津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(312)寛永五年・日帳(六月廿七~廿九日)

2020-08-07 13:17:26 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年六月)廿七~廿九日

         |              
         |   廿七日
         |

         |       (鮬)スズキ・セイゴ         
上野ヨリ鱸鮬進上 |一、田川上野ゟ、鱸二・せい壱つ持せ上申候事、
忠利坂崎一角邸ニ |一、殿様、今朝ハ一角所へ被成 御座候事、
臨ム       |
瓜進上      |一、山路太郎兵衛所ゟ、うり一籠さし上候事、
惣銀トシテ六十貫 |一、為惣銀、六拾貫目借用 御袖判壱枚被成下候様ニと候て、中神與兵衛書付ニ、式ア殿・頼母殿御
借状之袖判ヲ乞ウ |  判候て被上候処ニ、則 御袖判壱枚被成御出候、則右ニ書上被申書付之裏ニ、御袖判壱枚慥ニ致
         |                                        
         |  頂戴候由書付、判仕可上旨、被 仰出ニ付、式ア殿・頼母殿右分ニ書付、判形被成御成候、皆川
         |  治アを以、上申候事、                            〃
         |      いけ         (潮)
東溜池ノしほり戸 |一、東之ため〇水はきニ、高塩之入用様ニ、しほり戸を、今ゟ八月十日比迄ハ毎年あて置申候、さ
高潮ノ入ラザル様 |  候天塩引次第ニ、戸をも時々ニとり置申候、当年ハ伊佐権七申候間、如前々被 仰付被下候様ニ
ニ当置ク     |  と、吉田少右衛門を以、田作其方ゟ申上候、如前々仕候へと、可被申付通、申渡候事、
銀三十貫積下ル  |一、乃ミ十左衛門今日被罷下候、御銀三十貫目積下由被申候、又寺嶋主水御請之文箱壱つ、内ニ天野
         |  (長信)   (茂)    (重宗)
         |  豊前様・渡辺山城様・板倉周防様ゟノ御返書有之由之書付有之、持下申候也、
三斎ノ見舞ニ明寰 |一、三斎様御気分無御心元被 思召ニ付、明寰を明朝八つ時ニ、御■馬ニ乗せ被遣候、御小人も三人
ヲ進ム      |                                           (寰)
         |  付遣候、又歩之御小姓瀬崎左之介ニハ、十右衛門・権内所への御書箱持せ被遣候、但、明官ニ付
         |  候て可参旨ニ候事、
         |(ママ)
         |一、

         |              
         |   廿八日
         |                            (三淵之直)

宇佐宮ヨリ田植神 |一、宇佐ゟ、御田植御神事之御酒・御洗米、使者持参被仕候事、左膳殿御披露被成候事、
事ノ供物来ル   |                           〃
布木綿ノ尺ノ触直 |一、布木綿の尺之儀、触直可申達、式ア少輔殿ゟ被仰候事、
         |                                 文右衛門
宇佐郡中出入ノ書 |一、宇佐郡津房ノ甚左衛門と平井五郎太夫兵衛下代文右衛門と出入ノ書物、有馬刑ア上ヶ申度由、申
物ハ郡奉行取次グ |                 〃〃
筈故聞届ズ    |  候ニ付、惣別御郡之儀ハ、御郡奉行衆ゟ被取次はすニ候間、其方ハ取次被申間敷由、先日申渡
         |                            ニ而
         |  候、其分文右衛門ニ申渡候へ共、合点不仕候、とかく爰元書物御上候て給候へと申候、何ヶ度申
         |  候ても、御郡奉行不被取次所を、直ニ此方聞届候儀ハ不相成由、重々返事申候事、
         |                        (宇佐郡奉行)               刑ア
         |一、右分ニ申候処、文右衛門ゟ刑ア所へ之状壱つ、又杉無兵衛ゟ文右衛門所へ之状壱つ〇持参申候、
         |  いよ/\文右衛門きこへさるよし申候ヘハ、さ候ハヽ、うさへ罷帰、御郡奉行衆ゟハ書物上ヶ申
         |                         (ママ)
         |  間敷との一筆を取来候へ、無左候ヘハ、何ヶ度申上候而、取次不申由、申渡候事、
         |一、神足八郎右衛門、中津ゟ被罷帰候、 三斎様御気色さして悪敷ハ無御座候、
         |         (酒井忠知)(能勢頼重)
豊後横目等ヘノ進 |一、明日豊後御横目五郎介様・次左衛門様へ、被進物之覚、切のし一箱・銀杏一箱宛、 御書被遣御
物        |  使飛脚四人、
木下延俊へ紙合羽 |一、明日、木下右衛門様へ紙かつはノ入たる箱壱つ、飛脚ニ持せ被進之候、 御書も参候事
ヲ進ム      |
         |一、與介与ノ久七ニ、右衛門様へ被進之候かつは箱持せ遣候、又左衛門ニ、山田竺印への状を渡、返
         |  事を取来候へと、具申付候事、
問紹甫船頭朝ノ報 |一、長崎ゟ、問紹甫舟帰国仕由ニ而、紹甫飛脚差越申由ニ而、書状紹甫もの持参候事、
         |

         |              
         |   廿九日
         |

三斎ノ病状    |一、三斎様、御気色一段能御座候由之御返書、十右衛門・権内・山田喜斎ゟ之言上、以上三通、夜前
夜中ニ快方之報ナ |  八つ時分ニ参候、御気分能御座候と申来候は、夜中ニハ不申上、やふり候て上ヶ可申旨、 御意
レバ開封シテ明朝 |  ニ付、見申候処、御気色能御座候由申来ニ付、夜中ニハ不上、今朝上ヶ申候事、
上グベキ命    |
庄屋入牢中不食  |一、御しちへやの御番松田五郎右衛門申候ハ、下毛郡曾木村ノ庄や與左衛門御籠にて此中不食仕候、

         |                            (塩噌)  
塩噌ノ差入願   |  然処、かの與左衛門せかれ、そき村ゟ見廻ニ参、申候ハ、ゑんそ少入候て、遣し申度、いかゝ
         |  得御意申度通、申候由ニ付而、今迄左様のもの入申たる例も候ハヽ候哉と、相尋候処ニ、入申
         |                             〃〃〃
         |  たる儀ム御座付、御尋申由申候、薬をさへたへさせ候事候条、ゑんそハ入候てもくるしかるまし
毒味セシメ入ルヽ |  き儀候間、入可被申通申渡候、左候而、どくミニ、ゑんそを持来候ものニたへさせ候て、入可被
ヲユルス     |  申候由、申渡候事、右之段、御籠口屋の御番林勘介ニ申渡候事、
         |                      
三斎ノ気色好シ  |一、三斎様御気色、夜前ゟすきと能御座候而、御小院にて、喜斎・明寰ニも御茶被下、上下悦申儀無
         |  斗由、御注進被申上候処ニ、則被成 御書、次飛脚にて被申上ニ付而、則次飛脚ニて被成 御書
         |  候事、

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■文久三年「恕斎日録」(35)

2020-08-07 07:33:29 | 恕斎日録

251
     庄右衛門はいくつニなるかとの被遊 御意候
     ニ付 是ハ毎年御奉公附を差上申候 乍恐 上江
252
     者可被遊 御知と申上候處 おれは知らぬと被 
     遊御意候間 乍恐いくつニ相成候と被 思召
     上候哉と申上候處 五十位ニもなるかと被遊
     御意候ニ付 乍恐壱升差上可申と申上候處 御
     笑被成 夫者何故欤と被遊 御尋候間 在中ニ而
     下方之者共 年を実の年より若く被申候得者 大
     ニ相欽 一升買ひますと礼を申候習ハしと申上
     候處 大ニ被遊 御笑 宗沢ハいくつニなると
     見候哉と被遊 御意候ニ付 同人ゟ五十四五ニ
     も相成可申すと申上候間 小子より宗沢ニも壱升か
253
     ひ可申と申上 隣座之事ニ付 宗沢へ竊ニ指を六
     本出し見候處 同人ゟ 庄右衛門者六十歳ニ罷
     成候と申上候處 上ゟ六十ニ者若ひとの被遊
      御意候ニ付 乍恐又壱升差上可申と申上候處
     大ニ被遊 御笑候事
     御前様ゟ為 御見舞御差上被遊候御重之御菓
     子を 一重御器乍ら 御手自御取被遊 是者庄右
     衛門被下 持帰り家内江たへさセよと被遊 御
     意 御直ニ被下候ニ付 御側ニ罷出頂戴いたし                     
     以難有仕合冥加至極ニ奉存候 持帰り嬶へも為
254
     戴可申段申上候處 何人居る欤との 御意被遊
     候間 一人居申候と申上候處 また外ニもおる
     ろう是て者たるまいと被遊 御笑候間 いへ外ニ
     者居不申 たり申候と申上候處 亘殿ゟ 加々と
     ハ 上ニ者乍恐御存知被遊候哉と被申上候處
     夫者おまいの事と被遊 御意 大ニ御笑被遊候
     九郎右衛門殿より 右御品者御重乍ら庄右衛門へ
     被下置候様被申上候間 小子ゟがわ乍ら戴可

     段申上候事
     右之御中ニ 庄右衛門ハ何ニ乗参りたそとの
255
     御尋被遊候ニ付 馬ハ繋居申候得とも未タ口入
     り不申 其上少病馬ニ而も御座候ニ付 案駄へ乗
     り罷越申候と申上候處 此元へも馬も段々居る
     そ借而明日先乗りセよ 其方心配ならハオレ
     か借りやらふと被遊 御意候間 奉恐入候 庄右
     衛門借用可仕奉存候 併乍恐 御先乗者御免被
     仰付被下候様申上候處、なせカとの 御意ニ付
     先年菊池 御巡在之節御先乗被 仰付候處 乍
     恐 上ニ被召候御馬 生月摺墨之様成御名馬ニ

256
     御先乗は御断申上候と申上處 此節之馬者た
     るくて其節之様ニ者ないそとの被遊 御意
     右衛門儀乗馬不調法ニ御座候間 若 乗付不申
     馬ニのり申候ハヽ落申候も難斗申上候處 其節
     ハ宗沢静叔カ居ぞ 亘と九郎右衛門か間ニ乗れ 
     と被遊 御意 御家老衆ゟも御受申上候様被申
     候ニ付 難有仕合ニ奉存候段申上候處 先ニ而者
     臨機応変ぞと被遊 御笑ひ御意候間 夫ハ奉恐
     入候段申上 右之通り 上よりも御慰ニ被 仰
     聞候御模様ニも被為在 誠ニ以 御懇意ニ被
257
     仰付候處 御家老より 今晩ハ 御懇意ニ被
     仰付 何れも誠以難有仕合ニ奉存候 最早遅刻ニ
     及 乍恐 上江も被遊 御屈託候と奉存候間 何
     れも下り可申と被申上候處との御意ニ而
     いつれも一同順々下りニ相成候事
      小子者直ニ御用人迄御礼申上 宿ニ引取候事
     右帰り之節 亘殿と同道いたし候處 塗中ニ而噂          亘=松野 亘 2,000石  文久二年五月~元治元年十一月 家老
     ニ 今晩ハ誠ニ無比類 御懇意ニ而冥加可存 此
     節ハ久振之 御出漁ニ而 上ニも 御興ニ被為
     入 奉恐悦候 然處 先時申上置候御噂ハ 差上候欤
258
     と被尋候ニ付 右者御一座之御興迄ニ御わやく
     ニ申上候事ニ付 差上候而者甚以奉恐入候段申
     向候處 いや家様御混迷を蒙りし末ニ付 差上候
     方却而宜 嘸々被遊 御笑御興ニも可被在 是非
     差上候様との事ニ付、宿所ニ帰り 御惣庄屋江右
     之次第申聞 直ニ今晩中ニ樽三ッ詰せ 翌早朝ニ
     壱升樽二ッニ上ミ酒を入 焼鯛壱ッ完相添 御次
     江差出 又壱升樽一ッニ焼鯛一ッ添 寺嶋宗沢
     宿所へ遣し置申候處 宗沢ハ右受取 直ニたへ候
     上 御前江罷出候節 庄右衛門ヵ約束通り宗沢
259
     へも一升かひ申候間 直ニたへ申候と申上候處
     オレニ者いまたやらぬ やりそうなものと被遊 
      御意候内 御次ゟ右之御樽肴を持出し候處 不
     怪被遊御笑 直ニ御開セ冷酒之侭 樽より直ニ
     御盃ニ御継セ被遊候處 樽口ハふとく 御盃ハ小
     サク 酒こほれ候ニ付 御側ニ有合候丸盆を御取
     御継セ被遊候而 壱盃被 召上 御残者 右丸盆ニ
     而 御近習中へ御酒有限り迄御廻させ被遊候處
     いまた早朝 乍恐 上江も御空腹ニ被為仕 御
     元気も被為附 御次中も餘程たへ酔被申候ニ付
260
     是又大分之 御興ニ被為在候段 御近習詰合之
     中嶋九兵衛ゟ内分噂いたし 誠ニ以難有 冥加無
     此上仕合ニ奉存候事
      右之次第ハ 御漁向ニ而 御別段被遊 御甘折
      柄ニ而者候得とも 外様之身分として御前ニ
      而右様御わやくをも申上候段ハ 甚以奉恐入
      候得とも 当春以来ハ 乍恐 公武之御際不一
      片被遊 御配慮 誠ニ以奉恐入居候處 近日ハ
      京都も大分静り お久し振之 御出漁ニ而 殊
      更御遠方被遊 御出候御事と而 御別段之
261
      御懇意ニ被仰付候御事ニ付 少しハ 御興も
      被為在度恐奉存候間 不憚候事をも申上候段
      ハ如何敷候得とも相記置候事
          

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■「禍なきを以て福と為す」

2020-08-07 06:53:35 | 徒然

 朝から散歩に出ようと外を見ると、お湿りの雨が降っています。
折り畳みの傘をもって出発、通りまで出ると傘を持たない散歩の人に二三であいました。
雨が降り出したのは私が出かける直前だったのかもしれません。

数日前資料の山をかたずけようとカラーボックスを二つ購入、三階まで運び上げたり、組み立てたり、思わぬ筋肉をつかい少々悲鳴を上げています。
資料は仕分けもしないまま、放りこんでいてしまいましたから、まだ仕分けの作業が大変です。

猛暑日寸前の毎日で、爺様の身体は悲鳴を上げていて、フルコースの散歩を追えて帰りついついぼやきが出ると、奥方が「散歩の距離を短くしたら」と助け舟をだしてくれます。
今朝は、雨の中ということも有り助け舟にのって35分ほどの短距離コースとしました。
いろいろ言い訳をしながら、短距離コースが正式コースになりそうな気がしています。

             言志四録に曰「禍なきを以て福と為す」

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