日帳(寛永五年七月)十四~十五日
|
| 十四日
|
忠利泰勝院ニ法事 |一、今朝六つ時ニ、 泰勝院へ被成御参候、御家中下々迄、御法事ニ相詰候、
ヲ修ス |
|一、伊勢因幡乗上り候御船頭十三郎罷下候、因幡無事ニ上着被仕候由候、
飛脚へ給与ノタメ |一、御船頭上田十三郎舟ニ、京銭弐拾貫文つミ下申候、方々ゟ御飛脚ニ可被遣ため也、
ノ京銭二十貫文ヲ |
積下ル |
長崎ノ買物 巻物 |一、長崎ゟ、歩之御小性山本喜兵衛被罷戻候、御かい物ハ小篠角太夫舟ニつミ上せ申由ニ而、まきも
羊腹籠ノ皮九十九 | の壱つ、ひつしのはらこもりの皮九十九枚持せ被戻候、則御納戸之吉山熊介ニ相渡候事
枚 |
|一、御小人弥左衛門与勘介、長崎へ御飛脚ニ遣候事、
忠利燈籠幷花火ヲ |一、今晩は街中之燈炉を被成 御覧、花の火を被 仰付、被成 御覧候事、
見物ス |
|
| 十四日
|
服忌欠礼ノ届 |一、岡本新九郎母相果申ニ付而、御礼ニも登城不仕候、中津へ罷越度由ニ候間、可被参由申渡候、右
| 之様子ハ岡本源次申来候事、
金具屋長七初見 |一、金具屋長七、今日初而御礼申上候事、
飛脚ニ京銭二貫文 |一、魚住半右衛門尉所ゟ之飛脚ニ、京銭弐貫文可遣旨、被 仰付候事、
中瀬左太郎知行ヲ |一、中瀬左太郎殿へ、御知行被進之候事、
受ク |
| 御折かミ
竹田了由知行折紙 |一、竹田了由ニも、御知行〇被遣候事、
京都借銀ノ袖判 |一、寛永四年分、京都御借銀 御袖判拾六枚、宗像清兵衛・富嶋弥兵衛うけ返、被持下候を、 御前
寛永四年分十六枚 | (皆川)
| へ差上申候処、治アを以被 仰出候ハ、菊野伊織・飯田才兵衛、此儀被為 仰付置候間、かの両
袖判ヲ消ス | 人引合吟味仕、 御判をけし可申 御意ニ而、無相違ニ付、右両人 御判をけし被申候、
銀子百貫目借用ノ |一、保利與兵衛寛永四年 御袖判壱枚頂戴仕、京都にて銀子百貫目借用仕候、同年之暮ニ宗像清兵衛
利銀ヲ返弁シ元銀 | ・富嶋弥兵衛利銀を返弁仕、元銀百貫目は其儘借用ニ仕、 御袖判かへ申、四年分之 御袖判
借用ノ袖判書替 | 壱枚差上、是も伊織・才兵衛御判けし被申候事、
袖判 |
京都借銀寛永五年 |一、寛永五年京都御借銀之御用ニ 御袖判弐拾枚、宗像清兵衛・富嶋弥兵衛請取申、 御袖判払方之
分払方案 | 事、
袖判二十枚 |
| 一、拾三枚ハ、寛五ノ御借銀ニ渡申候、
利銀安キ方ニ借替 | 一、壱枚ハ、右十三枚ノ御袖判ノ内、高利御座候を、利足やすき銀ニかりかへ、御借状を仕直、取
| かへ申候、右高利之御袖判ハ取戻、只今上申候、
借銀去年分請戻シ | 一、壱枚ハ、保利與兵衛寛四ニ 御袖判壱枚頂戴仕候を、当年かりかへ申ニ渡、去年ノ 御袖判ハ
| 請戻、只今上候事、
京都買物代銀 | 一、弐枚ハ、京都御買物ノ代銀御国御小遣銀、其外俄ニ御銀子入申儀可有御座候間、残置可申旨、
忠利在国中小遣銀 | 修理・兵庫申越ニ付而、小野九右衛門・佐藤少三郎・黒川甚左衛門ニ相渡置申候、則右
俄ノ用 | 三人ノ請取切手、伊織・才兵衛両人ニ渡置候事、
未使用分ハ返還 | 一、三枚ハ、御用ニ罷不申ニ付、只今上申候
| 以上
| 寛永五七月十三日 宗像清兵衛
| 浅山修理殿 冨嶋弥兵衛
| (氏次)
| 田中兵庫殿
|一、右弐拾枚之 御袖判、浅山修理・田中兵庫請取切手 御前へ上置申、宗像清兵衛・富嶋弥兵衛ニ
奉行ノ請取切手ヲ | 御袖判相渡、弐拾枚之払方、右両人被仕上ニ付、修理・兵庫請取切手被返下候を、才兵衛・伊織
破棄ス | 被見候所にて、やふり申候事、
金山ノ欽箱 |一、御小人弥左衛門与久三郎ニ、御金山之御金箱持せ遣候、それニ、田川御郡奉行へ菊野伊織知行三
菊野伊織知行三百 | 百石被 召上候間、御代官可被申付候との状持せ遣、
石ヲ召上ゲラル |
| (台所人)
善徳寺酢醸造ニ蒸 |一、善徳酢を、来月五日時分ニ作り申候間、むし米壱石入申由、伊藤甚左衛門被申来候事、
米ヲ要ス |
忠利川狩ス |一、御川狩ニ被成御座候事、