津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■街角風景「地震の爪痕」

2020-08-02 11:46:16 | 熊本

              
 
 自衛隊通りの四車線の通り(県道)の反対側に、路側帯+植え込み+市道と少々変則な作りになっている。
その植え込み(幅1.5m)に不思議なコンクリートの塊があった。(指導側から撮影)
写真の如くこの周りは奇麗に切り込まれている。ちょっと見には、地中にあったものが浮き上がったように見える。
自衛隊周辺の路側帯では、地震の影響で路面がうねっている所が所々見られる。これも地震の所為で浮き上がったのだろうか。
直径10センチほどの鉄の蓋があり、確認してみると「くまもとし」とあり下の方は錆がひどく「地震■■」とあった。
足でけってみるとかすかに動く。つまりコンクリートの塊は地下には潜っていないようだ。
いずれにしても現役だとは思えない。この鉄の蓋の下のわずかな空間に、地震に関する何が置かれていたのだろうか。

気になって仕方がないのだが、どこに問い合わせれば回答してくれるのだろうか?。まさに熊本地震の爪跡である。

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■文久三年「恕斎日録」(30)

2020-08-02 06:48:53 | 恕斎日録

215
  十八日  今夕小田御惣庄屋丸山平左衛門書状を以申出
216
       候者 近々尾田御建池御漁之御模様ニ而 歩御         近々藩主慶順(韶邦)尾田の池で御漁の予定
       小姓高山秋蔵被差越 右御池幷 御宿所等夫々
       見繕 昨日引取候段申越候事
        翌日秋蔵を呼出承候處 未タ御治定者無之 内
        分被差越候との事
  十九日
  廿日
  廿一日  丸山平左衛門罷出 近々御池御漁之御模様ニ付
       前以拵置候而も不苦 稜々品々等 出来いたし置
       候而者如何伺出候 不苦候段申聞置候事
217
       今度禁裡御守衛として 御国中ゟ在御家人等又
       者子弟浪人之中ゟ被差登候者共 追々下着いた
       し 荒尾ゟ一人登り居候中嶋武兵衛と申者も頃
       日下着いたし候處 昨日右之者御様子有之 外出
       不致他人応対難叶段申渡候様御達之事
        右今日詰間へ呼出申渡候事 委細ハ達物帳ニ記
  廿二日  今日丸山平左衛門出府 御用人尾藤健之内方へ
       参り 近日尾田御漁之儀ニ付夫々伺取候事
        至而之御簡易之御模様なり 委細達物帳ニ記
       今日従公辺御達左之通
218
        全文略
            オサヒト
       当今御諱 統仁 以来俗名実名共相憚候様と         統仁孝明天皇
       の御事
      一是迄 諸藩士幷浮浪人共諸家江立入 暴論を唱候
       ゟ被悩 叡慮候次第之儀有之候間 以来右様之
       儀無之様取締被 仰出候事
      一諸藩士 堂上諸家江立入之儀 以来各藩ニ而 役々
       人員相定 名前傳奏江差出置 其他之輩 猥ニ立入
       有之間敷被 仰出候事
       右之通被 仰付候間 諸侯在京在府在国在邑共
219
       ニ不洩様可被相達候事 以下略
         八月
  廿三日  副役藤本常記ゟ 同役岩崎物部被呼出候而口達
       ニ者 昨日御用人ゟ演達ニ者 近々尾田御池へ御
       出漁之御模様ニ而 万端御簡易之 思召ニ付 其
       段夫々演達いたし候様との事
       右畢而 尚内輪之噂ニ者 当時者 水草之根も取れ
       兼 御得物も如何 且者 農繁ニ付 来春時候宜敷時
       分 御差延被遊候方可宜 御次一手ハ行好哉ニも
       相聞候ニ付 明後日 召出之節 岩崎ヵ小子ヵ之
220
       内罷出 御直ニ言上奉り候ハヽ 御差延も可被
       遊候との事
        右ニ付 小子者支配所之事ニ付□多 岩崎被
        召出ニ罷出 付右ニ言上奉り候得とも未タ何
        とも御治定ハ不被遊候とか 御出之方之様ニ
        奉伺候との事 右委細ハ達物帳ニ記
  廿四日
  廿五日
  廿六日
  廿七日  今日死刑四人有之候處 支配所内ゟハ一人も無         四人死刑、恕斎支配所内該当者なし
221
       之候 惣躰死刑有之候度ニ 玉名ゟ一人も無之事
       ハ 以前ゟ見合無之候處 一昨年昨年当年迄参ヶ
       年一人も無之候段ハ 以前ゟ見合茂無之哉ニ而
       哉ニ廻り合せ宜事と申合候事
  廿八日
  廿九日
  晦日

       

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■細川小倉藩(307)寛永五年・日帳(六月十六日~十七日)

2020-08-02 06:43:49 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年六月)十六日~十七日

         |              
         |   十六日         
         |
         |                 番ノ者
中嶋橋詰ノ番人仮 |一、中嶋橋詰之番、弐人共無之ニ付、〇相定候まてニ、御長柄ノ者ニ、替り/\ニ番をさせ可申旨、
ニ長柄足軽ニ交番 |  小頭之仁右衛門ニ申渡候事、
セシム      |                                 (扶)
         |一、中嶋橋爪之御番仕喜兵衛、今日十二日ニ相果申候間、被得其意、御抹持方之儀御沙汰可有候、
         |  此文躰にて、松本彦ノ進・豊岡甚丞方へ、差紙遣候事、
新規召抱ノ馬標持 |一、今後被成 召抱候御馬印持八左衛門、生国肥前ノ者、歳ハ廿七之由申通、上野角左衛門・貫
ノ生国年令    |  角右衛門被申候事、
         |                寺本八左衛門与永松吉兵衛、                    (守信)
水野守信大坂出船 |一、桑原主殿与秋吉少左衛門太夫・〇江戸を今月六日ニ■出、今月当地へ着申候、又水野河内様、今
ノ取沙汰     |          〃〃〃
         |  月十日ニ、大坂を御出船被成たると取さた、大坂ニ皆々仕由候を承申由申候、今壱人は、永松吉
         |                            〃
         |  兵衛ハ大坂を出船仕砌、四丁小早ニ而舟乗数多候故、せまく候て、大坂ニ残居船、少太夫迄下り
         |                                     〃
光尚疱瘡快気   |  申候由申候、町三右衛門・小篠次太夫・松野織ア方ゟ之状ニ、 御六様御はしか輙被成御快気
         |  候由、被申越候、神西與三右衛門・岩崎四兵衛・岡田左門、此衆ゟも状参候、幷江戸衆ゟ爰元方
         |  〃ヘノ書状、皆々さき/\届申候事、又江戸一段御無事ノ由申候事、又江戸より町三右衛門・松
         |                 〃             〃
         |  野織ア・小篠次大夫方ゟノ状、幷しふかミ包弐つ、熊谷九郎兵衛を以、奥へ上ヶ申候事、
         |  大坂                                               (高仁親王)
高仁親王崩御ノ報 |一、〇詰小早之御船頭小井出惣左衛門、大坂を今月十二日ニ出船被仕、今日下着被申候、親王様今
         |  月十一日ニ被成 崩御之由、京ニ被居候■■■■■■小野九右衛門・黒川甚左衛門・佐藤少三郎、
         |                                     御小早
         |  又大坂ニ被居候仁保太兵衛・田中猪兵衛・寺嶋主水、此衆中ゟ右之様子ニ付、〇被差下候事、
中嶋橋詰ノ門番  |一、神戸喜平次与昨右衛門・源介、此弐人、中嶋橋爪御門番喜兵衛相果申ニ付、先湯治ノ御門番申付
         |  候事
         |                        何も
光尚ノ快気祝二家 |一、御六様、御はしか輙被成 御快気弐付、御家中衆〇御悦に登城被仕候事、
中登城      |
掃除坊主ノ扶持方 |一、江戸ニ居候御掃除坊主祐念御ふちかた弐人ふち、当五月分迄ハ、江渡にて相渡候、六月ゟハ、一
         |  人ふち江戸にてとり、一人ふちハこくらにて、妻子に渡由申通、岡田左門・岩崎四兵衛所ゟ、
         |  きりかミ差越候、則彦進に相渡候事、
         |  新任長崎奉行                    (周防熊毛郡)
水野守信ヲ上ノ関 |一、水野河内様長崎へ御下被成ニ付、御迎ニ遠坂関内を被遣候處ニ、上ノ関ニテ参相、則関内ハさき
         |  ニ罷被戻、被申候ハ、多分今夜は下関迄可為御着候由被申候、就夫、永良長兵衛を為御使者と、
         |  御菓子被進之候事、

         |              
         |   十七日         
         |
         |   (光賢)室・三斎女・万姫                           早道ノ助市(五月九日項)
         |一、烏丸宰相様へ、御早飛脚ニて、 御書可被進之旨、被仰出候へ共、早道煩申候ニ付、三宅勘三
         |  郎を以、得 御意申候ハ、次飛脚ニ而可被遣哉、又御飛脚ニて可被遣哉と、申上候ヘハ、別のか
         |                                                〃
飛脚ニ五調ナル者 |  ん五調成ものを申付可遣旨、被 仰出ニ付、則御鉄炮衆両人申付遣候事、
         |  〃
         |一、今朝夘ノ刻ニ、次飛脚を以、 御書 三斎様へ被進ノ候事、
大工負傷     |一、御大工ノ作兵衛、けかを仕、わきさしを腹へ少たて申候通、立 御耳申候処ニ、上田太郎右衛門
         |  を申付、養生をさせ可申候、薬を付候を、塩田少斎ニ見せ可申旨、被 仰出、則太郎右衛門差遣
         |  候事、
沼田延元請替シ古 |一、長岡勘解由殿被仰請候去年ノ古御袖判、御請かへ被成、御下候ヲ、飯田才兵衛ニ、御前へ被上候
袖判ヲ返上ス   |  へと申渡候事、

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