津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■井田衍義・歛法條諭 十二・十三(25)

2018-07-05 08:22:48 | 史料

 一八二
一早田御徳掛之事
  但、早田を餘計ニ作候ヘハ、苅揚収納共早ク、藁も宜
  早田米は見付も能く、御蔵納早く御登せに相成候て宜
  有御座候、且又諸作根付迄下方勝手貮相成申候、極て
  ハ難申上候へ共年々之様子相考候得ハ、蟲付も輕く相
  見申候貮付、餘計ニ根付仕候儀を好候得共、御徳懸之
  節前々之見合ニも毛上不拘無躰之高割懸候付、餘計之
  畝方高割を受置候てハ、組合之中晩田不作仕、御損引
  願出候ても下りニ成不申、村々右之所ニ恐レ申候、依
  之、以來毛上有前之御徳懸相成候ハヽ、地味ニ應候所
  へハ進候て早田之畝方増可申と奉存候事
一未熟之籾御徳掛之節干減之事
  但、未熟之内より下見仕御徳懸受候様被仰付置候處、
  色々と隙取御徳懸延引仕候歟と奉存候、無田方抔ハ毛
  上立置候得は雁鴨損シ天気次第ニハ立損多、大唐所抔
  ハ別て一日も早ク収納仕候様有之度候處、未熟之内御
  徳懸ニ成、試例之節干へり等了簡之儀有前ニ無之、未
  熟之内ハ毛上見付も宜ク被是割増ニ恐レ、得度熟致候
  迄兎哉角押移候様子ニ御座候、左候ヘハ前條之通色々
  害も有之御損米多、下方も迷惑仕候得共、割増干減之
  處下方落着不申候ヘハ、無理ニ下見を急候儀も難成意
  味も御座候、未熟の内見分干べり等之儀、取計ニより
  候ては立損少、上下之益ニ相成可申と奉存候事
一例坪延畝之事
  但、延畝有之分ハ延ニ應徳見仕候様被仰付置候付、畝
  之廣狭抱候儀ハ無之候得とも、御内檢方ヘハ藪陰又ハ
  各別之延畝ニて例不申様被仰付置、試例仕候節其心持
  も有之事可有御座候得共、例坪延有之候得は一ツニ打
  込、毛上よりハ割増太ク成り、其割増惣畝ニ懸候付、
  下方迷惑仕候、御百姓共ハ下割作徳被下候内より三ノ
  口水夫米等、其外諸拂物相拂候ニ付、諸出米殘迄積立
  候ヘハ難立ものと相見申候、右之通ニ付、延畝之儀は
  程よく被仰付候様有御座度奉存候事
 右覺書二通、二月四日内藤勘左衛門・内藤儀左衛門持参
 ニて、於密間仁田市郎左衛門へ相達置候事

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■相良清兵衛について

2018-07-05 07:28:56 | memo

 こちらは寛永後期、人吉相良藩を震撼させた「相良清兵衛(犬童頼兄)事件」に関する史料である。 

              

              

上の貴重な写真データは熊本県立図書館が所蔵する[相良清兵衛屋敷其他絵図面]寛永十六年の七枚の内の二枚をご紹介している。
現在の球磨郡錦町の一武にあった外城と清兵衛の屋敷が描かれている。三の丸の左手のブロックが清兵衛の屋敷だが、下の屋敷図を見ると
「西東四拾六間」「北南五拾間」とあるから、2,300坪という広大な屋敷である。 

福山大学人間文化学部・吉永昭氏の論考【肥後国人吉藩「相良清兵衛騒動」覚書 : 騒動記を中心に】は、相良清兵衛事件や、お下事件など
寛永後期の人吉相良藩の混迷ぶりを研究された成果である。
これ等の事件については細川家記「綿考輯録」の中で清兵衛の動向などが書かれており、事件そのものは承知していたが、その詳細についてはほとんど承知していない。
熊本県立図書館の蔵書を検索しても、刊本としては次の様なものが見受けられるのみである。

 

 

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