津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お安く読む・小学館新書「邪馬台国は別府温泉だった!―火山灰に封印された卑弥呼の王宮」

2020-08-23 20:05:53 | 書籍・読書

                   小学館新書<br> 邪馬台国は別府温泉だった!―火山灰に封印された卑弥呼の王宮

 面白そうな本を見つけると、なんでも購入してしまうたちの私だが、コロナ禍の中本屋さんにも出かけられず、ついつい「書評」のサイトhttps://www.bookbang.jp/  で本を見つけ出してはAmazonで購入している。
この本はそうではなくてヤフーニュースで偶然読んだ本の紹介記事からである。
「現代ビジネス」の 驚愕!邪馬台国は「別府温泉」にあった…地下には卑弥呼の王宮が眠る? という記事だ。
これを読んでさっそく注文した。これが届くと一両日の巣ごもりにはもってこいだ。

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内容説明

「距離の単位は短里」、「上陸地は洞海湾」、「不彌国分岐説」―生命科学者である著者が、科学的アプローチで「魏志倭人伝」の著作郎・陳寿が遺した“暗号”を解いた結論は…。幾多の知の巨人たちが挑んできた日本史史上最大のミステリーを完全解読。

目次

第1章 魏志倭人伝と新井白石の呪縛
第2章 魏の使節の上陸地・末盧国はどこか?
第3章 末盧国から伊都国、奴国を経て不彌国へ
第4章 不彌国から投馬国、そして邪馬台国へ
第5章 邪馬台国の王都・別府
第6章 邪馬台国の遺跡は火山の噴火によって埋没した
第7章 女王・卑弥呼の墓はどこに?
最終章 謎はすべて解けたのか

著者等紹介

酒井正士[サカイマサシ]
1955年、東京都生まれ。博士(農学)。東京大学農学部農芸化学科卒。株式会社ヤクルト本社中央研究所にて生命科学、生物工学分野の研究に従事。全国邪馬台国連絡協議会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

出版社内容情報

江戸時代から続くミスリードの呪縛を解く!

邪馬台国はどこにあったのか?――
新井白石、本居宣長、松本清張……江戸時代から現代まで、多くの知の巨人たちが挑んできた日本史最大のミステリー。この謎を解く鍵は、唯一の“一次資料”である「魏志倭人伝」にあります。
しかし、驚くことにこれまで邪馬台国について論じてきた多くの研究者は、この貴重な資料に明記されている「距離」と「方角」を、軽視してきたと言わざるを得ません。
著者は、生命科学や生物工学の研究に従事してきた経験から、当時(中国三国時代)の科学技術を再現し、「距離」と「方角」を忠実になぞることで、邪馬台国の場所を探っていきます。
この科学的アプローチによって、地図上には魏志たちが邪馬台国へと向かった道筋がくっきりと浮かび上がったのです――。
江戸時代から続くミスリードの呪縛を解く、驚きの新説。



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■細川小倉藩(326)寛永五年・日帳(九月朔日~ニ日)

2020-08-23 07:28:11 | 細川小倉藩

        日帳・寛永五年八月分は欠

                      日帳(寛永五年九月)朔日~二日


         | 
         |   朔日

         |
忠利泊所法光寺ヨ |一、田川郡添田の御宿法光寺ゟ、ひらたけ壱籠持せ差上候を、田内左兵衛持来候を、松井宇右衛門を
リ平茸進上    |  を以上候事
鏡善右衛門重病  |一、鏡善右衛門尉以外相煩申ニ付而、得 御諚申候へハ、いつれ成共、御薬師衆申付、羪生させ可申  
山田喜斎商材ヲ拒 |  旨、被 仰付候、則式ア殿へも談合申候ニ、山田喜斎可然候由、被仰ニ付而、喜斎へ申、薬
メドモ命ズ    |  を取、御鉄炮衆ノ内大羽理介ニ持せ遣候、喜斎ハ主手柄にて羪生調申間敷候間、薬を遣し申儀成
         |  間敷通、色々御理被申候へ共、仕切ニ申渡す候事
麦代官眼病ニヨリ |一、下毛郡麦代官、此中眼を煩罷居申候が、女房をも仕廻り、家ニひをかけ、ぬしハ鉄炮腹をきり申
妻ヲ殺シ家ニ放火 |  由、御郡奉行小崎太郎左衛門・木村苦労兵衛被申候、但、内田助左衛門と申もの也、狂気にて可
鉄炮腹ヲ切ル   |  有御座と申事候也、  
下毛郡奉行    |                                  
狂気       |  
忠利徒然ナル故投 |一、今日八つ時分ニ被 仰出候ハ、あまり御徒然ニ被成御座候間、豊後橋にてたうあミを打せ、可被  
網ヲ打タシム   |  成 御覧候条、あミ打ともをあつめ可申候、左候て、あつまり次第可被成 御出旨ニて、くれ候          
網打見物     |  まて、被成 御遊山候事、   

曽根村ノ庄屋伜ヲ |一、曽根村庄屋清右衛門せかれ少介、十二歳ニ成候を、今日小崎與次兵衛そねニ而成敗仕由ニ而、被
郡奉行成敗ス   |  罷帰候事、
地謡合      |一、住江孫三郎、明日ゟ地謡の調合のため可罷出との御触ニ付、罷出候由ニ而、被参候事
谷衛冬使者ノ宿  |一、谷卯兵衛様ゟ之使者、谷助兵衛殿ニ被居候ニ付、住江甚兵衛ゟ御客人屋へ被参候やうニと、三度
谷一党      |  迄被参申候へ共、助兵衛殿ゟの返事ニ、いつも谷一たう所ゟ参候使者・飛脚ハ前かと主所ニ召置
         |  候間、此度其分ニ被仰付被下候へと、種々被申ニ付、其分ニ仕由、甚兵衛被申候事、
  

         | 
         |   二
         |         
加賀山可政川狩ニ |一、昨日御河かりニ被成御座候御供ニ、主馬被参候御小早ニ、布袴一下ぬぎ置被申候、御加子はたれ
布袴ヲ舟ニ遺留ス |  のはかめ共不存候由ニて、持来候を、とり置候処ニ、加々山主馬ゟ被申候ハ、主はかまを舟ニ置
         |  候間、相渡し候様ニと被申越候、則使作兵衛ニ相渡候事、
長崎へ買物ノ廻船 |一、長崎へ御かい物為迎舟、御船頭河野惣右衛門、九たんぽ、ろハ廿二丁立候由、申来候事、
曽根村庄屋誅伐ニ |一、曽根村之源兵衛登城仕候、今度庄や清右衛門御誅伐被成候、清右衛門むすめを私よめニとり置申
縁者連座ヲ免レシ |  候処ニ、免被下忝由ニ而、御礼ニ與二兵衛めしつれ被参候、又清右衛門妹むこ理右衛門も、主女        
礼        |  房免被下、忝とて右同前ニ御礼罷出候事、

下毛郡麦代官狂気 |一、下毛郡麦代官内田助左衛門尉切腹仕二付而、其子細御郡奉行木村九兵衛・小崎與次兵衛二相尋  
切腹ノ理由    |  申候、右両人被申候ハ、麦代官此中眼を相煩、御用ニ立不申候、左候ヘハ、御郡横目麦代官とし
         |  て小山奉行をも仕候へと被 仰付候、八・九月ノ時分ハ木・竹をも百性かいたきと申自分候間、  
         |  替ものを被下候へと申ニ付而、岡茂左衛門と申もの被下候間、就夫、切腹仕たると存候、此方ゟ        
         |  かの助左衛門ハ御ふちをはなされ候とも不申付候処、かやうノうつけたる果てやう仕候ハ、狂気ニ
         |  て可有御座と、申事之由被申候事、

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