津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■今日の散歩は・・・

2020-08-29 17:43:09 | 徒然

 今日は6時半起きと少々起床が遅くなってしまった。土曜日は「さわこの朝」を見なければならない。
見終わった頃食事、そしてシャワー、奥方が買い物に出かけ、着払いの品物がつくらしくそれを待つ。
そうこうしていたら奥方も帰ってきたが御昼と相成った。
もう外はカンカン照り、予報は38℃とか言っているから、その時間外へ出たら完全に熱中症になる。
今年は24時間クーラー付けっ放しの中で過ごしているから、体が27~8度に順応しきっていて、35℃の世界を30~40分歩くのはとてもできなくなった。
いろいろ言い訳をしながら散歩は中止である。
この時期の散歩は、起き抜けに済ませないといけない。明日は早起きをして少し長めに歩きましょう。
下は数日前に久しぶりに会った「鉄犬くん」暑さで随分参っているようだった。

                

                 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ヤフオク「福田家史料」三点

2020-08-29 15:42:25 | オークション

  福田家については、私の記憶では過去にもヤフオクの宛行状が出品されたように思うが、その折のものの再出品だろうか。三点がバラバラで出品されている。

              福田次左衛門宛目録 肥後国益城郡・飽田郡之内 弐百石

       ①- 


          肥後藩 四代藩主・細川宣紀知行宛行状 益城飽田二郡之内 正徳6年

       ②- 


          熊本藩 九代藩主細川斉樹 知行宛行状 益城飽田二郡之内 福田次左衛門宛

       ③- 

①と②は、三代目・次左衛門のものである。御使番 続団右衛門組・御目付 二百石(御侍帳・元禄五年比カ)なる人物である。
①によると、知行地替えを願い出たらしく、かなえられ決定した目録である。
②は松本寿三郎氏の「熊本藩御書出集成」にその存在が記載されており、その現物が出品されたことになる。

③は、七代目・寿八郎(次左衛門)の宛行状である。  
この人物は、御番方・松下清蔵組 二百石 叉 御留守居御番方・住江次郎左衛門組 二百石トモ「文政十一年三月~天保三年七月 八代郡代」を勤めた。
同人宛の文政九年・二百石の細川斎護公御書出が、やはり「熊本藩御書出集成」に掲載されている。

①と②はせめて一緒に落札してほしいものだ。


   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(332 )寛永五年・日帳(九月九~十日)

2020-08-29 06:35:44 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年九月)九~十日

         | 
重陽       |   九日

         |                      (正照)大友吉統の三男
         |一、林久太夫相煩申、今日之御礼ニ不罷出由、松野右京殿被仰候事、
         |一、久野二郎左衛門儀、去六日ニ母相果申候ニ付而、御礼ニ不罷出由、遠坂越後被申候事、
三斎へ海鼠進上  |一、昨日中津へなまこ持せ被遣候御飛脚罷戻、 御返書取返申候事、皆川治アヲ以上申候事、
         |                             〃
         |一、築城郡御惣庄や角田彦右衛門、煩にて不罷出由、御郡奉行被申候事、但、せかれハ御目見えニ罷
         |  出候由之事、
         |           (片島)                         (庄 快寛)
         |一、京都郡堅嶋四郎左衛門相煩申ニ付、御礼ニ不罷出由、佐方勝左衛門被申候事、
奉行所ノ使番増員 |一、御奉行所御使番、今日ゟ弐人まし候事、
         |  (湘雲守沅)                                  (波多) (岡部)
京大坂ヘノ書状  |一、沅西堂へ為御飛脚、御小人弥左衛門与久太郎申付、 御書箱壱つ、幷中庵・永良長兵衛・道宇ゟ
         |  之状共相渡遣候也、
         |一、佐藤将監所へ之 御書箱壱つ、
         |  (主水)(慰英)(氏久)
         |一、寺嶋・仁保・田中所へ之 同壱つ、
         |一、飯田才兵衛ゟ、銀一包、仁保太兵衛所へ上せ被申候、
大坂京ヘノ使者幷 |一、大坂・京衆へ、我々ゟ之状共
書状等      |  右、何も御使者松岡角太夫ニ渡、上せ申候、勿論、佐藤将監所へ被遣袖ほそ一つ、頭巾四つ、一
         |  箱ニ入、相渡ス、
請取       |     右請取罷上候、                     松岡角太夫(花押)
上書ノ注文    |一、御上くつ拾足切せ可申旨、奥ノ御納戸中被申ニ付而、つんぼんかわや子七左衛門へ申付候也、
         |                 ( マ マ )
花入ノ環ノ作成  |一、御花入れ壱つ、くわん仕せ可申旨、   かちや苦労兵衛ニ申付候事、
松井興長知行所ヨ |一、国東郡之内式ア少殿御知行所ゟ、松木壱本・つけの壱本、御奉行守田少兵衛参、ほらせ持せ来
リ松井黄楊ノ移植 |  ル、
鉄炮ノ真鴨ヲ上グ |一、林弥五右衛門、東ノため池ニ而、真鴨ノ女鳥壱つ打候ヲ、入佐を以、上ヶ申候事、
         |一、木下右衛門様ゟ、御文箱一つ、飛脚持来候由ニ而、吉田少右衛門持参被申候事、
         |                             
祇園能組狂言組ヲ |一、祇園御能組壱枚、狂言組一枚、弐枚を竹内長介ニ持せ被下候、薗之楽屋ニ持せ遣、をし候へと、
楽屋ニ押サシム  |  被 仰出候、則歩之御小性吉村次左衛門ニ持せ遣申候、
明日ノ能興行中止 |一、明日ハたとひてり候共、御能被成間敷旨、被 仰出ニ付、御年寄衆幷お町奉行衆へ右通可被仰触
         |  由、申入候事、
木下延俊へ小徳利 |一、木下右衛門様へ之御返書ニ、ちいさきとくり、家共成御添、被進之候事、
ヲ贈ル

         |
         |   十日

         |
         | (摂津川辺郡)
         |一、尼崎へ被遣御植木を■■被成御覧、被成御出候事、
中津ヨリノ狂言師 |一、中津ゟ被成御雇候狂言師ニ、狂言をおさせ被成候事、
祇園御能延期ス  |一、今日ハ、祇園の御能のひ申候事、
爪切小刀ヲ研ガシ |一、御つめきり小刀十本、御さうち坊主長斎円持出、申候ハ、さび候てきれ不申候間、とかせ可申由
         |                   〃
         |             竹内与伝兵衛
ム        |  申来ニ付、則御使番ノ内〇去年江戸ニ而も是をとぎ、又ミかき申ものゝ由申ニ付、とがせ、さ候
         |  て長斎円ニ可渡候て、加来二郎兵衛おくへ持参申候へ共、長斎円居不申ニ付、長斎ニ相渡候事、
         |    〃                        〃
稲葉信通ヨリ文箱 |一、稲葉彦四郎様ゟ、御文箱幷御所柿一籠、飛脚持参候由ニて、式ア殿ゟ人を付、被成御上候事、
御所柿来ル    |
         |一、菅村和泉脚気たニ御座候間、明日御能ニハ罷出間敷由、使を以被申越候也
上リ物ノ百姓母ニ |一、中津郡大村之百性二郎作母、寛永三年ニあかり物ニ罷成候を、只今御暇被遣候間、御郡奉行可
暇ヲ遣ハサル   |                     (友信)        見届
         |  被請取候由、黒瀬九郎右衛門申遣候状を、佐方殿御持参候を、〇如此書附置候也、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする