津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■11年目の方針変換

2020-08-27 13:02:22 | 徒然

 今般の人吉・球磨・葦北方面の大水害を受けて、球磨川治水に関しいろいろ論議されている。
週刊誌などでも大きく取り上げられ、川辺川ダム建設にNOのサインを出した、樺島知事がやり玉に挙がっている。
国土交通省が25日に県と共に開いた検証委員会では、川辺川ダムが完成して居れば、4割の水量を減らすことができたと結論付けている。
これを受けて樺島知事は、「ダム建設」も一つの選択肢と表明した。11年前に胸を張った知事の変節である。
水害後「ほかの治水対策」を口にされていたが、11年間何がなされてきてどうなさるつもりだったのだろう。
ダム反対が叫ばれていた中での、樺島知事の登場であったが、ダム反対は当選のための方便だったのか。
今般の方向転換を「民意」だとされる。政治学者である樺島知事は、民意を大切にされる人らしい。

先の選挙で四選を果たした樺島知事だが、えらいところで晩節を汚すことになった。
これだけの大災害を経験すると、周辺町村の民意は一変することだろうし、首長もすっかり「ダム建設」派になられるのではないか。
雪崩を打つように「ダム建設」の流れが出来上がっていくように思える。
五木の住民は、「ダムを造ります」と立ち退きを迫られ、なくなく家を解きそして村外へ出た人も大勢ある。
処がダムは取りやめとなった。彼らの無念さがまた思い起こされる。「おどま盆ぎり」の平和な村は政治に翻弄されつづける。
これは一人知事の責任ではあるまい。バッチを胸にした人たちは、この11年間何をしていたのか?
策もなく、ただ、雨が降らないように願っていたとでもいうのか。

四選知事は熊本では初めてだ。あえて四選を選択されのは派手に打ち上げた「やり残したこと」を成し遂げるためだろう。
クマモンと連れ添ってうろうろしている場合ではない。任期中、誠意をもって事に当たられることを願う。

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■かすかな手掛かりを探して

2020-08-27 10:17:55 | オークション


             

 我が家の先祖は毛利家に仕えていた。私称だろうが越前守を名乗り1,500石、二人の息子がおり夫々500石、弟のほうが家祖である。
先祖附によると下松に居住していたところに、「江戸上下之途中」たびたび忠興公が舟を寄せられ、饗応をしたらしい。
これに二人の男子が有り、児小姓として豊前に召出された。弟が我が家の初代、二代目が母方の姓をついで今日に至る。

 ヤフオクを眺めていたら、上記物件が出品されている。
我が家の家祖については、現在全く手掛かりがつかめないでいるので、
この分限帳に名前がないかと眺めてみたが、少々時代が下がっている。
すでに毛利家を離れた後のものと思われる。

それでもわずかな手掛かりはないかと、応札してみようかと考えたが、現在31人という随分多くの人がすでに応札している。
状態もよく、毛利藩家臣の子孫の方々は、何とか落札したいとの思いが強いだろう。もっとも転売を意図とする人もおられようが。
参考写真が数多く添付されているからこれを眺めているが、残念ながら我が家の先祖を伺えるものは見当たらない。
白旗を掲げて撤退することにする。皆さんのご健闘を祈り上げる。

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■細川小倉藩(330 )寛永五年・日帳(九月七日)

2020-08-27 06:13:12 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年九月)七日

         | 
         |   七日

         |                                 小頭                急
長崎へ遣ス飛脚ニ |一、長崎へ被遣御飛脚、御のほり衆波賀小右衛門・御長柄衆神戸喜平次与二右衛門与孫介、両人御用
状ノ覚      |        (飯銅)    (星野)                                (飯田)
         |  之儀付被遣、上右衛門・半太夫所へ遣状一つ、白井太左衛門所へ遣状一つ、才兵衛与上右衛門・
         |  半太夫所之状一つ、明官ゟ遣状一つ、何も慥相渡候事、
波多中庵邸ニ臨ム |一、今朝ハ、中庵へ被成 御成候事
         |一、深野二郎右衛門、此中相煩、今日登城被仕候事、
         |一、大坂御普請ゟ、吉田孫四郎・西川少助・松下掃ア・魚住木工丞被罷下候事、
         |   (一長)               (重嘉)
         |一、伊藤半丞・西沢文右衛門・横山助進・右同前ニ被罷下候事、
筑紫広門使者   |一、筑紫主水殿ゟ之使者中山十兵衛、御状持参被申候事、
重陽ノ祝儀不出仕 |一、林久太夫煩申ニ付、節供之御礼ニ不罷出由、大竹與三左衛門ニ言伝、被申越候事、
ノ届       |
         |一、中村左太夫煩申ニ付、不罷出由、坂根九郎右衛門被申候事、
         |                                 (  マ マ )
         |一、大坂御普請ゟ、後藤善左衛門・福田吉助・菅村七太夫・中路三郎二郎     被罷下候事、
         |   (元信)
         |一、南条左衛門尉様被下候事、
         |一、木下右衛門様ゟ、御文箱次飛脚ニ而参候、則御返書ニ、御郡奉行衆へ書状相添、右次飛脚ニ渡候
         |  事
物師出府     |一、来ル十五日ゟ廿日ノ間、御物師衆被乗上候船頭ハ、吉田市左衛門也、
         |   (光直)
哲斎へ重陽ノ小袖 |一、楯岡鉄斎へ御小袖弐つ被遣候、御使猿木何右衛門、
         |         (松野親家)
道孝へ重陽ノ小袖 |一、御小袖弐つ、利根川道孝へ被遣候、御使者鳴海助右衛門、
栗野某初見願   |一、栗野仁右衛門子五郎八、年十五ニ成申、御礼申上度通、栗野伝介を以申候事、
         |    (幸長)
野田幸長弟初見願 |一、野田小左衛門舎弟ノ儀申上候ヘハ、何時成共御礼可申上げ候へ旨 御諚之通、小左衛門に申渡事、       
         |                            〃〃
祇園神事能ニ折奉 |一、祇園御能ニ、 殿様ゟ御折■誘可申通、御かい物奉行森次兵衛ニ申渡候ヘハ、 殿様ゟ之御折
納ヲ命ゼラル   |  被 仰付たる儀無御座候由、次兵衛申候事申候、若覚達も可有之候間、相奉行衆・菓子やニも相
先例ナシ     |  尋也候へと、申渡候事、     〃〃〃
         |   〃
         |一、中津へ御使者ニ被遣候品川茂太夫、今晩 御返書取、被罷帰候、 御返書ハ皆川治ア丞ニ渡候上
         |    〃
三斎へ鷹ノ鳬進上 |  候、御たかのけり、今朝御膳前ニ上り申由被申候事、茂太夫被申候事、
         |                     〃〃〃〃
         |         
         |一、宇野七右衛門息善太郎おこりふるい申候間、節供之御礼ニ不罷出由、高田十兵衛ニ言伝、被申候事
         |一、宇野七右衛門御郡ニ御用御座候間、七日不罷出由、十兵衛ニ言伝被申候事、
         |                            と申       子
鏡善右衛門ニ薬賜 |一、鏡善右衛門煩ニ付、御薬被遣候、御使猿木何右衛門也、忝〇御礼ニ、息長二郎ニ、糸川長左衛門
与サル      |  安内物ニて登城仕候、右之通、皆川治ア丞を以申上候へと、おくへ参事、
客人屋ノ畳ニ紙覆 |一、おきゃく人やの御たゝミノ上ニ、かミヲ次、おゝいニ可仕由、御きやく人やノはり付奉行ニ、申
ヲセシム     |  渡事、

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