津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川家御用窯・松尾焼茶入れ

2020-08-26 07:12:59 | オークション

     肥後 松尾焼 藩主御物手付き茶入 細川家から肥後古流古市家から園田家へ正しい松尾焼 肥後古流 茶道具 茶入

  

 細川家が飽田郡松尾村の御用窯で焼かせた松尾焼の手付茶入れ、茶道肥後古流家元の古市家にわたり、その後朝鮮飴製造の「園田屋」に渡ったとされる。
さてこの茶入れ、お茶席でチリを払うにはどのような所作で行うだろうかと頭をよぎった。
殿さまのお声懸りかもしれない作為的なデザインが、ユニークである。

手に入れたいとも思うが、今ではすっかり「お茶」から離れた私には、無用の長物ではある。
茶道家の手に渡り、どこかのお茶席に登場して、衆目を浴びることを期待したい。

本田秀人氏の論考「肥後細川藩における御用窯について--松尾焼を中心に」(熊本史学 (53), p21-40, 1979-12)を思い出したが、どうもこの巻は持っていないようだ。

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■細川小倉藩(329)寛永五年・日帳(九月五~六日)

2020-08-26 06:38:23 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年九月)五~六日

         | 
         |   五日

         |
長崎ヨリ花草幷薬 |一、長崎へ、河村喜左衛門舟ニ而、歩之御小性伊藤太左衛門乗遣候処ニ、今朝罷帰候、花草幷薬種積
種積来ル     |  来候事、
忠利松平忠重幷木 |一、松平大善様ゟ之御使者斎藤九郎右衛門、又木下右衛門様ゟ右之使者為案内者、日出ゟ被参候青野
下延俊使者を振舞 |  少左衛門、両人共ニ今朝被成御振舞候事、
         |一、財津善内兵衛ニ、御銀百目渡り申候事、
         |   (光直最上騒動により細川家御預中
忠利楯岡哲斎邸ニ |一、楯岡哲斎ニ、今朝被成 御成候、大判壱枚・御小袖三つ・御腰物一腰被遣候事、
臨ム       |
         |   (忠重)
         |一、松平大善様ゟ之御使者ニ、御腰物一被遣候事、
         |   (元五) (氏家元高)
         |一、志水伯耆・氏江志摩・筑紫大膳、大坂御普請ゟ被罷下候事、
         |         (上林)
うどん      |一、住江甚兵衛ゟ、甚介を以被申候ハ、今日ノ御使者へひる出禍申と存、うどんを銀一匁分調候へ
         |                                                         (八条宮智仁親王侍臣)
         |  共、被罷帰ニ付、入不申候間、山田将監所へ少遣、残分ハ黒瀬九郎右衛門手前へ渡禍申候哉と、
         |  被申候、一段可然候由、返事申候事、
継舟ノ番     |一、湯浅三太夫被申候ハ、今度御供ニ可被 召連旨ニ候間、然上ハ、継船之御番かわり可被仰付哉
         |  と、被申候、心得申由申候事、

         | 
         |   六日
         |
忠利放鷹     |一、今日ハ、御鷹野ニ被成御座候事、
出府供侍ノ小者ノ |一、今度江戸御供望被申御中小性衆、小者ふち可被相渡由、御積奉行衆へきりかミ遣候、但、宇野五
扶持       |  郎左衛門・釘本三太郎・弓削勘十郎・福田甚太夫・湯浅三太夫・宮部権十郎・磯谷半四郎・岩崎
         |  権平・本庄太兵衛・金子文三郎・寺川源太夫・野瀬甚介、此十二人也、
         | (佐賀ノ関、豊後海部郡)(取ニ)
佐賀ノ関ヨリ石ヲ |一、さかの関へ石ニ取被遣御船頭岐木九兵衛罷■戻候、弐斗五升ほと成をゑり候て、四十俵、又ゑ
回漕ス      |  り不申石八十俵ほと積来候事、
         |一、式ア殿ゟ、山本源太夫を以被仰聞候ハ、右ノ石つミニ被遣時、我等船頭をも一人可遣旨、被 仰
         |  付ニ付而、河野惣左衛門と申仁被遣由ニ而、源太夫めしつれ被参候、私ものをも一人付遣申由、
         |  申上候様ニと承候、得其意存候由、御返事申候事、
小笠原忠真ヨリ重 |一、小笠原右近様ゟ、九日之御小袖、杉ノ箱ニ入、御文箱壱つ、共ニ志水伯耆被持下事、
陽ノ祝儀     |
京ヨリ下緒二十具 |一、京ゟ、御さけお弐十具、箱壱つニ入候ヲ、志水伯耆被持下事、
佐賀ノ関ノ者礼銀 |一、岐木九兵衛、さかノ関ニて被遣銀子を渡し、石をとり可申由、申候へ共、礼銀をとり、重而せん
         |           (ママ)
ヲ受納セズ    |  さくニ成候ヘハ、むつ敷候間、とり申間敷由申ニ付、銀一枚包ノ儘とりかへり申由候、則お銀奉行
         |  衆へもとし候へと、申渡候事、
         |一、白井平介煩快気仕、登城仕候事、
         |  (規矩郡)
早鞆社ノ石燈籠五 |一、早友之石灯炉、国東ゟ阿岐浦替かわりの舟ニ積廻シ、早友御作事奉行衆へ相渡申由、白井兵助申
基廻漕      |               〃
         |  候、但、とうろ数五つ之由候事、 
江戸ヘノ金小判五 |一、長谷部文左衛門被罷出ニ付、先度文左衛門江戸へ被持下金小判五百両之請取切手、右被仕置候
百両ノ請取切手  |  を、此度渡申候事、
         |一、芦田與兵衛被罷出、被申候ハ、松平大膳様ゟノ御使者幷右衛門様ゟ被付遣候青野少左衛門、今日
         |  昼之休、椎田ニ而被仕、被罷返由、被申候事、
         |一、坂本二兵衛・森作兵衛両人被申候ハ、二兵衛・六兵衛ハ今度御供番に而御座候間、此中之御さん
         |  用を仕上、仕廻申度由被申候、左様に候ヘハ、作兵衛と小山善二郎両人にて相詰申筈ニ候へ共、
算用中ノ服忌ノ処 |  善二郎儀、去二日ニ母病死仕候忌有之間、如何之由被申候、歳山熊介なとも福万被果、忌有之候
置        |  へ共、得 御意候ヘハ、可罷出旨ニて被出候間、一七日過候ハヽ、 御前ニハ■不被出候共、御
         |  納戸ニハ被詰可然由、申渡候事、
長崎ノ唐人宿   |一、長崎ニ而、一官やと元、こんや町なんきん四官ニ而候由、明官申候事、  

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