恕斎日録「文久三年」原本表紙
8月の熊本史談会例会では、「恕斎日録未刊行原稿から、文久三年のあわただしい幕末熊本の一年」を取り上げる。
恕斎のご子孫、肥後金春流のご当主中村勝様から、釈文のご提供をたまわり、その内容は現在当方ブログでご紹介している。
あと数回で完了の予定だが、余りの面白さにタイピングのスピードも上り予定より早く完了の予定である。
・文久二年の改革に伴う藩主夫人・子女の相次ぐ帰国
・京都よりの良之助(護美)一行の帰国と京都情報
・幕末情勢の緊迫に伴う大砲の鋳造や西洋式訓練の開始
・京都守護の為の農兵組織編制の建議や御家人等の訓練強化
・生麦事件を原因とする薩英戦争や下関戦争勃発とその対応
・同上 援助の申し入れ(薩摩)や、ことわり(長州)
・横嶋干拓の大決壊と復旧
・藩主・慶順(韶邦)の遊漁の準備・随伴、振舞参加、御重箱拝領の顛末
・従兄弟筋・吉弘家の養子縁組や当主の死去、庄右衛門岳父の死去
・高瀬(玉名)奉行の死に伴う、仮支配役仰出
思い出すままに書きだしたが、大方このような内容である。それぞれ大変興味深く、個人の日記であることから、公式文書には伺えない記述があり、タイピンしながらおもわず手を止めて笑ったりしたことも度々である。
このすべてを二時間弱でお話することは容易ではない。一年分を一日毎の大方の様子を表にまとめている。
精々前期6ヶ月分を取り上げてお話しようと思っている。それぞれの事件の背景なども急きょ勉強しなければならず、相変わらずの泥縄ではある。
熊本史談会8月例会
令和2年8月22日 9:50~11:50
熊本市民会館 第6会議室(40名収容可)
参加自由(資料代300円)