津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本史談会8月例会は

2020-08-11 08:43:25 | 熊本史談会

                    恕斎日録「文久三年」原本表紙

 8月の熊本史談会例会では、「恕斎日録未刊行原稿から、文久三年のあわただしい幕末熊本の一年」を取り上げる。
恕斎のご子孫、肥後金春流のご当主中村勝様から、釈文のご提供をたまわり、その内容は現在当方ブログでご紹介している。
あと数回で完了の予定だが、余りの面白さにタイピングのスピードも上り予定より早く完了の予定である。

        ・文久二年の改革に伴う藩主夫人・子女の相次ぐ帰国
        ・京都よりの良之助(護美)一行の帰国と京都情報
        ・幕末情勢の緊迫に伴う大砲の鋳造や西洋式訓練の開始
        ・京都守護の為の農兵組織編制の建議や御家人等の訓練強化
        ・生麦事件を原因とする薩英戦争や下関戦争勃発とその対応
        ・同上 援助の申し入れ(薩摩)や、ことわり(長州)
        ・横嶋干拓の大決壊と復旧
        ・藩主・慶順(韶邦)の遊漁の準備・随伴、振舞参加、御重箱拝領の顛末
        ・従兄弟筋・吉弘家の養子縁組や当主の死去、庄右衛門岳父の死去
        ・高瀬(玉名)奉行の死に伴う、仮支配役仰出

思い出すままに書きだしたが、大方このような内容である。それぞれ大変興味深く、個人の日記であることから、公式文書には伺えない記述があり、タイピンしながらおもわず手を止めて笑ったりしたことも度々である。
このすべてを二時間弱でお話することは容易ではない。一年分を一日毎の大方の様子を表にまとめている。
精々前期6ヶ月分を取り上げてお話しようと思っている。それぞれの事件の背景なども急きょ勉強しなければならず、相変わらずの泥縄ではある。

                  熊本史談会8月例会
                  令和2年8月22日 9:50~11:50
                  熊本市民会館 第6会議室(40名収容可)
                  参加自由(資料代300円)

        

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■文久三年「恕斎日録」(39)

2020-08-11 07:01:01 | 恕斎日録

291
  十六日   右御礼之心得に而 鼈を御台所迄差上申度 大木        龞(スツポン)を御台所に上ぐ
        織部方へ参り 其段内々申入候處 鼈者 御好物        龞は殿様の御好物
        二被為在候ニ付 差上候ハヽ可被遊ぶ 御欽候間
        自身さし遣し置候との事に付 極御内二差上度
        私名前出し不申候とも宜候段申向候處 自身出
292
        勤之上程よく取斗 小子宜名前を以可申上候と
        の事 且又頃日之御重箱ハ被下候様ニ相成居 自身
        方へ下り候筈に付 自身ゟ引渡可申候ニ付 其
        節可申遣候との事
  十七日   今日ゟ病風邪
  十八日   同
        大木織部方ゟ申達候筋有之 自身宅へ罷出候様
        申来候處 小子儀ハ風邪ニ而罷出不申候ニ付
        嘉一郎を差出 名代ニ而も不苦候ハヽ被申聞度
        申越候處 伊倉ニ而被下置候御重箱を引渡被申         ようやく重箱拝領
293
        候ニ付受取直ニ御受申上候事
         頃日差上置候龞も 差上候段も演舌ニ成候事
        今日進士方出府ニ相成居候ニ付 右之次第申遣         中村本家当主=中村進士・7代孫平太か
        右拝領之御菓子二ッ差送り候事 在別
         永野芋弐百目猪肉添遣候事
  廿日    病中
  廿一日   今日ゟ上妻半右衛門同道 高瀬御蔵御米納見分
        として坂下へ出在之事
         去ル十八日ゟ上妻申談致出在筈之処 風邪
         二而差延 今日者長髪なから出在いたし候事
294
         明廿二日ハ 神谷矢柄ゟ自宅へ松野殿・平野          神谷矢柄振舞を職務の為欠席す
         殿を初 頃日之伊倉連中へ招待いたし候ニ付
         小子へも是非繰合せ参り候様 頃日ゟ追々約
         束いたし置候得とも 御蔵納見分 先日ゟ差延
         候ニ付 不得已今日ゟ上妻同道出在いたし候
         段をくれ/\も相断 紙面を以申遣置候事
       一今晩四ッ頃千衛殿被致病死候事                  上村千衛(岳父)死去
         頃日以来心下ニ塊差登り 折々塞被申候処 漸
         々疲労に而危相見候得とも 未タ危篤と申迄
         二者至り不申 併甚心遣候間 上妻・岩崎へも今 
295
         朝参り 今日ゟ之出在如何哉之段咄合候處
         用向之事に而 日限も有之候ニ付 出在者見合
         候ニ者及間敷との事に付 今日ゟ出在いた
         し 今朝出懸ニ見舞候處 言語も丈夫ニ有之 差
         迫候容躰とも相見不申 其身も今日中も心遣
         之様子ニハ相見不申 小子帰府を被相待候と
         の噂被成候處 今晩尚差塞 死去ニ相成候段 誠
         ニ以上残懐之至存候事なり
  廿二日   今日上妻同道高瀬御蔵見分之事
        今日一條様先月七日薨去ニ付 今日ゟ日数十日                                一条関白忠良(室・細川齊茲女・峯姫)死去の報
296
        穏便之段御達之事
        今晩九ッ前干衛殿病死之段嘉一郎ゟ知セ書状         
        仕出相達候事
  廿三日   今日上妻同道帰府之事
       一今朝八ツ過頃 寝覚ニ何角甚心懸りニ而 おそわ
        れ候様ニ而 若党吉富□太郎を起し 何角参候ハ
        セぬかと尋候處 右之書状を先時相届候得とも
        忘し置候段申出候而出し候處 右知セ状ニ而候
        同叱り候而披見いたし候處 物書濱田要之助御
        惣庄屋養子木下初之允も聞付尋向いたし候事
297
       一今夕帰り懸 干衛殿葬式ニ而候得とも 先日ゟ風
        邪未タ透ト無之 月白も出来かね 其上草臥ニ而         月白=月代(つきしろ)→さかやき
        上村方江強而立方ハ相断 留守番被相頼候黒川
        才右衛門と留守いたし候事
  廿四日   今日ゟ出勤之事
        今日帰り懸 阿蘇殿見舞として溝口殿へ参り候
        處 酒を振舞被致 大分酩酊ニ及 平野殿へ立寄 来
        客有之 台子之間迄申入置引取候處 奥方被居候
        も存不申 無礼ニ相成候間 跡ゟ断ニ参り候事
         刑部殿へも頃日之礼ニ参り候得とも逢不申候
         而引取候事

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■御恵贈御礼「隣人・第33号」

2020-08-11 06:24:18 | 書籍・読書

                  

 東京在住の近世史家・佐藤 誠氏との長いお付き合いは、此の同人誌を12年にわたり御恵贈いただいている事が証明している。
切っ掛けは多分私の「赤穂義士」に関する記事に応えていたことであったろう。氏は赤穂大石神社の学芸員を勤められておられるが、まさに赤穂事件の研究者である。
今般の33号においても「赤穂義士 潮田又之丞とその一族・2」を書かれている。
史料を発掘してその人物の人となりを調べることは、その苦労と共に大いなる達成感に満たされるものだが、今回もまた見事にその成果が表れている。
ご努力に敬意を表したい。そしていつも変わらぬお心遣いに感謝申し上げる。

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