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十一月朔日 今晩上村千衛殿俄ニ塞キニ相成 中風之様相見 上村千右衛門=中村恕斎室の父
候ニ付 急ニ深水東吾を相招 診察為致候處 中風
ニ而者無之 塊込ミ上り候而之塞と見込候事
二日
三日 今朝ゟ胸痛ニ而引入保養之事
昨日も差起り 今朝両度起り候ニ付 東吾を相
招見せ 薬用いたし候事
今朝小田京泊江 新井樋明方之事ニ付 役人を東
妙寺へ遣 御祈祷相頼候事
右石塘者 清正公御築立之場ニ而 其節御普請
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之井樋とも引そへ 新ニ井樋明方いたし候間
神慮之程も恐多奉存候 且者永代不朽のため
祈祷相頼候事
右御札者 新井樋之上ニ 石之ホコラヲ拵候而
祭り置候筈
今夕御達左之通
来ル六日四時之御供揃ニ而 被遊 伊倉御滞留
尾田池被遊 御漁 同八日被遊 御帰候旨被
仰出候段御達之事
四日 今日御殿へ罷出 御小姓頭神谷矢柄方へ対談 今
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度 御出ニ付 御出迎を初 夫々伺取候事
御供極迄茂問合候事
(老脱ヵ)
一御家衆両人 松野亘殿 御中老 平野九郎右衛門殿
一惣御供弐百人程 馬上三十四五人
一御小姓頭弐人 神谷矢柄・松野亀右衛門
一御用人弐人 大木織部・長岡衛門
一御取次組脇一人 三宅尉右衛門 御取次浅山左柄
一御小姓頭両人 藤吉弥次兵衛・井関熊次郎
一御近習御目附一人 中嶋九兵衛
一歩頭一人 安東弥太郎
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一御医師二人 寺嶋崇沢・奥山静叔
一御駕役二人 田上素左衛門
一歩ノ御小姓 高山秋蔵外ニ五六人
漁師共用意 御目通不苦候との事
すみ漁師も右同断
七日ニ莵狩用意 御供之家来共 在御家人も手当
生簀用意 水浅ニ簀を建置候との事
五日 今日ゟ出在
御道筋 御漁場御休所御漁之手配 下小屋 御
泊所内田林兵衛宅御下宿等見分之事
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六日晴 太守様 今日五時之御供揃 御馬上ニ而 伊倉被 今日六日、尾田御池にて漁等遊ばさる
遊 御出 四時頃被遊 御着候事
御注進者 一領一疋騎馬ニ而 木留ゟ尾田迄早打
乗付 御注進相勤候事
早天ゟ差出置 継々馳付候事
今朝五頃ゟ野辺田村御家人宅江参り 御待受申
上候處 頓而御先番中嶋九兵衛列両三人同所へ
来着いたし 暫ニ而 木留ゟ之騎馬御注進来着 御
用人等江相伺 此節ハ御漁之事ニ付御郡境ニ者
出方ニ不及 御野入之場所へ罷出居 御目見申
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上 御案内ニ不及 直ニ御供申上候様 自身共一所
御跡ニ附 御漁場迄御供申上候様との事ニ付 同
所野辺田出小屋ゟ少し東ノ方ゟ御左御野入
込之所 往還筋ゟ御野入ニ付 其曲角迄罷出居
候處 頓而わくとふ石御小立之御注進来着 同所
ニ而ハ餅・唐芋等差上 御供衆へも茶ニ右之品々
出し候間 暫御隙取 同所ゟハ御漁場之池も御目
下ニ相見候ニ付被遊 御覧 同所ゟハ 御歩行
ニ而被遊 御出 四ッ頃野辺田村被遊 御着 御
目見申上候處 出たいとの被遊 御意 直ニ御跡
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へ御供申上 御小姓頭・御用人・歩頭之間二附 尾田
池御漁場二ノ池前 御小立迄御供申上 小子者
休所二着 此節ハ御漁に付 上江も御股引二御
手切被為召 御供中も御同様に付 小子も其侭ニ
而 御小姓頭へ 御機嫌奉伺 夫ゟ家老衆・御用人
御取次休息所江挨拶へ罷出 献上物山芋・生うな
ぎ大ふり 鼈を差出候處 御用人より取継ニ而直ニ
献上ニ相成候處 右之内鼈ハ別而御好物ニ被為
在被遊 御欽 直ニ御台所へ御料理被 仰付候
との段申聞ニ相成候
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右鼈ハ品柄ニ而 兼而極御内々ゟ差上来候ニ
付 内々御取次江差出候處 御用人江差出候様
返候間 直ニ御用人へ右之通差出候處 御小姓
頭も一所ニ居候而 右品ハ何ニして自身共ゟ
差出不申候哉との事ニ付 以前ゟ如何ニの品
ニ付 ケ様ニいたし差上来候段申向候處 夫ハ
昔の事と被申候間 誠ニ御時節ニ而鼈本往還
をそでふり返候哉と申向候處 いつれも笑ニ
相成候事
日帳(寛永五年六月)十八日~十九日
|
| 十八日
|
| (南条元信室、細川興秋女)
忠利鍋ノ振舞ニ臨 |一、今朝ハ、 殿様御なへ殿へ、御振舞ニ被成御座候、
ム |
| 新任長崎奉行
水野守信使者来ル |一、水野河内様ゟ御使者御座候、長沢十左衛門と申仁也、御音信物ハらうそく百挺入り弐箱、五拾目
音信物ハ蝋燭塩白 | と書付在之、又塩白鳥壱つ、塩雁五つニ而候、則書付候而、 殿様へ上申候處ニ、かたひら・単
鳥塩雁 | 物之間ニ、五つか三つか、其使者ニ見計可遣旨、被 仰下ニ付、式ア殿へ談合申候ヘハ、三つ被
| (友好) 有吉英貴
使者ニ帷子ヲ給ス | 遣可然由、被仰ニ付、帷弐つ・単物一つ、松井宇右衛門ニ持せ遣候、左候而、頼母殿にて御振舞
饗応 | 候事、
| (築城)
百姓佳例ノ焼米ヲ |一、ついきの郡熊谷九郎兵衛百生藤右衛門と申もの、新米ノやき米ノ小俵弐つ上申候、毎年上ケ申由
進上ス | 申上候、平野九郎右衛門上ケ被申候事、能やき米上ケ申由、被 仰出候、則百生ニ御意旨申渡、
| 返し申候事、
| (広門)肥前国勝尾城主広門の子(同名)、細川藩士同姓重門の兄
筑紫広門知行三千 |一、筑紫主水殿へ御知行三千石被遣候間、御渡可被成との江戸御奉行様ゟ之御奉書壱通、又右之御知
石拝領 | (三淵之直)
| 行所わけの儀、被為得 御諚、片付御渡可被成との 御奉書壱通、合弐つ共ニ、左膳殿を以、御
| 前へ被 召上候事、
| (直時)大坂町奉行 大坂城普請の四組の頭衆
嶋田直時書状等来 |一、嶋田越前様ゟ、 殿様へ被進候御状壱つ、又四頭之御衆ゟ言上之状、重田吉左衛門持下候事、
ル |
|一、かり小早ノ船頭吉兵衛と申もの、江戸ゟノ御飛脚乗下候事、
|
| 十九日
|
| (氏次)旧久留米藩主・田中吉政弟
京江戸ヘノ使者 |一、京迄之御使者ニ、田中兵庫被遣候、又長谷部文左衛門ハ江戸へ御使者ニ被遣候、両人共ニ同船■
長講堂出船ス | ニニ而上り被申候、船頭ハ南次兵衛也、又此舟ニ長講堂も御上り候也、
家光ヨリ三斎ノ帷 |一、御上様ゟ三斎様へ、 御かたひら被進之候御返書、此中参居申候、今度長谷部ニ渡し、江戸へ差
子進上ノ返書 | 上ヶ申候事、
| 六百石・物奉行(於豊前小倉御侍帳)
光尚へ小判五百両 |一、御六様へ、金小判五百両被進之候、是も長谷部被持下候事、
ヲ送ル |
| (長浜顕長室、沼田清延女)(宗珠院)
宗珠院ヘノ音信物 |一、いよ殿ゟ、庭田そうしゆいん殿へ小箱壱つ参候、内ニ銀子在之由書付、苻ノ儘うけ取申候、大坂
請書 | (ママ) (黒印、印文宗□)
| ニ而寺嶋主水ニ、大坂可申由候、慥相渡、切手とり可申候、南次兵衛〇
| (飯田)
|一、重田吉左衛門罷下候ニ、寺嶋主水所ゟ才兵衛方へ当り候文箱壱つ、則才兵衛ニ渡候、其外ノ状も
| 渡申候事、
使番馬標持 |一、飯田才兵衛方より、仁保太兵衛・寺嶋主水方へ御用之儀被申遣状、御使番七左衛門ニ持せ、南次兵
| 衛ニ渡させ申候事、
|(墨線ニ而抹消)
|「一、大坂ニ而寺嶋主水方へしゆろほうき五拾本可被買下之切手候て皆川治ア・林隠岐方ゟ之
| ______ (ママ)
| 切手ニ日之下印判付御船頭南次兵衛方へ御使番 」
| 〃〃〃〃〃〃〃〃〃
|
寒田矢山ノ牧馬望 |一、寒田・八山之御牧馬御取よせ被成候を、ほしきと申もの候ハヽ、とらせ可申旨、被 仰出候、就
ム者ニ払下ゲヲ命 | 夫、上田忠左衛門被申候ハ、ほしきと申衆も御座候間、遣可申候、しかしなから、当分代銀をた
ゼラル | て■候て、取申儀不相成衆可有御座候、左様之衆ニハ、代銀くれ迄のへ候ても遣可申候哉と、被
代銀納入ハ年末迄 | 申候間、くれまてのへ候ても遣可被申通、申渡候事、
延スルモ可トス |
長崎ヘノ使者 |一、石寺加兵衛長崎へ御使者ニ、今月廿一日ニ被遣候間、早々可被出由にて状遣候、前かとも河内
| 様御通被成候ハヽ、追付可被遣由候間、其御心得候て状遣候、申遣候へ共、余之延引ニ而候
| 故、又如斯状遣候事、
棕櫚箒五十本買入 |一、大坂ニ而、寺嶋主水方へしゆろほうき五拾ほん可被買下との切手m皆川治ア・林隠岐方ゟ遣候、切
小間物奉行墨買入 | 手ノ日ノ下ニ印判付上せ候、又御こま物奉行野口久五郎・上塩京右衛門方ゟ、墨弐拾丁買可被下
レノ切手 | との切手ニ、日ノ下ニ印判付、お使い版寺尾左介与植木勘丞ニもたせ、御船頭南次兵衛方へ遣候
| 事、
忠利屋形北絹ヲ染 |一、やかたほつけん九端ノ内、六端ハちや染、残ル三端は紫ニ染させ可申旨 御意、奉竹原少大夫・
メシム | 安田甚九郎・南畝小兵衛にて、出候を染させ可被申由申付、杉本左介方へ相渡申候事、
| (芳)
芳長老 |一、かミ一束、扇五本 法長老ゟ
| 春首座ゟ
春首座 |一、かミ一束、たはこ壱斤 春長老ゟ
| 〃〃〃〃
小池右京 |一、かたひら壱つ 小池右京
| 右ノ衆、重田吉左衛門舟ニ乗上り候処、吉左衛門ニ給候由、申候事、