+--根取
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+--吟味役
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+--上内檢ーー地内檢ーー副内檢
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+--郡横目ーー在中横目
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+--杣方ーーー杣人
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+--井樋方ーー大工
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+--惣塘支配役
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郡方奉行ーーーー+--蔵方
御郡間 | +--手代ーーー下代ーー小頭ーー走番
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| +ーー惣庄屋ーー+--庄屋ーーー+--帳書
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| | +--給人庄屋 +ーー組頭
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+ーー郡代ーー+ーー横目ーー村横目 +ーー役頭
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| +ーー山支配役ーー山之口 +--蔵頭
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| +ーー地方普請方 +--五人組頭(伍長)
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+--鶴崎會所根取
六二五
覺
一開之田地は理にしたがつて年季を定可申候、定候理熊本
之郡奉行え可申候、尋候て年季を定候事仕間敷事
一或ハ土免二定候上、百姓を書物ニ定之ことく免をさけ候
事、郡奉行見計次第たるへし、但横目をこひ可申候時分
かけおそく熊本より横目申付候ハヽ不苦候間、郡奉行と
して可申付候事
一畠ハ開取ニ加申付候、但鍬目計を付、我畑ニ定候儀ハ法
度ニ候、鍬先次第ニ開取ニ可申付候事、幷古作をあしく
仕間敷候事
一郡中之儀ハ可然と見切候儀は熊本へ尋ニ不及、如此申付
候との儀迄可申届候事
一たとひ熊本奉行より申付候儀もわろきに定候ハヽ申付間
敷候、扨其段熊本へ可申候、其上は熊本次第我等申付候
と申事も、事により郡迷惑仕候儀ニハ理可申候、とかく
郡中悪敷儀ハ郡奉行ニ定候上は無理悪事を其まゝ置候事
曲事候、横目をまハし、悪事申來候とも不遂穿鑿申付候
事有間敷候、其段氣遣仕間敷候事
一口々ニ地侍抱可申候口上ニ有、幷有付候儀ハ百姓ハ不及
申、侍・商人・鍛冶・はんしょうの類も有付候様ニ可仕
候、幷右之知行遣候者え役者其身めしつかひ様、迷惑不
仕候様似合敷儀迄可申付候、又知行之分ハ役申付間敷、
年頭ニ一度又郡へ出候時目見可申付、其次を又可申付
候、地侍と名付可申候事
一内々他國へ之通路之儀、是又可承候幷自然之時他國より
けいさく候ハヽ何様にも申談、何も取かへ扨内談可申候
随其他國之褒美より過分ニ可申付候事
以上
寛永十一年十月二日 御判妙解院様
小野 又兵衛殿 寛永十四年十一月~寛永十五年二月 山鹿郡奉行
佐藤七左衛門殿 不明
六二六
肥後國幷豊後國之内私領分作毛之覺
一辰ノ年之作毛ハ能御座候事
一巳ノ年之作毛ハ辰年之物成三分可有御座候事
一午ノ年之物成は巳之年之一倍御座候事
以上
寛永十九年十一月廿ニ日 細川肥後守 (光尚)
板倉周防守殿
永井信濃守殿
永井日向守殿
久貝因幡守殿
曾我丹波守殿
石川土佐守殿
小堀遠江守殿
五味金右衛門殿
六二七
一三ノ口米之事、御物成百石ニ付三石宛ニて御座候、前稜
は五ノ口米ニて御座候由、此五ノ口米之内を御代官口米
其外御免方御役人一切之諸入目被渡下候段、尤御免之内
ニ積込、御物成外之様ニは相成居候得共、御物成之内之
物ニて御座候、計直り之節より三ノ口米ニ相成候由
但、此算用合釣懸舛壹升貮合ニ五ノ口米を入壹升貮合
六勺、是に四ッ成懸五拾石四斗に成る、又是を京舛壹
升六勺四才二て割四ッ七分三朱六厘八毛四弗になる、
是を三ノ口を除候跡四ツ五歩九朱八厘八毛七弗二成
り、前かとの四ツ六分の算用相ハ此御免二て御座候、
右之通ニて後ノ口米・三ノ口米ニ成申候も、米之減方
は無御座候
六二八
一享保二年より二ノ口米被召上來候處、近年御赦免被仰付
候、此二ノ口米之發りハ御勝手被指支候付て、何そ御為
ニ相成候儀は有之間敷哉と惣躰御僉義有之、御郡方ニも
御讃談有之、御郡頭より根取約へも存寄御為可申上由
ニ付、吉海忠之允より相達候ハ此以前之五ノ口米を三ノ
口米ニ被仰付、米之減方ハ無御座算用相にて御座候得と
も、下方之者只今ニ押移り候てハ右之算用相は存し不
申、以前之五ノ口米三ノ口米ニ相成、米之減方相成候と
迄心得居可申候ニ付、前かとの五ノ口米以前之筋ニて、
只今三ノ口米之上に二ノ口米を暫被召上候と御沙汰御
座候ハヽ違背仕者有御座間敷候、左候得は二ノ口米大概
一ヶ年五千石程は相納り申候段、右之算用合等之趣委細
申上候處被及御讃談、右之二ノ口米被召上候得とも忠之
允存寄之通下方違背不仕出來仕候由、承及申候事
六二九
一御侍衆へ被為拝領門松之儀、立山所持被仕候衆ニは不被
為拝領筈に先年相極候處、今日於御花畑御家老中御讃談
之上、向後ハ大前之立山所持被仕候衆ニも、尤所持不被 鎌田杢之助 詳細不明
仕候衆ニも可被為拝承旨、鎌田杢之助方へ長岡佐渡殿被 長岡佐渡 松井豊之・松井家八代‐家老職
仰渡候事、御目附ハ留嶋猪兵衛 留(富)嶋猪兵衛 詳細不明
延享五年十二月廿五日