明治期の女流画家・柴崎美方のデッサン帳が数冊オークションに出品されている。
それぞれを眺めていたら、下のようなデッサンが有った。
一部にガラシャが生涯の時、二人の子を殺したという話が残るが、これを彷彿とさせるようである。
この画家にガラシャ夫人に関する作品が有るのかどうか知らないが・・・・
明治期の女流画家・柴崎美方のデッサン帳が数冊オークションに出品されている。
それぞれを眺めていたら、下のようなデッサンが有った。
一部にガラシャが生涯の時、二人の子を殺したという話が残るが、これを彷彿とさせるようである。
この画家にガラシャ夫人に関する作品が有るのかどうか知らないが・・・・
今年の中秋の名月は10月1日、一回り前の満月がそろそろですが雲一つない空に輝いています。
二三日前まではオムレツのようなまっ黄色の月でしたね~。
そろそろ9月に入ろうとするこの頃は、昼は相変わらずの猛暑日ですが、朝の散歩の折の風は涼やかで、秋の虫が鳴きだして、台風9号が去った後は一気に秋の気配になるのではないかとさえ思えます。
なんだか猛烈な台風になりつつあるようで、熊本は台風の通り道の東側にあたるので、近づかないでほしいと祈るばかりです。
今日は散歩の道のわずかな左下がりの勾配に足を取られ、足をひねりまたまた左ひざを痛め、終日サポーターをつけて過ごしましたが、情けなくて仕方ありません。
現在は3キロコースを歩いていますが、涼しくなればフルコース(3.9キロ)に戻そうと思っているのですが、さてどうなる事でしょうか。
一日中、PCの前か読書かの生活ですから、散歩をしなければますます足が弱りそうで恐怖にさえ思います。
ちょっと遠くへ出かけたい願望も積もりますが、このコロナ騒動の中ではこれもはばかられ、ストレスもたまるばかりです。
ストレス解消術を探さなければなりません。
日帳(寛永五年九月)十一~十二日
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| 十一日
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侍共強飯ヲ引ク役 |一、河本瀬兵衛・山田少兵衛、今日の御能ニ、こわいゝをひき可被申通、申渡候処ニ、まくのかけニ
ヲ避ケントス | かゝミ居申候を、又見付候て、申付遣候事、
|一、志水安右衛門も、同前ニ居申候へ共、煩申通申ニ付而、其分ニておき申候事、
|一、北村甚十郎ニも申付候へ共、不罷出候事、
中津狂言師ニ小袖 |一、中津ゟ被成御雇候狂言師六右衛門ニ御小袖弐つ、喜四郎ニ御小袖弐つ、長左衛門ニハ銀子五枚・
等ヲ賞与ス | 御小袖弐つ、右之分被遣候事、
|一、右参人中津へ明日被帰候、次馬一疋申付、可送届旨ニ被 仰出ニ付、申付候事、
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| 十二日
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大坂ヨリ生鮭鱈購 |一、大坂ゟ、生鮭弐尺、代百九十六匁二かい下被申候、鱈十本、是ハ一本に付、壱匁四分七厘宛ノ
入ノ価 | 由、申越候、続二右衛門積下候事、
御所柿献上ヲ申触 |一、御所柿所持被仕衆中へ申触、二つ三つ宛ニ而も上ヶ可申旨、被 仰出候ニ付、御家老三人へ申入
| 候ヘハ、式ア殿ゟ柿三十御上候、永良長兵衛を以上ケ申候事、
道家帯刀ノ飯炊女 |一、道家帯刀方ゟ、使者を以被仰聞候ハ、大坂御普請ニ、めしたき女壱人召連罷上候処、上方にて走
大坂ニテ走ル | 申候、彼女之親ついき郡帯刀知行地ニ居申候、はたものニかけ申度候、無さ候ハヽ、くびを切申
| (田中氏次)
親ヲはたものニ願 | 度通、御郡奉行へ申候ヘハ、御奉行所へ相尋候様ニと被申ニ付、申入由候、兵庫返事ニ、是ハ
ウ 年寄等ノ | 御年寄衆とへ被仰理、御さしつ次第ニ可被成由、申候事、
指図次第トス | 〃
| (米田是季)
忠利ノ触ニヨリ御 |一、御所柿五十五ハ 監物殿ゟ、
所柿ヲ上ル者 | (志水元五)
|一、同三十五ハ 伯耆殿ゟ、
| (小笠原長元)
|一、同八つハ 備前殿ゟ、
|一、御所柿五つ 黒部吉兵衛ゟ、
狩野平左知行ノ御 |一、狩野平左衛門知行之 御印出申候を、又様子かわり申ニ付而、加藤新兵衛ニ相渡申候、 御印切
印切手 | 手書かへ、 御前へ差上由被申候事、
| (昭知)
御所柿進上 |一、御所柿三つ 三渕内匠殿
| 十五
|一、御所柿三十 松岡久左衛門尉
| 〃〃
|一、同弐つ 桑原主殿
|一、同卅五 上野左右馬
| 高田
|一、同十五 平野九郎右衛門
| 〃〃
| (酒ヵ)
|一、同十三 河匂藤右衛門
|一、同七つ 住江甚兵衛
音信帳用ノ墨筆ノ |一、御音信之帳付、手前ニすミ・筆無之候間、うけ取度と申候ニ付、爰元ノすミノすりくづ壱つ・古
用 | 筆三つ渡候事、
| (賀)
|一、御所柿三十 雑加源左衛門
|一、同三つ 小崎與次兵衛
三斎へ海鼠松茸ヲ |一、なまこ一桶・松茸壱籠、御長柄半三郎・與三兵衛弐人ニ持せ、加々山主馬中津へ御使者ニ被参候、
進上ス | 追かけ遣候事、