二一七
覺
一御蔵納ニ掛り候物ハ何ニても、御代官衆村々え割賦ニて
可被相調候、同代米、當時/\ニ渡し、重て代米之本切
手御代官衆より可被調候事
一人馬其外何ニても御郡中より出候物は、惣庄屋手永切之
割賦は御郡奉行衆より割賦被仕、可被申觸候、惣庄屋出
合、郡中之出物之割賦仕儀、可為停止事
一御郡中より出可申銀米、幷惣庄屋手永之墨紙筆代米、其
外何ニても割賦仕、村々より可出米銀、惣庄屋手永限ニ
何宛之出米何程と書立、御郡奉行衆御吟味之上判形ニて
御惣庄屋へ可被渡候、其判形之書立之奥ニ、村々之割
賦惣庄屋より仕申觸、可相調候、然時は御郡奉行判形不
見届米銀一切出申間敷候、度々村々小庄屋・百姓書付可
有御取置事
一惣庄屋・小庄屋役高引様之儀、前廉御郡奉行中相談ニ
て被相定候由ニ候、然とも其定のことく無之所有之由ニ
候、向後ハ小百姓迄も合點仕候様、庄屋高何程引候との
帳を、庄屋手永限ニ調、庄屋・百姓之判形を加有御取置
候事
一竹木之山之儀は、御山奉行・山口捌、惣庄屋は不存候様
可仕候事
右前廉より如此旨候得共、在々ヶ様無之所有之由申候間
申觸候、末々迄承届候様可被仰付候、恐々謹言
寛永十二年四月廿日 乃 美 主 水
河喜多五郎右衛門
沖津作大夫
瀬戸五兵衛
御郡奉行中
二一八
為御意申觸候、各支配之御郡廻在之時、泊々ニて薪幷乗
馬之糠・草・藁、其所より出可申候、代銀無ニ取可被申
候、尤荷物付馬一疋宛賃銀無村継馬被渡下候、則皆共
り差紙相渡申候、挟箱・笠箱等ハ、日雇夫ニ為持日申筈
二候、御定之賃銀を遣し雇可被申候、且又其所有合之野
菜等にても取被申間敷候、相應之直段にて買調可被申
候、詰御郡の面々自然病中等ニて、宿駕を借日罷通候時
も可有之哉、御定之賃銀夫を雇可被申候、其砌無支様、
兼て宿筋致沙汰置可被申候、恐々謹言
寛永十二年六月十日 乃 美 主 水
河喜多五郎右衛門
沖津作大夫
瀬戸五兵衛
御郡奉行中
二一九
一筆申入候
一御免定候事、土免或は毛上ニて相定、御免請状差上候は、
御蔵納ハ御郡奉行より相定御物成を書付、判形候て、一
村切ニ可被相渡候、御給知は定物成を書付、其給人或は
下代判を仕、庄屋被相渡候得と可被申候、此儀小百姓迄
承届度可存儀候間、如此ニ候、勿論水損・風損・旱損・
蟲喰・鹽入・穂枯出來候ハヽ、御蔵納は御郡奉行可相理
候、熊本へ被申上候ハヽ、則御内檢奉行を被出、毛上相
應ニ定可被遣候、御給知は其給人有躰ニ定可被申候、前
廉も被仰付儀ニ候得共、彌下々迄可被申渡候事
一御國中借物、米は三割・銀ハ貮割、此内歩合輕分は相對
次第之事
一往還の旅人・人馬幷渡舟、風雨・夜中たり共無滞様ニ可
被申付候
附、道橋修理不可有油断候事
一御惣庄屋・小庄屋墨紙筆等之代米、所ニより多少有之由
ニ候、然間疑敷可存候様、員數を定、別紙ニ書出候様可
仕候事
一御郡役の事、人馬多少、又ハ所ニより指引吟味ニ可被申
付候事
一御惣庄屋・小庄屋、非分の儀を御百姓ニ申懸候ハヽ、則
御郡奉行え可申達候、其理を被聞届、正敷可被申付候、
誰人不寄、理不儘成儀を御百姓ニ申懸仁有之候ハヽ、小
庄屋・惣庄屋を以、随分理を申、無承引候ハヽ御郡奉行
所え可申達候、其上於無裁許は、其趣書付を以御奉行所
え可申上候、勿論御郡奉行・御代官・御内檢奉行被申付
儀ニ候、御百姓迷惑仕儀有之候ハヽ、是又奉行所え可申
上候、其理を糺可遣事
右之條々前廉も被仰出候儀に候間、下々迄堅可申渡候事
寛永十三年正月十一日 河喜多五郎右衛門
椋 梨 半 兵 衛
堀 口 勘 兵 衛
沖 津 作 大 夫
御郡奉行中
二二〇
一筆申觸候、五月朔日御觸候大庄屋・小庄屋刀脇指差可
申候、其砌此方よりも相觸候、百姓は脇差迄を差候筈、
不持者は急度求候て指可申候、若差不申者ハ、小庄屋は
拾五匁宛の過料、百姓ハ五匁宛か申付旨、急度容易被仕
尤二候、先日御川狩二被成御出、脇指差不申庄屋被成御
覧、殊之外御立腹にて候間、十五日より内、悉用意可被
仕候、為後日候間各名印形・判形候て留所より此方へ差
返可給候、以上
寛永十年七月一日 沖津作大夫
林 次兵衛