其1 妙解院 御書②B 細川忠利 細川家 みょうげいん 戒名 江戸時代 古文書 肥後国 熊本県
これは数日前に出品されていた細川家家臣・鯛瀬氏の宛行状に関連する一連の鯛瀬氏の資料である。
四点が一包となって出品されている。あて名は家祖の鯛瀬善助となって居る。
上は忠利に対する「見廻(音信)」に対する内記を称していた時代の書状であり、同様のものが一点ある。
下は、記録が示す通り善助が「切支丹」であったことを示すもので、宗門を改めたことに対する内記の書状である。
これも二点存在し貴重な資料である。鯛瀬氏が所持されてしかるべきものだが・・・・
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其2 【真筆】湯浅五郎兵衛 書状 (消息 江戸時代 武士 古文書 折紙 細川家 園部藩 細川忠利 大師流 掛軸)
出品者による見事な商品説明がある。この湯浅五郎兵衛は、一時期細川藩に在った湯浅氏の縁類の人ではないかと考えるが、当事者が細川家を離れており、先祖付も存在せず関係を解き明かすのは難しい。
湯浅氏==愛宕山下坊・福寿院==細川忠利の関係がうかがえる貴重な資料である。
上記写真は、出品写真を加工させていただいた。
商品説明 | |||
湯浅五郎兵衛の書状です。 湯浅家は、近世、園部藩別格上席の待遇を受けた郷士の家ですが、南北朝時代に細川頼之が丹波国を領したのに際し現地へ移住して以来細川家との関係が続き、忠興・忠利の代まで従軍・参戦しており、園部藩の郷士でありながら細川家との関係が続いていました。 本文書は細川家との関係が窺えるものとなっています。越中殿(細川忠利)が上洛に際して、手違いが発生したことを述べたもので、細川家ゆかりの愛宕山下坊の福寿院に宛てたものです。 ◆湯浅五郎兵衛 江戸時代前期の武士。寛永頃の人。入道時哉と号す。書をよくし、江戸時代前期における上方の大師流の中心人物であった。 〔本文〕 (上段)(尚々書は省略) 今度越中殿 御上洛候砌、令 萩原殿之同道 被成可有候処、 左之理、申候前(先) 罷致参敷 披露得候疋ニ 員へ人ヲ進候処、 修理違候、殊向 (下段) 証迄候、舟ニテ御下 候共、不有其非之 兼上、登之助儀候、 茶壺両事、得 送代其道不共候、 此得能候、藤吉殿 被得上候、可有候て 申上候キ、万沢早 致参上候由、仍て恐悦 不仍、 湯浅五郎兵衛 二月十二日 (花押) 福寿院様 人々御中 |