津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■詰め込み勉強中

2020-08-15 21:22:24 | 書籍・読書

                                  

    来週末の史談会例会を前にして、資料作成と共に詰め込み勉強中である。
文久三年の「恕斎日録」を取り上げるが、これは未刊行のものである。
内容は吉村豊雄元熊大教授の「幕末武家の時代相」にも詳しいが、これとは別に写真の四冊を只今「詰め込み勉強中」である。

私の中では幕末の取らえ方は「小説的」であり、詳しい資料を追ったことがない。
文久三年とはまさに幕末激動の時代であり、史談会を前に泥縄・急拵えために、鋭意読書中である。
巣ごもりの状態はなかなか良い環境である。

       

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■細川小倉藩(319)寛永五年・日帳(七月十二~十三日)

2020-08-15 14:06:58 | 展覧会

                      日帳(寛永五年七月)十二~十三日

         |              
         |   十二日
         |

刀屋竹屋喜兵衛ノ |一、竹屋喜兵衛、中国ゟ弐腰取よせ申、被 召上候刀・わきさしの内、兼光ノ御わきさし、下とき
下研鑑定     |  仕、見申候処ニ、おもわしく無御座候間、かへし可申由申候処、よく申上候、おもわしく無
兼光ノ脇差ハオモ |  之候ハヽ、かへし可申候、以来もかやう之儀ハ不及申上候、竹屋次第弐思召候間、其通ニ可仕
ハシカラズ 竹屋 |  旨、被 仰出候事
ノ鑑定次第トス  |
三斎山田喜斎ヲ呼 |一、三斎様ゟ、山田喜斎御用ノ由ニ而、次飛脚にて 御書 忠利様へ被進之候、則被 仰付、喜斎中
ブ        |  津へ被遣候、御乗物かき六人、幷宿々ゟ乗物かき十人宛出置、宿送ニ而、中津へ送届可申由、申
駕籠ヲ宿送リトス |  付遣候也、右ノ中津ゟノ御文箱、夜前戌之刻ニ時付ニ而候処ニ、巳之下刻ニ着仕候ニ付、次飛脚
         |                                   (黒原、規矩郡)
継飛脚大水ニ遅引 |  手前せんさく仕候ヘハ、事外大水出候て、河越不罷成候通、宿々ゟ申来由、くろ原の次飛脚申候
ス        |  事、
         |(一脱ヵ)
         |  盆之御悦ノ外ニ、三荷三種被進之候事、右之荷物次夫二而遣候、さい料ニハ、御鉄炮衆弐人遣候
         |  事、
         |                                    (ママ)
三斎等宇佐ヨリ帰 |一、明石権太夫・山路太郎兵衛、うさへ御掃除奉行として被遣候、 三斎様御機嫌、昨十一日に中津
着ス       |  へ被成御帰由、右両人被申候事、
         |一、続権六 三斎様へ之御進物被進御使者被遣、是又右両人同心に而被罷帰候、則 御返書持参被申
         |  候、何も奥へ被参、 御返書を上、又様子可被仰上由、申渡候事、
         |一、江戸へ被遣候御鉄炮衆を追付候て、遣候小早之御船頭中靏二左衛門、備前之内出崎うらにて、去
         |                (延俊)   (俊治)
         |  十日之巳ノ刻に追付、江戸へ木下右衛門様ゟ同左兵衛様へ被遣候御文箱相渡、切手を取、下申候
         |  事、

         |              
         |   十三日
         |

京大坂ヘノ音信ノ |一、小早ノ御船頭桑田左兵衛、詰小早に上せ申候ニ、上せ申 御書数 其外ノ状数之覚
覚書       |      (米田是季・小笠原長元・沼田延之・志水元五)
         |  一、大坂四頭■衆へ被遣 御書箱壱つ、
         |  一、御文箱四つ、又しふかミつゝミ之文箱壱つ、一からけニして有之、
         |  一、小倉や二兵衛・木や理右衛門・石原久左衛門三人へ、被成 御書候御書数三つ、
         |  一、四頭衆へ、修理・兵庫ゟ上せ申状壱、
         |  一、四頭衆へ、修理・兵庫ゟノ状一、是も源左使ニ渡ス、
         |  一、明石源左衛門方へ、両人ゟ之状一、源左使ニ渡ス、
         |     (元五) 
         |  一、志水伯州へ、兵庫ゟ之状一、
         |
         |  一、京へ遣状三つ、寺嶋ゟ可被届由ニ而上ス、但、壱つ、我々両人・御納戸衆ゟ弐つ、
         |                                       (黒印)
請取       |                         右之前、慥請取申候、桑田左兵衛〇
         |   ル    (三斎室)    (ママ)
秀林院法事ノ準備 |一、来十七日、秀林院御法事之ニ付而、御掃除繕之儀、上林甚介に申渡候事、
         |        ガラシャ・28年忌 
呼野金山米銀幷金 |一、呼野金山御米銀幷御金子御算用被相済、返号取被申由、右田三右衛門・夏間少三郎被申候事、
子算用済ム    |
         |〇コノ間落丁アルカ、
京都借銀利足下ル |一、京都御借銀、利足去二月ヨリ壱朱通りさけ申候との書物、以上五通、宗像清兵衛・富嶋弥兵衛ゟ
京ノ段      |  被持下候を請取、京之段ニ入置也、当暮御借銀為御返弁、御上被成仁ニ持せ可差上書物也、
         |  (烏丸光賢室)中津滞在中
         |一、御万様御留守ゟ、御万様へ上り申しふかミ包之小箱壱つ、宗像清兵衛被持下候間、則一昨日中津
         |  へ持せ進之候処ニ、貴田権内被請取、則御万様へ上被申候処ニ、被成御満足返事被差越候事、
         |  (久留島越後守通春)
久留島通春使者  |一、来嶋右衛門市殿ゟ御使者被参候事由ニ而、御状吉田少右衛門持被上候事、
         |                〃
京都借銀寛永四年 |一、寛永四年分京都御借銀のため被成候 御袖判十七枚之内、壱枚ハ保利與兵衛頂戴仕、平野屋仁吉
分袖判ノ内訳十七 |            〃〃〃
枚        |                   (富嶋)(宗像)
二十五枚     |  銀をかり申由候、〆而拾六枚ハ、去年弥兵衛・清兵衛 御袖判弐拾五枚持参仕内之由候、廿五   
         |  枚之御袖判払ハ、去年深野二郎右衛門江戸へ罷下候時、二郎右衛門ニ払仕上被申由候事、右拾七
         |  枚之被請届候 御袖判、我等共請取、 御前へ差上申候事、
         |                                        
京都借銀寛永五年 |一、寛永五年京都御借銀ノため 御袖判弐拾枚、清兵衛・弥兵衛請取被申候内、拾四枚ハ寛五の御借
         |         御袖判     (ママ)
         |  銀ニ相渡候、内壱枚分ハ利足申さけ候ニ付、又壱枚書直、前かとのと取かへ申被申候而、右利足
         |                                    〃
         |                       外ニ
京都買物ノ代銀  |  たかく候 御袖判を取もとし、只今被差上候、又弐枚ハ、京都御かい物ノ代銀幷御国之御小遣不
         |  足之時、為御借用、小野九右衛門・佐藤少三郎・黒川甚左衛門ニ相渡置申候、又外ニ三枚ハ余り
         |  申ニ付、只今上ヶ被申分、都合弐拾枚請取被申、 御袖判請払相済申候、
         |  右之前、我等共請取 御前へ差上申候事、
         |(ママ)
         |一、
      

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■文久三年「恕斎日録」(42・了)

2020-08-15 06:18:58 | 恕斎日録

315(十二月)
  廿一日  今日御先祖祭之事
       吉弘・山形・宮部・戸嶋・魚住家内共案内 例年之通献
       奠饗応之事
       御献立等献立帳ニ記例年之通
        今日者千衛殿初命日ニ而候得とも年内ニ者
        無余日 且ハ追善之事ニ付今日相供候事
  廿二日
  廿三日  今夕藤本兄弟方長屋笠隠居忘年会案内之事
        藤本兄常記ハ差懸病中不参 依而薬用ニ龞一
316
        ッ送候事
  廿四日  公参湧泉庵参拝之事
       今日岩崎物部御用有之 多年帳口ニ而出精いた
       し候ニ付 御足高五拾石 且二ノ丸宮内御作事御
       用出精ニ付 御小袖一銀三枚被下置候ニ付 夕方
       同役同道欽ニ参る事
  廿五日  今日者被 召出候筈之處 明日ニ御延引被 仰
       出候事
  廿六日  今日被 召出出勤之事
      一御米柄等大濱町出火之事言上
317
       右御用勤相済候上ニ而被遊 御意候ニ者 其後
       者いまた逢ぬが 伊倉へ参り候節者セ話ニ成候
       ぞとの 御意ニ付 御意之趣誠ニ以難有仕合ニ
       奉存候 其節者御別段之御懇意ニ被 仰付 御品
       々器共ニ拝領被 仰付 誠ニ以冥加之仕合ニ
       奉存候と申上候処 菓子ハ家内共へたへさせた
       るか 少なくてたりたかとの 御意ニ付 沢山被下
       置いつれへも為戴申候 誠以冥加之仕合ニ奉存
       候と申上候處 其節之樽ハ二ッ共ニたべたぞ 大
       ニ酔たるそとの 御意ニ付 是又冥加之仕合ニ
318
       奉存候 庄右衛門儀も植木ニ而者 大きなる御盃
       を 御借ニ而被下候ニ付 大ニたへ酔 漸もて御
       共申上候と申上候處 其節之同役者何とか申ぞ
       との 御意ニ付 永屋猪兵衛と申候 是へも数杯
       被下置 大ニたへ酔申候 併猪兵衛儀者酒量庄右
       衛門ゟも餘程強 且者いまた年若御座候ニ付 庄
       右衛門程ニ者酔不申候と申上候處 否ヤ庄右衛
       門茂餘程強そとの 御意 尚 上ゟノ御意者 其
       節伊倉ニ而春毛の馬目ニ付 おれも春毛の馬持
       ぬニ付 今日典八を引せニ遣し□たが 追而筋々
319
                     (ママ)
       相達可申候 迷惑ハせまいかとのとの 御意ニ
       付 嘸々難有奉存可申候段申上候處 庄右衛門か
       乗たる馬は孰か馬ニ而候哉との 御意ニ付 松
       尾二郎作可春気の馬ニ而御座候と申上候處 お
       れか乗たる馬ハとの 御意ニ付 上の日為召
       候馬ハ篤斗存不申と申上候處 大木織部宿亭
       之馬との御意ニ付 夫ハ今川善七郎馬ニ而御
       座候と申上候處 迷惑ハセまいかとの 御意ニ
       と申上其外段々被遊 御意候事
320
  廿七日
  廿八日  小倉村上新蔵ゟ早打ち書状着
       去ル廿四日 薩州蒸気船大坂ゟ長崎へ通船 下関
       向田浦へ碇泊いたし候處 下関ゟ相図数発放し
       懸候ニ付 蒸気船者郡浦を引退候節 竈ゟ火然出
       悉焼失いたし 乗組六十八人之内四十人助命 其
       外は相分不申候 右数発之相図暴発之実丸当り
       焼失の風聞之事
       右ニ付 荒木氏ゟ外聞出し候様との事ニ付 今日
       午刻仕出 南関江人撰を以 至急ニ外聞を差出候
321
       佐馬御惣庄屋へ早打仕出候事
  廿九日  伊倉 御出之節入目銭 御郡中割願出済達
      一銭四拾貫百三拾五匁壱厘
       右者六手永割出 其外自手永諸雑費茂有之 六
       貫目も入り候由なり
  晦日   詰間歳末之寄合 一統無事ニ而異聞も無之候事
       今晩家内中歳暮之祝儀嘉例之通相済候事
       家内中へ銘々歳暮遣し家来共下女共へも手拭
       一筋完遣し候事

 
                (了)

        文久三年「恕斎日録」は今回をもって終了いたしました。
  50回を予定していましたが、内容があまりにも面白くタイピングも順調に進みました。
  一日平均7.6頁毎日二時間ほどを要しましたが、コロナ禍と猛暑による巣ごもりも関係したようです。
  畏友S氏が「恕斎日録」全巻のコピー版を熊本県立図書館に寄贈され、近々公開の運びとなります。
  他の巻もご紹介できる日が訪れることを期待しています。       
       

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