キャプテン・クックに関して我ながら無知をさらし続けるようですが、たまたま、手元に購入していたのに、読んでいませんと告白しつつ・・・、キャプテン・クック論争に関する以下の2冊の書誌をあげておきます。
Sahlins, Marshall, 1985, "Islands of History", Univ. of Chicago Pressこの本に関する情報
Obeyesekere, Gananath, 1992, "The Apotheosis of Captain Cook : European Mythmaking in the Pacific", Princeton Univ. Pressこの本に関する情報
2004-01-17 14:31:00 |
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クックの航海で不思議に思っていたこと。それは、例の領有宣言である。1770年、ボタニー湾で執り行ったというそれである。あまり深くつっこうもうとは思わないので、とりあえず、ボルヴィッツによっておこう。
クックは、新しく到着した島で「発見の儀式」なるものを執り行う。彼が一番最初に到着したタヒチはすでにフランスのブーゲンビルが到着していたが、その次に到着した島「ファヒネ」(ソサエティ諸島)では、首長に「国王陛下の船エンデバー号。司令官クック大尉。1769年7月16日」と彫り込んだ金属板を贈る(以下、『青い地図(上)』p.123-125による)。航海日誌には「我々が最初にこの島を発見したという、永続的な何よりの証拠になると考えて」と書く。
次の島のライアテアでは上陸して、クックは「イギリス国旗を掲げ、イギリス国王陛下の帆船が使用するために、その島と近隣の諸島を占有。原住民と同じ呼称を採用する」と記す。これが、ボタニー湾以降、オーストラリア各地でも上陸するたびに繰り返されたわけである。
ボルヴィッツによると英海軍省はクックに対して「原住民の同意を得た上で、その国の適切な場所を占有すべし」と指示、また、王立協会は、原住民は、「その土地の生まれついての、もっとも厳密に言えば、合法的な所有者である」とクックに説き、「自発的な同意なしに」に西洋人はその領地を占有することはできない、としている。
ボルヴィッツは言う。海軍省にしても王立協会にしてもどのような同意が必要かを明示していないし、クック自身も言語や文化を異にする初対面の人々に対して、どのように同意をとりつけたのか。クックを科学的な発見航海を装いつつ英国の先遣隊のとしての役割を演じたと同時に、海軍省や王立協会の指示に従っていないという批判も最近では多く聞かれると言われるが、何か腑に落ちない。
ボルヴィッツはクックの慎ましやかな「儀式」や発見した島々やランドマークへの「命名」にしても、多くは現地名をとっており、クックの行為に対する批判について留保している。
しかし、クックはボタニー湾でも同様の儀式を行った。ここでも、同じく「同意」を取り付けた形跡もなく、「マスカット銃と槍の応酬だけ」(ibid. p.247)であった。しかし、1970年クックは上陸、領有宣言し、それを受けて、1788年にFirst Fleetがやってきて、植民地化が始まり、アボリジニたちの苦難の歴史が始まる。この辺りの詳しいいきさつについて、実に不勉強なのだが、クック自身の行為を帝国主義的なものと見なすことについては、ボルヴィッツではないが留保したいところである。

2004-01-12 17:12:42 |
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スペースシャトルの一機の名前「エンデバー」が、キャプテン・クックの探検船「エンデバー」「レゾリューション」「ディスカバリー」(遼伴船)「アドベンチャー」(遼伴船)にちなむものであるとともに、スタートレックのエンタープライズ号の船長がジェームス・カークであるのは、キャプテン・ジェームズ・クックのもじりだそうだ。未知の世界に飛び込んでいった人物の業績とのアナロジーを呼び覚ましたいとのアイデアは良く理解できる。
著者のトニー・ホルヴィッツはクックの生まれ故郷やロンドンを訪ね、彼の地ではクックの足跡がかき消されるようになっている点(クックの生家やその他関連の建物などはほとんど現在は無関係である)について、クックが世界中に彼の命名した地名を残していることと対比させて、不思議がっている。ちなみに、現在、メルボルンのドメインにあるクックの生家は、クックの両親の住んでいた家ではあるそうだが、クックが生地を離れた後に建築されたものだそうで、クックの生家といううたい文句にだまされてオーストラリアが買い付け、移設されたのだそうだ(知らなかった)。
本書に記載された文章から、キャプテン・クックの資料を集積しているクリフォード・ソーントン(Clifford Thornton)氏の主催する「キャプテン・クック・協会」(Captain Cook Society)のURLを見つけたので、記載しておく。
http://www.captaincooksociety.com/
2004-01-12 17:11:47 |
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焼き豚どんぶり(近所のラーメン屋「かど番」で見つけたレシピ。近所の肉屋さん「杉本牛肉店」の美味しい焼き豚とのコンビネーション。もちろん、ラーメン屋さんは自前の焼き豚で、そちらも、とても美味であることは間違いない)、ヤーコンとわかめの酢の物、大根葉の柚子胡椒あえ(失敗)、ルッコラのおしたし。
ジャーナリスト、トニー・ホルヴィッツの『青い地図:キャプテン・クックを追いかけて』(バジリコ)は、キャプテン・クックの三度にわたる世界周航を追跡するルポルタージュとなっていて、秀逸であった。クック終焉の地のハワイにおける彼の突然の死、謎の多い死についてのプロローグに引き続き、エンデバー・レプリカ船の公募船員としてワシントン州からブリティッシュコロンビア州のバンクーバー(カナダ)までの一週間の「水夫修行」をしたところから、本書はスタートする。オーストラリア女性と結婚し特派員として15年間シドニーに暮らしていたホルヴィッツ(アメリカ人)は、友人のイギリス系オーストラリア人のロジャーとともに、クックの足跡をたどる。そして、彼の訪問した各地の現在の姿をルポルタージュしてゆくという趣向である。是非一読を勧めたい。
トニー・ホルヴィッツ、2003、『青い地図:キャプテン・クックを追いかけて』(上・下)(バジリコ)
2004-01-10 23:56:58 |
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からすみのスパゲティ(頂き物のからすみ)、焼き野菜とフェタチーズと生ハムのマリネ。
ジャーナリスト、トニー・ホルヴィッツの『青い地図:キャプテン・クックを追いかけて』(バジリコ)は、キャプテン・クックの三度にわたる世界周航を追跡するルポルタージュとなっていて、秀逸であった。クック終焉の地のハワイにおける彼の突然の死、謎の多い死についてのプロローグに引き続き、エンデバー・レプリカ船の公募船員としてワシントン州からブリティッシュコロンビア州のバンクーバー(カナダ)までの一週間の「水夫修行」をしたところから、本書はスタートする。オーストラリア女性と結婚し特派員として15年間シドニーに暮らしていたホルヴィッツ(アメリカ人)は、友人のイギリス系オーストラリア人のロジャーとともに、クックの足跡をたどる。そして、彼の訪問した各地の現在の姿をルポルタージュしてゆくという趣向である。是非一読を勧めたい。
トニー・ホルヴィッツ、
2003、『青い地図:キャプテン・クックを追いかけて』(バジリコ)
2004-01-09 14:35:18 |
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ハリハリ鍋(豚シャブと水菜の鍋。本当は、豆腐とか薄揚げの千切りが入るはずだったけれど、買い物を忘れた)、おじや。