津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■井田衍義・歛法條諭 十二・十三(32)

2018-07-13 15:28:31 | 史料

 一九五
 〇寛政三年、御免方之儀ニ付御達之事
   覺
一御免方正敷取計可申儀付ては、従前々被仰付置、別て近
 年追々御達之趣堅相守候儀勿論之儀ニ付、改及達候迄も
 無之候へ共、當秋之儀水害所其外蟲氣・穂枯等之唱も有
 之、しらへ方別て入念不申候ては難叶候條、御損引ニ出
 候村々高分下見等、彌以精を入、有前廉直ニ相心得、難
 見定坪々内舛を入相試、随分申談無怠せり立、且御徳懸
 之節高割請不申、萬事間違無之様相心得可申旨、精々村
 役人・小百姓へも可被申付候、以上
  寛政三年
   八月            御郡代中
          御惣庄屋中

   覺
一御内檢役心得之儀ニ付ては、去年も相達候通、彌以等閑ニ
 心得間敷儀勿論候處、今年ハ數多之水損其内ニも極荒・
 當毛荒、又は作り替願、或ハ少々宛之蟲氣、或ハ當時迄
 無難之所も有之、彼是於村々所々異同可有之候條、御徳
 懸之儀重疊入念候様御内檢中へ相達候
一右は御内檢受前之儀ニて、各別相達候ニ不及事候得共、
 前條之通當年様々と段取可有之年柄故、為念相達置候
一御徳懸之節、例年御郡御吟味役為立合致出在候へ共、見
 聞のミニて存寄等差加へ候儀ハ一切無之由、右之通ニて
 ハ立合之詮も無之事ニ付、入組候儀抔有之節は、御吟味
 役之存寄も被承合候様存候、彼方よりも承合候儀可有之
 候、以上
  寛政三年
   八月二日

 一九六
 御免方之儀ニ付、去ル二日平太左衛門殿より被有御渡候
 書付之内、初條ハ御内檢勤前入念可申との旨ニて、相替候
 筋も無之候間、於此方も彌入念候様相心得可申儀候處、
 第二ヶ條之内御吟味役へ問合之一段、當秋初て之事ニ
 付、萬一問合候程合區々有之、御免方精粗之唱ニ成行候
 ては、難相濟事ニ付、今日寄合ニて申談ニ相成候趣左之通
一御徳懸之儀は都て此方へ被任置候事ニ付、御免極方其外
 之儀共、御仕法帳或ハ先例等相考、筋道相分候儀ハ問合
 候ても其詮無之事ニ付、事之輕重ニ不拘直ニ見込之通取
 計、於此方踏等も無之致疑念候筋迄、入組之浅深ニも不
 限、先例又ハ御法ニ因て之極方等、存寄筋承合申筈
一此方ニおひて相極候上、彼方より存寄之旨申達有之筋
 は、得斗承届、此方よりも極置候旨趣委申向、其上ニて
 も不同意之筋有之難相決宜ハ粗伺候筈、勝彼方之存寄ハ
 申達無之、此方之極筋迄問合有之節は、勿論踏を以取計
 候筋委細申向候筈
一願米之儀、是又御惣庄屋願高・御内檢積前双方相考、僉
 議之上石高等相極事ニ候得共、何そ入組之筋も無之事ニ
 付、彌當時迄之通彼方えは懸合不及、此方ニて夫々相決
 候筈、
 右之通先此方ニて極置當秋一統心得を以取計、猶様子も
 有之候ハヽ、追て其程ニ應し伺ニも相成可然旨申談相決
 候事
  寛政三年               當番
   亥八月十六日        内藤

 一九七
 〇寛政四年、御吟味約存寄承候様被仰付ス郎宜ニ付御達之
  事
一御免方之儀、當年よりハ以前之通上地御内檢より御郡御
 吟味約へ申達、存寄有無承合せ、其上にて相達候様被仰
 付候間、左様可有御心得候、以上
   七月九日          御郡方御奉行中
          御郡代衆中

 御免方之儀、當年よりハ以前之通上地御内檢より御吟味
 約へ申達、存寄有無承合、其上ニて私共へ立ニ成候様被
 仰付段、御達之趣奉得其意候、御免方一躰取計之儀ハ、
 當時迄之通、右之儀を以前之通被仰付宜ニて御座候哉と
 奉存候、以前御吟味約へ指出候節は、安永三年ニ御免方
 潤色被仰付、御損引下り米ニ貮割五歩御米被為拝領候ニ
 付、御内檢一手の積立被仰付、私共存寄を加不申候様被
 及御達置、其後天明三年より又々其以前之通御内檢積と
 御惣庄屋積と突合、私共存寄を加へ相極候様被仰付置、
 去秋迄右之通御座候、然處此節、御吟味役へ先ツ申達、
 存寄承候跡ニて、私共ニ申達有之儀迄以前之通被仰付、
 貮割五歩之了簡米不被下候ては、乍恐意味違候様ニも相
 聞、且ハ御吟味役存寄無之跡ニて、私共存寄有之節御内
 檢へ申達候ては、輙ニしらへ直ニ相成申間敷、毎々双方
 存寄之趣相伺、受御指圖候歟、度々例を仕相極候歟、両
 條之外取計筋相見不申候、左候てハ第一御免極方遅滞
 仕、立損ニも及可申哉、将又被任置候郡村存亡ニも拘り
 候、根元之御免方御内檢しらへ見届候迄ニ相極候てハ、
 立合罷出候詮も薄く、當時迄之通存寄を加申候ハヽ頻ニ
 難澁多可有御座、於此両端重疊行當恐入奉存候、依之以
 前之通御内檢一手之積ニ〆、下米ニ貮割五歩之了簡米被
 為拝領、零落之村々取計可被仰付哉、同クハ今迄之通被
 仰付置候方、何方も無伏勵却て御為合ニも宜有御座と奉
 存候間、旁御内意奉伺候、此段可然様奉願候、以上
   寛政四年七月         御郡代
           御郡間
  此儀御奉行中へ相達置候處、御内檢手元之しらへ精粗
  之境、御吟味約見聞届兼候様子相聞候間、此節及達候
  通ニ付、勿論しらへ方御郡代へ被任置候間、是迄之通子
  細無之候條、彌以的當之處入念、存寄之次第被相極候
  様可及達旨候條、左様御心得御同役中へも可有御通達
  候、以上
   七月廿一日          御郡間
 

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■あと三回のその先

2018-07-13 12:56:17 | ご挨拶

 今ご紹介している藩法集7・熊本藩の「井田衍義・歛法條諭 十二・十三」があと三回で終わりそうである。
よくやったとも思うが、少々疲れたというのが現在の正直な感想である。
悪友にいわせると「ご苦労なこったい」ということになるが、始めた以上途中で投げ出すわけにもいかない。
井田衍義は残り125頁ほど残っている。

             十九  書抜しらへ     郡府舊記   p326     
             二十  垣塚しらへ     郡府舊記   p360     
             廿一  御惣庄屋十ヶ條   縣令條目   p387     
             廿ニ  十四ヶ條      會所定法   p414     
                             了    p451

一日2頁のペースでタイピングすれば二月ほどで終わる計算だが、休憩したい気持ちが勝っている。
休憩したら次をどうするかというのが厄介な問題である。ない頭を振り絞らなければならない。

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■井田衍義・歛法條諭 十二・十三(31)

2018-07-13 07:18:53 | ご挨拶

 一九〇
一諸御郡手永/\より仕出候御損引一紙帳之儀、御徳懸相
 濟次第、帳面達方致延引候儀も有之様子相聞、右之通帳
 面達方及延引候てハ、此元しらへ方甚混雑いたし候間、
 御徳掛濟次第、早々帳面相達候様可有御達候、尤宇土・
 八代ハ相濟候二付、右之外御同役中へ可有御通達候、以上
   九月十四日         御郡間
        内藤儀左衛門殿

 一九一
 〇天明四年閏正月、見圖帳・名寄帳之事ニ付御達之事
一諸御郡村々見圖帳古ヒ損、且又名寄町出入有之付送多取
 扱成兼候ハヽ、御惣庄屋より致吟味調替可申候、左候て
 何村二見圖帳・名寄帳調替願出、則帳面も出來いたし候
 二付、御内檢役被差出、調方被仰付被下候様二と相達候
 上ニて、御内檢役差出しらへ方有之、右御内檢しらへ方
 相濟候ハヽ其段御役所へ相達候上、上内檢被差出一ト通
 り見しらへ候て、印形を用可申候
 右之通上地御内檢へ及達候間、左様御心得、可有其御達
 候、右之趣御同役中へも可有御通達候、以上
   閏正月          御郡間
           當番當り

 一九二
一諸御郡御徳掛相濟候上、早速/\建札引候所も有之様子
 相聞候、以來建札ハ苅上候迄建置候様、御徳懸相濟候て
 も御吟味役打廻致見分候節、坪々毛上見合ニ相成候間、
 左様及達置候様、九月廿八日當番國武十之進へ澤田氏よ
 り申聞有之候事

 一九三
 〇天明五年七月十七日、當番益田慶次え於口之間御奉行
  藪市太郎え、平太左衛門殿より直ニ御申聞有之筈之由
  申聞、書付被相渡左之通
一諸御郡御徳懸之節、御吟味役見分として罷出來候處、去
 々年以來ハ何となく跡見分ニ相成候、畢竟御人足り不申
 故ニ候處、只今之通にてハ肝要之場之見聞届兼候間、當
 秋よりハ右手足不足所へハ御郡横目差出候筈ニ候間、御
 徳懸之法に拘り申儀ハ無之候得共、見聞之儀は不洩様可
 被申談旨、御郡代へ可有通達候、以上
  右書付之趣寄合申談有之候處、見聞之儀ハ不洩様可申
  談と申儀熟談支候處、同役中心得方區々有之、御惣庄
  屋へも委ク申聞、見聞方ハ押除置不申様相心得候様ニ
  との儀と奉存候へ共、又相考候へハ、見聞ニ拘候儀ハ
  従此方夫是と知せ候様ニも相聞、左候へハ甚意味違候
  付、右文意如何相心得可申哉之由、藪氏へ内意を得申
  候處、被致承知、得斗文武解せられ候迄可被申聞由ニ
  て書附受取被申、追て罷出候様申來、則當番益田出か
  た有之候處、藪氏被申聞候ハ、先刻内意之趣被申談候
  所、見聞筋付て彼方より尋候ハヽ有前之趣申聞候様、
  此方より申談知せ候譯ニては無之由被申聞候事
  同役之内三人程罷出可申旨ニ付、内藤儀左衛門・林七
  朗右衛門・益田慶次罷出候處、平太左衛門殿より被仰
  聞候ハ、御免方之儀御郡御吟味役被指出來候處、人數
  少ク手足り不申候へハ、罷出候所も有之、又罷出不申
  所も有之、何となく跡見分相成、左候へハ何方ハ御免
  ゆるみ候なとゝ跡ニて評判も有之候、依之當秋より御
  吟味役被差出、手足り不申所へハ御郡横目をも被指
  出筈、付てハ各受方間違候ては不相成候付、被申聞候
  由、惣躰見聞之御役人引受候て取計候得は善悪共さつ
  はりと有之、何そ御郡代私ハ無之候得とも、跡見分ニ
  ては右之通ゆるみ候なとゝ事申哉、引受候て取計被申
  儀候間、此意味受方違不申様ニ同役中へも委ク申通、
  御惣庄屋へも申聞候様
  天明五年
    七月十七日

 一九四
  前條之趣ニ付申談ニ相成、猶又御惣庄屋中へ書付を以
  申達候趣左之通
   覺
 御免方之儀去々年御仕法被改、當秋よりハ見聞之御役人
 被差出候段、御達之趣ハ追々申達候、損高之分り方下見
 之仕法、至て廉直ニ無之候ては難叶事ニ候、此儀ハ連々
 申達候事ニて改申入候ニハ不及候へ共、御免極方之土臺
 に相成候儀ニて、猶以甲乙無之廉直ニ有之候様、猶以可
 申聞候、右之通廉直有之候ヘハ高割を受可申様無之處、
 村役人幷小百姓共之内以前之氣習を免レ不申所ヘハ、高
 分之節も兎哉角決兼、數日押移候儀有之歟、扨又下見も
 所ニより屹ト改候様子も不相見、不都合之至ニ候、各よ
 り委ク被申聞御法之趣を以夫々被相糺、下方不埒之儀無
 之様別て意を用候様存候、御免極之根元ニて候へハ至て
 不容易事ニ付申達置候、此上ニも下方不直之筋有之候ハ
 ヽ、屹ト被仰付筋も有之候條、前以委ク小百姓共へも可
 被申付候、以上
  天明五年
   七月            御郡代中
        御惣庄屋中

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