日帳(寛永五年七月)八~九日
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| 八日
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| (烏丸光賢室、三斎女) 側小姓・御扈従役歟 百石「一書二歩小姓頭・実也」 (於豊前小倉御侍帳)
三斎等宇佐善光寺 |一、宇佐善光寺へ 三斎様・御万様・浄勝院殿被成御座ニ付、為御宿奉行、善光寺へハ安井太右衛門
へ参詣ノ予定 | (吉田兼治室、三斎妹伊也)
| 供之者・御扈従与也 二百石
| ・平野治ア左衛門、歩之御小性吉谷平太夫・吉村次左衛門被遣候事
| 馬廻組二番組 二百石
|一、宇佐ヘハ、山路太郎兵衛・明石権太夫・蒲生猪左衛門・松岡九太夫被遣候事、
| 供之者・御扈従与也 三百六十六石余
|一、御使ニハ、崎村三郎兵衛被遣候、御■音信物ハ、永良長兵衛ゟ渡ル、
上方ヨリノ音信 |一、小早之船頭徳嶋八兵衛、当二日ニ出船仕由ニ而、罷下候ニ持下物之事、
| 上
| 一、大坂四頭衆ゟノ言状壱つ、
| (氏次)
| 一、田中兵庫ゟ言上之状壱つ、
| (九)(広隆) (可政)
| 一、丸鬼四郎兵衛ゟ、加々山主馬所へ之状、持せ遣候、
| 一、丸鬼四郎兵衛ゟ言上状壱つ、進上ノ由ニてこもつゝミ壱つ下ル、但、宮崎粉十袋と、書付
| 有之箱壱つ也、
| (鱈ヵ)
| 一、井上源三郎ゟ□壱つ下ル、則上申候事、
菜種 | 一、築山兵庫ゟ、しふかミ包壱つ、進上と書付在之候も下ル、但、なたねと札有之、
| (へ)
湯帷子 | 一、野下杢所ゟ、御ゆかた三つ入一箱上ヶ被申候、但、清左衛門方へそ状状ニ而下ル、
京菜之種子 |一、京なノたね杉箱壱つ、築山兵庫ゟ、進上被申候、則上林甚介ニ蒔せ可申旨ニ而、林隠岐被持出候
| 事
|一、大嶋喜右衛門儀、此地ニ而御用被 仰付、よつてかわりを、御金山へ遣、気右衛門よひよせ候へ
| と月行事彦兵衛ニ申渡候事、
| 切米人数 八石二人 花畑 (於豊前小倉御侍帳)
小堀長左衛門ノ礼 |一、小堀長左衛門儀、昨日御礼弐罷出候、御礼ニ罷出候へと、たれ申付候哉、主心得ニ而罷出候哉
ニ出様 |
| と、林隠岐を以被成 御尋候、正・五・九迄ニ弥五左衛門・八右衛門与ニ居申候候間ハ、御礼申
| 上候へ共、御花畠ニ被遣置候、ひまも御座候ニ付、御礼ニ罷出候由、御請申上候事、
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質部屋入リノ山岡 |一、書鑑煩申ニ付、竹田了由被遣候、脉を取被申候か、余りさしたる煩ニてハ無御座由、了与被申
書鑑煩ウ | 候、併昨日ゟ今日迄めしをたべ不申由候とて、薬三服遣被申候、御遣番岡嶋市兵衛ニ持せ、しち
| へやへ遣候事、
烏丸資慶等ニ饗応 |一、生源寺少九郎、中津ゟ罷帰候、中津ニ而花火仕候処、殊外 三斎様御意ニ入申由候、就夫、 御
ノ花火三斎事ノ外 | 帷子壱つ被下由被申候、則 御前へも申上候処ニ、御応之 御之由、地アも被申候、少九郎も
気ニ入ル | 申候事、
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| 九日
| (伊予)
中瀬左太郎ノ付人 |一、菊野伊織ゟ、林隠岐を以被申越候ハ、中瀬左太郎殿いよゟ御下候時、下ノもの四人ましつれ被下
ノ増減 | 候、十人遣せ可申旨、被 仰出付、都合十人ニて居被申候へ共、去年ハ御留守ニ被居ニ付、人も
| さほと入間敷存、左太郎殿ニ□見仕、四人ふちをはなし申候、然処ニ、今度片山示庵家ニ被遣
| ず 被下候
| 候、余人なく候て、事かけ申候間、今弐人ほと御付候て■■■様ニと、被申越候事、
布木綿尺ノ規定 |一、布木綿尺之儀、去年ハ弐丈六尺五寸と仕候へと、御国中可申触由ニ而、御年寄衆ゟ御触状参
二丈六尺五寸ヲ | 候、則ふれ候処ニ、式ア殿此中被仰候ハ、弐丈六尺五寸に而ハ、きたけ無之由候間、弐丈八尺
二丈八尺トス | 〃
屹度触ㇾシム | 弐仕候へと、可申触由被仰渡候、吉田少右衛門も被申候ハ、急度申触候へと被申候事、
塗師屋ノ奉行 |一、ぬしやノ奉行ニ、横田権左与渡辺八左衛門・富田十太夫与中尾五右衛門今日ゟ付候事、今迄ハ下
| 田源右衛門・靏太久左衛門取替返候事、
| 〃
竹流金 |一、竹なかし之御金子廿九匁四分壱つ、
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吹直シ |一、三十六匁四■分壱つ・砂金七匁、右之分御ふき直させ可申旨にて、杉本左介弐被成御渡候、相奉
| 行ハ宮部権三郎也、是も吹直、又 御前へ上ル、
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間歩金之覚書案 | 御間歩金之覚
|高四百五拾八匁壱分之内、弐拾三匁三分ハ、御山ゟノ吹ぬき金、御前に有之
砂金 |一、四百拾八匁七分 砂金
出目 | 内弐匁弐分 出目 加々山権左衛門印
| 春木金太夫印
だうてん |一、拾禄匁壱分ハ だうてん
出目 | 内壱分ハ 加々山権左衛門印 出目
| 春木金太夫印
| 二口、合四百三拾四匁八分は砂金・たうてん共ニ、
請取 | 右之前、請取申所如件、
| 寛永五年七月七日 杉本左介
| 宮部権三郎
| 浅山修理殿
| (成政)
| 坂崎清左衛門殿
| 右之切手前、 御前ゟ請取、杉本左介・■宮部権三郎吹せ申候而、則宮川治アを以、又 御前へ
| 上ヶ申候、右之請取切手ハ左介ニ戻申候事
山田喜斎三斎ヲ療 |一、山田喜斎中津ゟ被罷帰候、御道服壱つ・御帷子壱つ拝領仕由、被申候事、
治シ小倉ニ帰着ス |
上方へノ音信 |一、明日、上方へ上り申詰御小早ニ、
| 一、大坂四頭衆へ之 御書壱通、
| 一、田中兵庫方へ之 御書壱通、
| 一、井上源三郎へ之 壱通、
| 一、築山兵家へ之 壱通、
| 右持せ可遣旨、被 仰出候事、
三斎診療ノ明寰中 |一、三斎様御煩ニ付、明寰中津へ被召寄、京罷帰候、御道服壱つ・御単物壱つ・御帷子壱つ拝領仕
津ヨリ帰着ス | 由申候事、
大坂ヨリ書状 |一、大坂詰小早ノ御船頭河村喜左衛門罷下候、大坂四頭衆ゟ言上、幷式ア殿へ之状持下申候、則式ア
| 殿へ持せ遣申候、又田中兵庫方ゟ、状被差下候事