津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■メダカの世話

2020-08-28 16:19:01 | 徒然

 わがビオトープにはメダカが10匹泳いでいる。卵を待ち望んでいたが、水草が多くて発見できないでいた。
処が一週間ほど前、突然6~7mmの幼魚を発見、二日前には3mmほどの小さな姿も見つけることができた。
少々水面の水草を整理したり、据え込んだ石にウジョウジョ発生している貝の卵を処理するために取り出して干したりする。
そして今日は散歩がてらペットショップに出かけて、稚魚専用のえさと水槽の壁を掃除するためにタニシを三個購入する。
メダカの世話だけは、給餌をもとより、水の管理などは毎日欠かせない。
毎日眺めていて癒されることこのほかにない。

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■遠見ヶ鼻

2020-08-28 10:46:02 | 俳句

 高浜虚子は昭和27年11月阿蘇を訪れている。そして半年ほど前に亡くなった熊本の俳人で弟子の宮部寸七翁の墓前に詣で、次の句を呈している。

           君がため遠見ヶ鼻の竜胆を

    ーあなたのために、あなたが眠る阿蘇平野を眼下に見る遠見が鼻から竜胆の花を手折ってきましたよー
     
 遠見ヶ鼻とは現在は大観望と呼ばれるが、熊本の偉人・徳富蘇峰が漢文風に名付けたものだ。
熊大の某教授の御著に、「教養人の恣意的表現に追従して、先祖のもつ庶民的生活感覚を忘れ去ってよいのか」と記されているが、どなたが蘇峰先生におもねいて変更されたのかは知らないが、蘇峰先生の本意ではなかったのかもしれない。

 地名はその地の歴史である。「遠見ヶ鼻」は阿蘇の悠久の歴史の中で、まさに人が生きた時代に、眼下の阿蘇平野を望む外輪部の突端にふさわしい名がつけられていた。
蘇峰と虚子はほぼ同時代を生きた人である。虚子は大観峰という名も知っていたかもしれないが、やはり漢文風の名前は俳句にはそぐわない。

「遠見ヶ鼻」という名前を知る人もだんだん少なくなる事だろう。さみしい話ではあるが、虚子の俳句は永遠のもので語り継がれるであろう。

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■細川小倉藩(331 )寛永五年・日帳(九月八日)

2020-08-28 06:42:47 | 展覧会

                      日帳(寛永五年九月)八日

         | 
         |   八日

         |
唐人二官ニ付置シ |一、唐人二官ニ被為付置候御小人ノ小頭與助与の助左衛門と申もの、昨夜とりにけ仕候由、但、おや
小人取逃ゲ親兄弟 |  ・あにきともにはしり申由申事、
供ニ走ル     |
棕櫚ノ移植困難  |一、築城・上毛御郡奉行衆被申候ハ、上毛郡ニほりニ被遣候五間四尺之しゆろほり候而、持せ可出と
         |  仕候へ共、間のび候故、出しかね申由、被申候事、
         |一、辛川四郎三郎煩にて、九日之御礼ニ不罷出候由、忠介被申届候事、
祇園社神事能ノ折 |一、祇園御能之折奉行、歩之御小性渡辺六太夫・瓦林金太夫也、
奉行       |
惣庄屋服忌ニヨリ |一、築城御惣庄屋椎田與右衛門儀、女房二三日已然ニ相果申ニ付、節供之御礼ニ不罷出由、沢少兵衛
重陽ノ礼ニ不出仕 |  被申候事、
         |一、同郡八田助左衛門煩故、不罷出申候事、せかれ罷出申候事、
         |                  〃
         |        
         |一、上毛郡篠瀬三右衛門煩ニ付、不罷出由候事、
         |一、同郡友枝助右衛門煩申候ゆへ、せかれ罷出候由候事、
福王千松呉服等拝 |一、福王千松ニ呉服壱つ・御肩衣袴弐通拝領仕由、十大夫申来候事、
領        |
祇園神事能ノ用  |一、祇園御能ニ入申たゝミだい壱つ入申候間、ぎおんへ持せ候へと、八川田八右衛門ニ申渡候事、
         |                               〃
         |一、かすや新兵衛・へにや太郎兵衛、御小袖壱つ・御袷壱つ宛拝領仕候事、
中津ヨリ狂言師来 |一、中津ゟ、狂言仕六右衛門・喜四郎・長左衛門おやとひ被候、参事、
ル        |
棕櫚ノ移植    |一、築城郡岩丸のしゆろ三本ほり、右之内、壱本七日・八日両日ニ椎田へ出申候、壱本ハ須田ノはし
         |  ニ有之、〆弐本ハ御郡奉行衆・御惣庄や九日之御礼二罷出候間、舟津へ出申事不成候由、上林甚
         |  助ゟ、同くミノ新右衛門ヲ使二被越候事、
         |一、同御郡之内、安武ノ御惣庄やハ残り候而、御用ヲ調候へと残シ申由、右ノ新右衛門申候事、
祇園能興行ニ警固 |一、祇園御能之日、とがわのかきなとくゝり可申候間、見つくろい、けいこかたくいたし、見廻り候
ヲ厳重ニセシム  |  へと、野瀬少左衛門ニ申渡候事、
         |   (武次)
椎田村ノ棕櫚ノ搬 |一、牧丞大夫与ノ小頭ニ、椎田ニ有之しゆろ、御鉄炮廿人召連参、御郡夫ニ加へ、右ノしゆろさいか
出        |  く仕、津出仕、舟ニのせ、もとり候へと、申付候事、
松平忠重使者ノ接 |一、松平大膳様御使者斎藤九郎右衛門幷木下右衛門様ゟ、右ノ安内者ニ被参候青野少左衛門ヲ、林作
待        |  左衛門・赤尾茂兵衛両人ニておくり、右衛門様御領分内、むくのと申所まて被参候、やさい・薪、
         |  所々ニて人足相渡申候事、
         |                                  かい
ひせん壷購入   |一、ひせんつほ十御用ニ入申候旨通、伊藤甚左衛門東ニ而調可申旨候間、急度調、甚左衛門ニ渡可被
         |              〃
         |             (ママ)
         |  申候、以上おかい物奉行
佐藤将監見舞ニ頭 |一、佐藤将監へ御見廻ニ被遣候物、御づきん四つ・御そてほそ壱つ、杉箱ニ入、竹原少大夫おくゟ持
巾袖細ヲ遣ス   |  参被申、上へ上せ可申由、被申事、
         |一、河喜多八助相煩申候間、明日之御礼ニ出申儀成間敷通、入江勘三郎ニ言伝被申候事、
         |一、沖津作大夫儀、右兵衛手前不慮之儀ニ付、中津ニ御預ヶ被成候間、罷出候儀如何と存候へ共、
沖津弥五右衛門  |                               (孫ヵ)  
         |  御前もやわらかさうニ御座候ニ付、罷出申由申候事、弥五右衛門□ハ煩故、不罷成由、作大夫被
         |  申候事、                  〃
                                 
      ■「一木三銘」の名香木購入時の、沖津弥五右衛門同僚殺害の逸話は間違いだった・・・ 関連記事
        
唐人二官ニ小袖等 |一、唐人二官ニ御小そで壱つ、御道ふく壱つ・御おひ壱筋被遣候事、
ヲ与ウ      |
白革足袋注文   |一、林喜介ニ、しらかわのたひ壱足調可遣旨、一角奉ニ而被申越候間、つんほうかわや所へ、喜介古
古キ見本     |  キたひを一そく本ニ遣、申付候、使ハ竹内吉兵衛与坂本伝兵衛也、

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