津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■夏ニ題

2020-08-25 16:36:06 | 徒然

                   物申(ものもう)
  これは俳句といえるかどうか、古い句に「たのもうの声に物着る暑さかな」というものがある。
誰の句か、いつごろのものか、私はどこで何を読んで覚えていたのかもよくわからない。ぐぐってみても出てこない。
裸ででも過ごしていたところに、外から来客の声がして、慌てて装いを正して飛び出したという風情である。

宅配便や郵便局、時には下の階の御婆さんがお裾分けにと尋ねてこられるから、ピンポンと音がすると慌ててしまうことがよくあつて、上の句には共感すること大である。

追記:縁戚のFY氏からコメントをいただき、横井也有の句であることが判った。御礼を申し上げる。
   也有については、熊本の横井小楠と先祖を一にする同族とあって、いろいろ本を読んだりしたから、その折に覚え
   た物だと思うが、爺様の記憶力はいい加減なもので、「たのもう」ではなく「物申=ものもう」だった。
   そしてこれを受けて、これは「江戸随想集」(古典日本文学全集35)にあったのではないかと思い至り、頁を追っ
   ていくと「年々
随想」という項の一番最後(25)に「夏籠(げごもり)」があり、ここに紹介されていた。
   也有の弟子・六林の俳書にのせてあるのだそうだが、FY氏はネット「増殖する俳句歳時記」で見つけられている。
                 物申の声に 物着る暑さかな 也有

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 高田宏のエッセイ「本のある生活」を読んでいたら、「涼風奄奄」という文に出くわした。
これは1978年9月の「ホームティーチング」に掲載されたものを転載してある。
     
      この夏は苦しかった。「熱帯夜」という、辞書にはまだ登録されてないことばが、とうとう日
     本語として安定しそうである。歳時記の季語に採られる日も遠くないだろう。

 高田氏は、1978年『言葉の海へ』で言語学者で「言海」の執筆者・大槻文彦の評伝を書き、大佛次郎賞亀井勝一郎賞を受賞した。上の文はまさしくその時期のものだ。
受賞の報道を見て本を購入して読み、大槻なる人物を知ったし、又高田宏も知った。
そんな高田氏のエッセイを読むと、言葉にたいするこだわりが見て取れる。

今年の猛暑は何なのだろう。「熱帯夜」という言葉が誕生したのが1978年だとすれば、42年が経過している。
この時期から地球が温暖期に入っているのだろうか?
気象用語も随分変化しているように思うが、「熱帯夜」にとって代わるような言葉はまだ見受けぬが、これ以上の暑さを表現できる言葉が見つからないのか・・・
歳時記に「熱帯夜」という言葉が登場したのはいつの頃か知らないが、当然掲載されている。


 

 

コメント (2)
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■「源姓細川家」家譜

2020-08-25 10:26:14 | オークション

源姓細川家家譜?」肥後藩 熊本藩 系図 細川藤孝(幽斎)細川忠興(三斎)細川忠利(肥後熊本藩初代藩主)江戸 写本 和本 資料
                

           割と状態良く保存されている。齊茲公に至るまでの細川家家譜である。

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■細川小倉藩(328)寛永五年・日帳(九月四日)

2020-08-25 08:22:57 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年九月)四日

         | 
         |   四

         |
金山ノ白目ノ様ナ |一、御金山ニ在之しろめの様成もの、ためいけニ而、御やき物被仰付候御薬之御用ニ、急度くだかせ
ルモノヲ釉薬ニ砕 |  可申旨ニ付、しろかねや彦■丞ニくたかせ候へと申候而、橋本惣右衛門ニ手桶一ニ入、渡申候、
カシム      |  但、今日ひるゟ内之御まき物の御用ニ入早漏間、急候様ニと間太郎助申越候事、
江戸台所頭廻リ  |一、野田小左衛門儀、今度江戸へ被 召連、御台所之頭廻被 仰付候間、万事可被得其意由、伊藤甚
         |  左衛門ニ申渡候事、
         |                      (成政)
宇佐宮ノ宮成掃部 |一、宮成掃ア助当月ノ御守持参被仕候、則当番坂崎清左衛門ニ引合申候事、
九月ノ護符ヲ上ル |
明石源十郎羅紗ノ |一、明石源十郎ニ、御小袖五つ・御袴肩衣五下・らしやノ道服一つ、たち付一げ被遣候事、
道服等ヲ拝領ス  |
         |一、財津善内兵衛書物上申候処、様子ハ式ア殿・頼母殿へ被 仰付由候事、
物成ナキ知行ノ処 |一、物成無之知行之分ハ、御ふち方かしほと高ニて引渡、残分ハ御蔵納同前ニ、御内検可被申付由、
置     内検 |  加藤新兵衛ニ申渡候、付り、岩間清次知行も、右同前ニ申渡候事、
御物ノ請渡奉行  |一、奥・口之御納戸、其外ノ御物付、つゝミ、又ハ主ニ成候てとり置、御船頭/\ニ渡候事迄仕奉行
         |  ニ、栗田與兵衛・吉賀長右衛門、此弐人を申付候、但、横田権佐与也、
         |一、石本三介、今日ゟ御奉行所ニ被相詰候事、
国東郡ニテ石積ノ |一、御船頭中村二郎右衛門、国東郡へ御石積ニ遣候、御奉行ニハ歩之御小性渡辺六太夫・高橋久左衛
用        |  門両人遣候処、此両人ハ歩ニ而、今朝被参候、二郎右衛門ハ八つ時分ニ参着申候事、
松平忠重使者   |一、松平大膳様ゟ■之御使者御座候、斎藤九朗右衛門と申仁之由、吉田少右衛門被申候、上下十一人、
         |  馬一疋ニ而被罷下候事、
         |
         |一、木下右衛門様ゟ、青野少左衛門と申仁、右ノ案内者として被参候事、
         |                   (規矩郡)
鳬ノ見分     |一、山路勘左衛門、けり見せニ被遣候処、石田ニけり十斗ほと居申由、被申候事、
         |一、本條喜三郎もけり見ニ参候由ニ而、被申候ハ、長池ノわきニ、十五六ほと今朝居申候か、今晩罷
         |  帰候時、見申候ヘハ、い不申由候事、
使者へ風呂焼ノ用 |一、右ノ御使者ノため、風呂たき申候へ共、湯をとり、又ハもミ出し仕ためニ、御小人五人遣候処
草履取ノ年寄ニ命 |  ニ、中/\御小人ニ而ハ不成候間、さやうの事をよく仕ものをと、住江甚兵衛被申ニ付、御さう
ズ        |  り取ノ内、年ノ寄たるを弐三人ほと遣候へと、小頭勘四郎に申付候事、
         |                      (豊後速水郡)             (苅田村、京都郡)
使者振舞     |一、右之御使者明朝被成御振舞被成候、左候而、又日出へ被罷帰候間、昼之弁当、かんだ二て被 仰付
         |                   (築城郡)
         |  候、御奉行二ハ横田権助被遣候、明晩ハ椎田二被泊候間、上下共ニ、飯米・草・薪等不自由ニ無
         |  之ほと、芦田與兵衛見計、相渡候やうニと、坂崎清左衛門を以、被 仰出候、則お郡奉行衆へも
         |  申遣候、與兵衛所へも書状遣候事、
         |一、道中人馬なと入次第引渡、彼方ゟたちん等出させ不申様ニと可仕旨ニ而、歩之御小性林作左衛門
         |                           〃〃
         |  ・赤尾茂兵衛被付遣候、宇佐郡御境目迄可被参由申渡、其分ノ状を渡遣候事、
         |一、奥村少兵衛事、頓ニ相煩申候事、

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