史談会例会を無事に終え、お昼から雨模様の予報もあって皆さん夫々に帰宅の途につかれた。
私もバスに乗り込みしばらくすると、横を走る路面電車が脱線したのではないかと思うぐらいのすごい音。
何のことはない雷の音だった。ポツリ/\と振り出した雨がすごい雷雨に変わり、傘を持たずに来たことが悔やまれたが、折り畳み傘でしのげるような雨でもない。
いつも降りる一つ手前のバス停で下車し、目の前のコンビニに走り込み、ビニール傘をかう。
雨宿りをしていて止むような雨ではない。自宅まで7~8分稲妻がおっかない土砂降りの中を急ぎ歩く。
水無川は濁流が水かさを増し大暴れしている。
びしょぬれになって諸々を洗濯機に放り込み、一息ついてPCを開くと昨日同様洪水警報が発令された。
開いてみると東区の川だとして場所が表示されている。なんと/\、つい10分ほど前に眺めた水無川が含まれていた。
「なんだよ地元かい」と思わず笑ってしまった。強い雨が続くと、底が見えていた水無川も30分もすればすぐさま1mほどは水位があがる。
長く続くと少々下流域では低い土地がありかん水の恐れはある。
帰宅してからもしばらく強い雷雨が続いたが、どうやら雷神様もおとなしくなられて雨も収まってまずは一安心の現在である。
爺様の耳は少しおかしいのではないか? 昨日は雷を上の階のがたがただ騒動と思い、今日は路面電車の脱線かと思った。
しかし不安定な天気でまだ雷もなり、雨も降りそう。今度の雷は何に聞こえることでしょうか・・・・
説明には単に「目録」とあるが、まぎれもない「宛行状」である。
全体写真が紹介されていないが、ほかの添付写真をみると「鯛瀬茂太夫との」とある。鯛瀬家の初代である。
侍帳をみてみると「茂大夫 馬廻衆十一番志賀左門組 百五十石」とある。
現在11人が応札して21,000円、最近の宛行状とはこんな値段がするものらしい。
鯛瀬とは珍しい苗字だが家素善助は播磨の人らしく、本姓は吉田氏、「岐阜戦功吟味--与一郎様任御意御傍ニ居申候衆(綿考輯録・巻十四)」とあり、家記には「丹後にて三斎君御意を以鯛瀬を拝領の由、」とあり名誉ある拝領名であるとともに、いわゆる「丹後以来」のお宅である。日付は寛永拾年とあるから、茂太夫肥後入国後のものだが、「上妻博之著 肥後藩之切支丹より」によると、父善助は「転切支丹 寛永十二・三年頃転宗カ」とある。
現在の入札額最高者は、応札の数が少ないところを見ると鯛瀬家の関係者だろうか。とすればこのような金額にも納得がいく。まだ上がりそうな気配ではある。
猛烈な暑さが続いてきたが、昨日からの雨がすこし気温を押し下てくれている。
もしやと思って調べてみると明日が「処暑」である。厳密的にはある瞬間をいうらしくぎりぎり今日のうちらしい。
「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」とあるが、昨日の激しい雨がほんとうに暑気を止めてくれた。
ここ一両日は「晴れたり曇ったり、時々少雨」というような天気らしいから、少しはしのぎやすくなるのか?
不思議なもので、37℃を超えた日でも、もう草むらではコオロギがないているし、シオカラトンボも舞飛んでいる。
今朝ベランダの戸を開けると、秋の虫たちが競って鳴いている。
9月中旬ともなれば熊本はいわゆる「隋兵寒合」と呼ばれる時期になる。
残暑は厳しいが、ちょっぴり朝晩に涼しさが感じられるようになる。
あと一息だが、少々疲れ気味の爺様には待ち遠しいばかりである。
一方熊本でもコロナ感染者が毎日のように発生している。暑苦しいが又マスクを着けての外出である。
今日は史談会、2時間ばかり頑張ってきましょう。