趣御
同役中へも被仰付通置候様被申聞候事
七月三日 澤田又大夫
一七七
一澤田又大夫・内藤勘左衛門両人、七月十二日夕飯後、藪
市太郎方より罷越候様申來候、両人罷越候處、市太郎方
被申聞候趣左之通
今度御免方之儀ニ付、平太左衛門殿より各方へ被申達候
儀ニ付、下方へ申渡之書付御調御郡間へ被差出候由ニて、
御郡頭より被差出候ニ付披見有之候處、右書付之内ニ存
寄も有之、平太座衛門殿被申聞候趣同役中熟得致居候哉
被承度由、尤右之通迄ニても返答も難成可有之候、同役
中御申聞候趣自分も承居被申候、然處右申渡之書附を被
見候ヘハ、専ラ下見等廉直ニ致候様ニとの儀を示候迄と
相見へ候、平太左衛門殿被申達候趣意ハ左様ニてハ無之
候、一昨年御徳懸之仕法被改候ハ、近年見積ニて御免極
有之候處、見積と申候ハ、荒目なる仕法ニてハ間ニは御
面下通候處も有之、又ハからけ候處も有之候、右之通候
てハ下り候所ハ誠ニ古保れ幸、又からけ候處ハ甚及難澁
候事ニ付、一統御徳懸不同無之、毛上有前を以何方も御
免相極候、御法被改候處其趣意下方迄未行届所も有之候
ニ付、先右被改候譯を第一ニ申教へ、次ニ右之通被仰付
候處、間ニハ不都合之下見等致シ、其外不心得之儀無之
様教示いたし候儀は第二番ニて候處、書付之通候ヘハ第
一之教無之、第二之儀迄専ラ申渡候様相見へ、趣意を摘
て被調直候とてつまみ所ハ二番迄と相見候、扨書付之内
に御申聞有之趣別紙之通ニ候と相調有之候、市太郎被申
聞候所は、平太左衛門殿被申聞候口達書ハ御郡代之網目
ニ致置、其意を以委細申教候筈之處、平太左衛門殿書付
を相渡、御郡代あらめに有之候ては平太左衛門殿へ小割
を解候様相成申候、第一右之通ニてが一通り之沙汰之様
子ニ相成、教諭ニ相成不申候様被存候、配下へ申教候儀
ハ、面々替候様同様ニハ相成不申事と被存候得共、申教
候趣意を委細申談、何レも趣意を能呑込居申教候ハヽ、
申様ニハ違有之候とも下方承得候所は同様可有之候間、
右申聞候趣を以一應申談候様ニと被申聞候事
但、右被申聞候内私共より申達候様ニと被申聞候事
長く相成り、被仰談候端ニ相成候儀も無之候ニ付、被申
聞候事迄書記申事
七月 澤田又大夫
内藤勘左衛門
右之通ニ付七月十六日内藤宅寄合申談、下方へ申渡候書
付出来、十七日達ニ相成候處、御郡衆頭少々存寄有之、
十八日、十九日詰間ニて申談、申渡之書付出來銘々寫取
候左之通
覺
御免極候節、御損引願出候村方不直之筋有之候へは、了
簡米不被下との儀別紙之通一統申渡、二十割、三十割等
不都合之下見無之様精々可申附候、然處高割見込置候も
村所ニより下見之不同無之候得は、強ニ不直とも不被申
意味も可有御座哉、假令高割見込不申候とも不同有之候
ハヽ不直之事ニ付、其節之様子ニ應し立合の御吟味役・
上地御内檢へも間合之上、不直之儀ハ相極、所詮御法行
候様取計申土奉存候、尤不直之儀村方一統之事ニて無之、
村役人とも手前ニて不直之筋有之、小百とも儀は不直無
之様成儀も可有御座哉、左様之儀は追て委敷及吟味候上、
被仰付様之儀ハ臨時相伺可申候、右之趣申談候ニ付奉伺
候、以上
七月 御郡代
右覺書、於密間内藤勘左衛門より田邊孫右衛門へ入披見
候處、被受取被申談候上被申聞候ハ、下見等之儀ニ付伺
之書附得斗披見候申談候處、右伺之稜ニ同役中勤内之儀
ニて被伺置候事ニ付、伺ニハ不及申、右躰之儀有之節ハ
立合之御役人へ、夫ハ高割ニて候得共下免ニて有之、一
揃ニ下見致候付不直共夫被申、是ハ割ハ小ク候得共不同
成ル下見ニて不直と見候なと被仰談候へて相濟可申候、
且又小百姓共不直無之等之儀ハ跡達て御吟味被成御達、
了簡米下程之儀は御心付米ニても御願立被成候ヘハ、是
迚も前以御伺ニハ及不申儀と申談候間、今一應申談候様
被申聞候事