津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(315)寛永五年・日帳(七月四~五日)

2020-08-10 14:33:31 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)四~五日

         |              
         |   四日
         |

         |           (一通)
日出臼杵ヘノ飛脚 |一、木下右衛門様、又稲葉民ア様へ被遣候御飛脚、御小人弥左衛門与久太郎ニ持せ遣候。但、右衛門
         |  様へ御文箱を上、それゟ御返事を取不申候とも、すくニ臼杵へ廻り、民ア様へ御書上可申旨申
         |  付、遣候事、
         |   (久重)
         |一、中川内膳様へ遣候御飛脚ハ、久昨与半右衛門と申御小人遣候事、
         |                            (富田)
金具ノ用ニ金子ヲ |一、御金具ノ御用ニ、金子四十四匁五分ふかせ申候、奉行ニハ十太夫与筒井半七、横目ハ横田権佐与
吹カシム     |  渡辺八左衛門也、
下関へ人返シ   |一、囚、昨夜下関へつれさせ遣之歩之御小姓菅野八左衛門、其外御鉄炮衆罷戻候、返事ハ式ア殿・頼
         |  母殿へ相渡由ニ候事、
         |  毛利秀元ノ家老   以   (毛利元親) (伊秩元恵)               (ママ)  
毛利秀元ノ家老  |一、細川宮内・西意節・森大学・伊鍬采女、右四人中国の御家老 
         |   (元董)   〃(清房ヵ)
         |                  (蛙、焼物ヵ)

上野焼売三足ノ蛙 |一、当町ノ上野やキうり申もの、三足のかいるを壱つ、上ヶ申候由ニて、吉田少右衛門持参被仕、上
ヲ上グ      |  ヶ被申候事、
町人矢ヲ進上   |一、東小倉米町ニ居候町人九左衛門と申もの、矢一箱上ヶ申候へ共、今迄たしなミ置上ヶ申候、可
御礼ヲセザリシ者 |  被 召上候へ共、皆迄無御用候間、御返し被成候、終御礼不申ものニ候ハヽ、重而御礼か申上
         |  候、其時其方能様と存候を、壱本上ヶ候へと、被 仰出候、則かいる上ヶ申ものニ、御帷子弐
         |  つ被遣候事、やき物や五郎左衛門と申もの也、
         |
三斎すきと快気  |一、竹原清太夫、中津ゟ被罷帰候、 三斎様御気色弥すきと御快気之由、被申候事、
町奉行ノ居宅ノ借 |一、吉田少右衛門尉今迄被 召置候屋敷、西ノかと御借家の内三間、糸や吉左衛門尉ニ被遣候、就夫、
屋を糸屋ニ与フ  |  差図をお大工松原二郎右衛門ニ仕せ、懸 御目、相済候処ニ、二間ニ弐間半ノ間弐つ、壱間半ニ
         |  弐間半ノ間壱つ、又壱間半ニ弐間半ノ間壱つ、さしつニまかせ、被遣候ヘハ、吉左衛門申候ハ、
差図ニ違う    |  右之間付差図とハ違、事外せまく、其上家もひきく御座候、今之分にてハ、何共罷成間敷候、迷
         |  惑之由申候ニ付而、河田八右衛門ニ、右之間積りを申渡、見せ遣候処ニ、間積りハ書付ニ相違ハ
京間ト田舎間   |  無御座候へ共、京間といなか間とノわけにて、本六尺三寸にてハ無之、少せはく御座候由被申
         |  候、右ニ差図を仕せ候時、二郎右衛門ニ重畳念ヲ入、両度迄二郎右衛門を見せニ遣申付候ニ、か
大工ノ無念    |  やうニ違候様ニ仕候儀、二郎右衛門無念ニ相究候、
         |            (政時)     (政成)
披露状      |一、中津ゟノ緒返書、幷貴田権内方ゟ坂崎清左衛門ニ当り申披露状、又江戸 三斎様御留守居衆へ御
         |  用之儀被申遣状、しふかミ包壱つ、次飛脚にて九つ時分ニ参候を、修理登城仕、上申候処ニ、又
         |  次飛脚にて、江戸 三斎様御留守居衆へ之状とそへ状壱通、次飛脚にて被差越候事

         |              
         |   五日
         |

         |一、長崎へ御飛脚ニ遣候御小人半三郎・久右衛門、此弐人ニ長崎へ之状、又かちの御小姓山本喜兵衛
         |  へ之状とも被遣候事、
糸屋ヘノ借家ノ検 |一、吉田少右衛門尉今迄被罷居候屋敷之御借家之内、かど三間糸屋吉左衛門ニ被遣候処ニ、差図之間
分        |  ゟも間せばく御座候而迷惑仕由、吉左衛門申ニ付、弥々吟味仕候、冣前之さしつ、御大工松原ニ
         |  郎右衛門ニ仕せ申候ニ、左様之相違有之ハ、御大工仕様さたのかきりにて候由申ニ付、又、二郎
         |  右衛門、其外和斎弥左衛門なと参候而、吟味仕候処、かど之壱間、二間半ニ壱間半と■差図ニ書
         |  付有之ニ、壱間半と有之分、七寸五分せはく御座候、是ハ松原無念ニて、かやうニ仕そこない申
         |  由申候
筑後ヨリ来ル牢人 |一、昨日筑後ゟ参候牢人、生国御国之ものゝ由申ニ付而、爰元ニも有付居可申と申候ハヽ、其分ニ可
生国ハ豊前之者  |  被仕之由、五家老衆ゟ御郡奉行ニ被仰渡ニ付、在所のものニも様子被相尋候処ニ、高橋殿御代之
高橋ノ代ニハ徳光 |  時、規矩郡徳光村ノ給人原掃アと申ものゝ子、二郎右衛門と申仁之由、徳光村之ものとも申候、
村ノ給人     |  此段御郡奉行衆ゟ御家老衆へも被申入候ヘハ、何方可被参も、又ハ爰元ニ逗留可被仕も、かの
居住ハソノ者次第 |  仁次第ニ可被仕通、被仰由、御郡奉行被申候、尤候間、其分ニ可被仕通、申渡候事、
豊後横目ヘノ音信 |一、豊後苻内御横目衆へ被成御音信候、御小人里右衛門・三四郎・久蔵・作右衛門、去ル廿九日ニ遣、
         |  今日罷帰候、御返書文箱弐つ持来候、永良長兵衛ニ渡ス、
         | (長門豊浦郡)
毛利秀元使者   |一、長苻ゟ今日御使者参候事、
         |
烏丸使者中川伯耆 |一、烏丸宰相様ゟ御使者として、伯耆被罷下候ニ、御かたひら弐つ・単物壱つ、御使者ハ永良長兵衛、
へ帷子等与フ   |

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■「山の日」の散歩

2020-08-10 07:42:00 | 徒然

 オリンピックが開催されていれば昨日は閉会式だったそうな。コロナ騒ぎで忘れ去られてしまった。
今日の「山の日」なる祝日も、オリンピックに絡んでいる。本来は11日なのだそうだが、オリンピックに絡ませて前日の日曜日に引っ付けた。
爺さまはそんなこととは露知らず、「原爆が落ちた日でもなく」「終戦記念日でもなく」考え込んでしまう。

 私が住まう「尾ノ上」という町名は、一帯が小高い丘陵地であったことに由来しているらしい。
近世に於いては「小峯山」と読んでいたらしいが、藩の軍事訓練(下図)などが行われる場所でもあったらしい。
東西に長い丘陵地でその場所がどこであったのかを知ることは出来そうにない。今ではすっかり宅地化されている。
今日は「山の日」だからという訳ではないが、そんな丘陵地を散歩のコースにしてみた。
歩く目線の先には真っ黒な雲が、太陽に輝く真っ白な雲に重なり合いながら、東から北へ凄い早いスピードで流れている。
台風の所為だろう。九州の西海上を進んでいるが、大きな暴風域に入っているから午後には少々影響が出てくるのだろう。
今年は長梅雨の所為で、この時期になっての初台風である。
最近の気象の変化を見るにつけ、台風もBIG化するのではないか?ただただお静かに願いたいと思うばかりである。

          

                          小峰山調練高覧之図

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■文久三年「恕斎日録」(38)

2020-08-10 06:47:09 | 恕斎日録

281
  十一日  今日ゟ明日迄 妙応院様御百五十年御忌に付
       於妙解寺御法会ニ付 今日八ツ頃ゟ明日迄 一統
       参拝被 仰付候御達ノ事
  十二日  今晩九郎右衛門殿ゟ拝領之鴨莵振舞ニ而 頃日         中老 平野九郎右衛門の振舞
       之連中案内ニ付罷越候事
282
        今日柄ニ候得とも 拝領之御品古ひ申候而
        者不相成 且御遠忌と申晩方ニ付 無遠慮参
        候様との事ニ付 尊者之命 且ハ伊倉連中之訳
        ニ而被招候事ニ付晩方ゟ罷越候事
         来客     松野亘殿                   家老
                神谷矢柄                   小姓頭
                松野亀右衛門                 小姓頭
                三宅藤右衛門                 御取次組脇
                元田傳之允              (永孚)中小姓頭
                安東弥八郎                  歩頭
283
                取持
                歩御使番野々村源之允             歩ノ御小姓
                同   高山秋蔵               同上            
                同   松岡玄良               医師
                       妻
        九郎右衛門殿奥方も被出 取遣等被致候事
        献立
         吸物 拝領之鴨  大鉢 鯛さしミ・海老
         太平 拝領莵 のつへい  丼 釣柿・からし入
         丼 芹こま醤油  菓子 干菓子
284      
         右之通拝領之品迄位ニ而至而簡易也
        右咄之内 九郎右衛門殿ゟ三宅藤右衛門方へ拝
        領御重之事催促ニ相成候處 大木織部病ニ付 同
        人出勤之上取斗可申との返答也
  十三日   今日嘉一郎儀於講堂御用有之候間 少子同道ニ        庄右衛門嫡子嘉一郎、時習館にて御紋附上下一具被下置
        而罷出候處 文武芸出精仕候ニ付 御紋附御上下
        一具被下置候事
                    中村嘉一郎
        其方儀 学問多年不相替出精相進 算学数年出精
        天元術相傳相済 測量術茂出精相進 勝剣術槍術
285
        数年出精 藝術相進候段達 尊聴候處 心懸宜儀
        と被 思召候 依之目録之通被下置旨被 仰出
        候 弥以出精禍有之候
         御紋附御上下一具 献立等ハ献立帳記
        右為吹聴 興所々廻り方いたし 九郎右衛門殿
        へ同道参り候處 留守ニ而逢不申 亘殿へ同道参
        候處 直ニ今へ被呼入 欽をも不申候上ニ而者
        嘉一郎へ被申聞候ニ者 少子儀 今度伊倉ニ而者
        冥加之仕合 御手自ら御重箱乍ら御菓子をも
        拝領ニ相成 自身さへ左様之拝領ハ容易ニ無
286
        之 至極之首尾 家之面目と存候段噂之事
         明後日者快復之内祝いたし 旁九郎右衛門初
         頃日之連中 此方へ参り候間 少子へも参候様
         案内被申候事
  十四日
  十五日   去ル十日 岩崎物部 根取井上勝蔵 甲斐半太御咎         岩崎物部以下御咎
        有之 薩摩森山嘉左衛門ゟ過分之音物を受用い        岩崎物部・庄右衛門前任者、現飽田郡代
        たし 旅人相手之儀者御外聞ニ差障り申候事ニ
        候處 同人御国中ニ而不正之申答いたし候を不
        心得と者乍申 不行届筋ニ付 以来心を用候様と
287
        の御達 右ニ付いつれも同日ゟ身分伺を差出候
        處 差扣居候との御達ニ付 いつれも引入居 右之
        外永山甚記者百笞ニ七里追放 其意可御役人も
        夫々御咎仰付候事
        右ニ付 今日詰間ニおゐて段々評議之中 蒲池太
        郎八ゟ申候ニ者 岩崎御咎之御辞令之中ニ 過分
        之音物受用 且又御外聞ニも差障り候との御文
        言者不容易筋と申 養民之職其身安心いたし候
        哉 差扣御免之上直ニ出勤も如何 其段ハ岩崎へ
        咄合見可申欤との存付ニ付 いつれも同意いた
288
        し 今夕直ニ入江次郎太郎同道ニ而参り咄合候
        處 自身ヘハ安心之様ニも有之候得とも 小子ゟ
        荒木氏迄内分相伺呉候ハヽ無此上候との事ニ
        付 夫ゟ直ニ小子一人同方へ参り 右御文面之次
        第を以相伺候処 右音物ハ過分ニ候得とも返礼
        いたし候事ニ而其所□たり不申 御外聞ニ差障
        候と申事ハ音物を受候ニ付而之事ハ無之 旅人
        相手之事ニ付 不正之事ニ心附不申候段不行届
        候との意味ニ而 少しも無懸念出勤いたし候様
        若引入候ハヽ小子ゟ相進メ 差扣御免次第直ニ
289
        出勤いたし候様との返答ニ相成候ニ付 帰り懸
        直ニ松野殿へ参り候間 吉弘宅ニ而書状相認 右
        之大意岩崎へ申遣候 同人ハ日数十日を過 差扣
        御免ニ相成 井上列も同様之事
         右帰り懸 九郎右衛門殿へ塗中ニ而行逢候處
         同殿ゟ自身も松野方へ被参候ニ付 小子へも
         追而参り候様との噂相成候付 小子儀も直ニ
         罷越候事
        亘殿者 今度在江戸中ゟ大病快復 且又孫殿今日         家老松野亘快気及び孫子髪置、併せての祝の振舞
        髪置之祝共取束宴会ニ付 縁家衆も相見家内衆
290
        も被出候事
         右連中伊倉御供先日之連中
         其外早川十郎兵衛 長谷川勝次郎 奥田小左衛
         門 奥山静叔列石三人 早川娘
       一右之中ニ 九郎右衛門殿ゟ小子を近く被呼立候          重箱拝領についての尽力
        而被申候ニ者 自身機密を洩候事ハ嫌候得とも
        別段之事ニ付内分申候 頃日之御重箱者 別段之
        事ニ付被下置候方ニ相成候間 安心いたし候様ニ
        との事ニ付 小子ゟ夫ハ誠ニ難有仕合奉存候 家
        之重寶永く子孫ニ相傳候段を申向候事
291
         三宅藤右衛門方ゟも 自身ゟ右御品ハ被下候
         様ニ取斗置候 御請之儀ハ大木織部方へ参り
         候様との噂ニ成候事
        右宴会席之中 小子へ仕舞所望ニ相成候ニ付 田          所望により「田村」を舞う
        村之曲等舞候事  

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