先週のさくら祭りでは、満開の桜を見ることができませんでした。10日ほど遅れてようやく我家の桜も満開になりました。このところの天候不順でいつ満開になるのか気がせいていましたが、ようやく咲きました。桜は農作業の基準にもなっています。まだ種まきしていないインゲン豆などの種まきをしようと思っています。
ようやく満開になった桜、青空に映える
以前我家の玄関先でシートを広げて桜の花見をしたことがあります。今回はベランダで一人静かにコーヒーを飲んでみました。目を少し上げると満開の桜の木が並んでいます。咲き始めたばかりですので桜吹雪はまだです。明日頃から桜の花びらが舞い始めると思います。桜が咲くと、この一年の始まりをしみじみ思います。
桜の大木を見上げて 桜に囲まれた我家 桜を愛でる私
我家には今満開の桜以外に、二種類の桜を植えています。一つは陽光桜です。すでに咲き終わって葉が展開している最中です。もう一つはサクランボです。これまた咲き終わって葉が出ています。しかし、今年は実がなる気配がありません。サクランボは柿のように隔年性なのでしょうか。ざっと山を見ると、ケヤキや楢などの葉が芽生え始めています。今は太陽の光が地面に射していますが、5月初めになると葉が茂るため地面は陰ります。
裏山の尾根に沿って植えられた桜
今月4月の史跡巡りウォーキングは国木を出発して、千坊山の尾根筋を歩きます。そして、竹尾に降りてから、河原田や西迫を経由して出発地点に戻ります。下見では西迫の史跡を満足できるほど調査ができませんでした。そのため、下見後に三度ばかり西迫を中心に再下見をしました。山で道に迷ったりして、冷や汗をかきました。
西迫の阿弥陀堂跡地 阿弥陀堂の礎石
二度目の西迫再下見では、古い地図に残っていた稲荷神社を目指しました。ところが、古老に教えていただいた荒神様跡や阿弥陀堂跡も一気に探し当てようとしたのが間違いでした。山への入口を間違えて、ひたすら獣道をさまようことになりました。かつては山道だったのでしょうが、数十年も使われなかったようで行けども行けども神社や祠らしいものにたどり着けませんでした。
Tさんに案内いただいた稲荷神社 昔は魚が釣れたため池
山の中をさまよっているうちに、お餅などを作るタケシタの工場が木の陰から見えてきました。とんでもない場所をさまよったようです。タケシタを目指して山を下りていると、ひょっこりと溜池に降りました。その溜池そばにお地蔵様がありました。そのお地蔵様と溜池を越えて、イノシシ避けのバリケードを二度越えて再び西迫に戻りました。
清水が湧く古い井戸 ため池傍のお地蔵様 遠くに見えたタケシタ
次に旧八尋石八幡宮の鳥居の残骸に行きました。かつて参道であっただろう山道が、ウォーキング時に通ることができるか確認するためです。鳥居跡の山道をどんどん進むと竹藪になっていました。竹が倒れてとても歩くことができません。倒れた竹を跨ぎながら無理に進むとひょつこり舗装道路に出ました。ウォーキングすることは無理であることが分かりました。
浄泉寺跡に林立する杉林にたたずむTさん
舗装道路を歩いていると古老に出会いました。お話しをしていると、阿弥陀堂がかつてあった山を教えていただきました。その山の藪をこいで無理に登ると、阿弥陀堂があったと思われる礎石が露出していました。50年位前に阿弥陀堂は無くなったのではないかと思います。結局この日はお地蔵様と古い井戸そして阿弥陀堂跡を発見しただけでした。やれやれ!
西迫観音堂前広場に並んだお地蔵様
数日後気分を入れかえて、再び西迫にやってきました。今度は地元で自治会長をしておられるTさんに案内していただきました。ラッキーなことに、あれほど山をさまよって探した稲荷社がすんなり見つかりました。ただ、この稲荷社は屋根に大穴があいていました。この4月、ウォーキング当日に観音堂にご神体を移すことになっているとのことでした。さらに、浄泉寺跡を教えていただきました。この場所は代々言い継がれているとのことでした。Tさんと話していると、元郷土館長のNさんと同級生であることが分かりました。Tさんありがとうございました。
下見や再下見のため、三度歩き回った西迫地区
午前中、田布施川のほとりで満開の桜の花びらを収穫しました。今年は全国的に寒いようで、一週間ほど開花が遅れているとのこと。このところ天候不順でしたが、今朝は久しぶりの晴れでした。何日ぶりの青空でしょうか。
花びらが白い大島桜 みんなで手分けして花びら収穫
桜の花びらを漬物にするため花びらを集めるそうです。花びらを収穫できるのは、桜が満開の今日か明日しかありません。集まったみなさんは、桜土手に沿って咲く桜の枝から次々に花びらを手で摘むように収穫しました。満開日を過ぎると、花びらはちょっとした風や振動で瞬く間に散ってしまいます。そのため、咲き始めたばかりの今収穫するのです。
摘み取った花びら 談笑しながら収穫 丁寧に優しく収穫
最初ビニール袋に入れながら収穫しましたが、すぐに一杯になります。そのうちバスケットが配られました。そのバスケットを小脇に抱えながら収穫を続けました。なお、花びらと芽生えたばかりの葉を食べてみました。花びらはほんのりと苦みがあります。葉は少し苦みがあります。漬けるとどんな味になるのでしょうか。
バスケットいっぱいに収穫、ご苦労様!
今回は桜の花びらだけを収穫しましたが、葉がもっと出始める頃に今度は葉を収穫するそうです。桜餅にするのでしょう。1時間ばかり収穫したでしょうか、私はバスケット八分目位花びらを収穫しました。ところで、花びらの収穫に各人の癖があるようです。私の収穫方法は優しくないようです。花びらを摘まんでぐいっと引っ張るからだとか。他の方は、花びらを優しく摘んで根元を爪でちょんと切るのだとか。でも、前者は単位時間当たり収穫効率はばつぐんなのです。でも、桜から見れば後者の方が優しくていいのかも。う~ん。
花びらがボップコーンみたい のうたさんの工場へ
9日、平生武道館で第13回ひらお邦楽朋の会の発表会がありました。去年は確か仕事が重なったため見に来れませんでした。来たのは第11回ひらお邦楽朋の会の発表会以来です。その時は、たまたま帰国していた娘と見に来ました。私はジャズなどを演奏したことがありますが、邦楽には全く縁がなく今まで過ごしてきました。若い頃には気が付かなかった邦楽や日本舞踊もなかなかいいものです。
藤光会の皆さんよる舞踏「清盛残照」
ところで、開演は13:00だったのですが、郷土館に観光バスで来られた方々に、岸佐藤元宰相や幕末期の田布施などについて説明をしていました。その説明が終わってすぐ、発表会がある平生町武道館に急ぎました。しかし、数分ほど開演に遅れてしまいました。開演の挨拶中に着きました。前の方にたまたま空いている席がありました。これ幸いにと、その空いた席に座りました。
富士太鼓 縁舞台 熊野
屋島 あばれ太鼓 三井寺
今回の発表会は、日本舞踊を中心とする藤光会の方々と、謡曲や仕舞を中心とする観謡同好会の方々による合同発表会でしょうか。日本舞踊、謡曲、仕舞が交互に出てきました。私の叔父は平生町で詩吟の先生をしていましたが、詩吟でも発表会のようなものがあるのでしょうか。私は古典芸能をまったく知らないので詩吟との違いが分かりません。
百万 長良川艶歌 山姥
さて、開演の挨拶が終わると次々に演目が始まりました。ざっと順番に、鞍馬天狗,清盛残照,富士太鼓,縁舞台,熊野,屋島,あばれ太鼓,三井寺と続きました。そして、百万,長良川艶歌,山姥,高砂の舞,隅田川,車屋さんと続きました。
高砂の舞 隅田川 車屋さん
今回の発表会では特に、知り合いが出る演目をじっくりと鑑賞しました。ふだんウォーキングなどで談笑する時とは違う一面を見させていただきました。ありがとうございました。
班女 柳の舞
船弁慶 桜川 竹
不思議に思うのですが、私が子供の頃は日本的なものが苦手でした。日本舞踊や獅子舞、お寺や神社、味噌汁や干物、和服や下駄などです。逆に、ロックやジャズ、博物館やアミューズメント施設、肉やスープなどが好きでした。ところが、年を重ねるにつれて日本的なものに引かれるようになりました。海外に行って初めて、日本の良さを知るようなものでしょうか。
松風 末広がり
そのためか最近、郷土館にある古い織機を修理して子供達に簡単な織物を体験させたり、藍染めを体験させたりしています。また去年に続いて、羊の毛や綿を作って糸を紡ごうと思っています。この4月は田布施産の陶土を使って焼物をしようと思っています。何の儲けにもなりませんが、いにしえの生活や物に触れるのは心地良ものです。また、昔ながらの農作業も心身の健康に良い気がしています。
最後の演目、藤光会の方々による「津軽はないちもんめ」
桜が満開な時期、春野菜や花の種まきをどんどんしています。並行して染物に使う藍と紅花の苗作りを始めました。去年藍を育てた畑には、こぼれ種から芽生えたたくさんの藍の幼苗が育っています。その幼苗を苗箱に移す作業をしました。数週間箱で苗を育てます。そして4月末~5月初めに、これから耕す藍畑に移植します。
こぼれ種から芽生えた藍の幼苗
こぼれ種から芽生えた幼苗は数に限りがあります。そのため、去年取っていた種を別の苗箱に種まきしました。種は無数にあるので、あまりたくさん種が落ちないようにします。種を蒔き終わると、その上に薄く土を被せました。一週間ほどで芽が出ると思います。
こぼれ種から芽生えた藍の幼苗を苗箱に移す
また、藍の苗を育てる畑にも種を蒔きました。ところで、これまでは藍の生葉が使える夏秋にしか藍染めできませんでした。今年はその葉を乾かして保存するか、発酵させるかして冬場にも藍染めできるようにしてみたいと思っています。ただその方法を具体的に知らないので、成功するかしないか分かりません。
藍の種を揉み落とす 箱苗に落ちた種 薄く土を被覆
今年は染物に使うもう一種類の植物の苗を作ることにしました。紅色を発色する紅花です。東北などの寒い所で育てることが多いようです。この田布施町で育つかどうか試す意味で育ててみようと思います。花がちゃんと咲けば、染料として使えると思います。紅花の花びらを取る作業を東京町田市で体験したことがあるのですが、棘が多いのが難点です。なお、移植が難しい花かも知れないため直播もしようと思います。
紅花の種袋 小粒の紅花の種 4 x 4の苗箱に播種
藍と紅花の苗作りをするかたわら、その苗を植える畑を耕しました。去年トウモロコシを育てた畑を今年は藍か紅花の畑にします。うっすらと草が生えているその畑を耕耘機で耕しました。硬いトウモロコシの根や茎が腐らず残っていましたが、かまわずどんどん耕しました。苗を移植する直前、再度耕耘するつもりです。ところで、綿もそろそろ種まきをしようと思います。いただいた種なのですが、和綿,洋綿,緑綿の三種類です。
うっすら雑草が生えた畑を耕耘機で丁寧に耕す
先日、柳井縞会長のIさんに郷土館まで来ていただいて、明治時代制作と思われるとても古い織機を直していただきました。おかげで、縦糸200本程度幅約20cmの布を織ることができるようになりました。その後、郷土館に時々来る子供達が体験的に織っています。しかし、織ることはできるのに切り離し方が分かりません。そのため、子供達に織った布をプレゼントすることができません。今回、Iさんに来ていただいて、切り離し方を教えていただきました。
途中まで織った布を下図の切断部分で切り離す。
布を切り取る場合、切り取る場所を織らずに隙間を開けます。今回は隙間を空けましたが、厚紙二枚を挟んでもかまいません。隙間を空けてどんどんと織っていきます。2cm位織れば隙間をハサミで切ることができます。厚紙を使うと、正確に切る場所を決められます。
張った布を緩める 布をムカデから外す 新たな織り場所にムカデ
隙間を空けて2cm程度織ると、ムカデ?から布を外します。外すときは、いったん張った布を緩めて細い棒をムカデから抜きます。すると、スルリと布が外れます。次に外した布の隙間をハサミで切るのです。その厚紙二枚を挟んだ場合は、厚紙二枚の間をハサミで切ります。
織った布をムカデから外し、隙間の中間部分をハサミで切る
これで、織った布を外すことができます。末端の糸をほつれないように処置をすれば、コースターなどに使うことができます。柳井縞の工房でも、初心者はこのようなコースター作りが体験できるようです。郷土館には時々、子供達が寄って来ては布を織っていますので、これからは、織った布をプレゼントできそうです。
子供が織った布 そうこうを調整中のIさん 織機のおさを調整中
布を外した後、Iさんに織機の調整をしていただきました。なにしろ古い古い織機なので糸がもつれることがあります。縦糸を上下するそうこうが糸制のため、どうしても引っかかるようです。柳井縞の工房で使われている織機は、そうこうに細い針金が使われています。今は細い針金が主流のようです。調整していただいた後、再び布を織ることができるようになりました。Iさんありがとうございました。
そうこうの調整後、縦糸がきれいに上下に分かれる
一昨日のミニ同窓会は、昼間に平生町の水場でした。次の日、またまたミニ同窓会を夕方することになりました。場所は田布施駅近くのRailwaysです。お店の名前の通り、すぐ近くを線路が通っています。早朝と夕方は電車の走る音がうるさいほど聞こえるではないでしょうか。お酒がメインのお店ではないかと思います。
田布施駅東隣のお店Railways 出されたとても美味しそうな箱食
私は郷土館の仕事が終わってから駆け付けました。集まったのは前回と同じメンバーです。一緒に歩いたり、食べたリ、談笑したり、軽農作業する同級生仲間です。今回もまた小中高校時代の話題を中心に、現在の世相や、最近のニュースなどをネタに楽しく飲食しました。私はお酒がまったくダメですので、私以外の3人を各家近くまで送り届けました。美味しい食事に楽しい話題、いつもながらありがたいことです。
またまた集まった楽しい同級生仲間
去年の冬に四ヶ月ぶりに我家に帰ってきたリンちゃん、耳を怪我していたため動物病院に行きました。それ以来、耳の治療に専念するため、ずっとエリザベスカラーをしていました。外で過ごすには1~3月の真冬は厳しいため、またエリザベスカラーが枝に引っかかったら大変です。そのため、この4月になるまでずっと檻の中で暮らしていました。
檻中でエリザベスカラーをしたリンちゃん 三ヶ月ぶりに外に出たリンちゃん
耳の怪我もようやく治りましたので、エリザベスカラーを外しました。外したとたん、首周りの毛がふかふかと玉になりました。首だけエリザベスカラーのせいだ、毛が溜まっていたようです。檻の外に出ると、初めは玄関の周りをうろうろ歩いていましたが、しばらくして猫小屋に入って安心したように寝ていました。よかったね。
猫小屋に入って、すやすやと眠るリンちゃん
久しぶりのミニ同窓会でした。小中高校の同級生6人が集まって、昼食をしながら昔の話題に花を咲かせました。場所は平生町の水場で、田布施方面から見て南周防大橋突き当りの食事処はらだです。私は何年かぶりにここに来ました。
食事処はらだ 美味しそうな食事 茶碗蒸しとコーヒー
各人別々に料理を頼みました。私は最近コンビニ弁当など粗食が多かったため、久しぶりにやや豪華目の料理を頼みました。出された料理、とても美味しくいただました。料理を食べながら、中学や高校の頃などについて談笑しました。私が小中高校の頃、こうして40年後に集まるようになるなどとは思ってもみませんでした。年を重ねても、こうして親しく交流できることはありがたいことです。美味しい料理に楽しい話題に、ご馳走様でした。
美味しい料理と楽しい話題、ご馳走様でした
竹尾の観音堂を出ると、姥ヶ盥に行きました。道下の川にあるので、気が付かないで通り過ぎてしまいそうです。崩れそうな小道を川に降りると、千坊山に住んでいた山姥が石城山に引っ越す途中に休んだと言われる姥ヶ盥があります。巨人が座って休憩できそうな形の滝があります。そして、その傍に祠があるのです。
姥ヶ盥と傍の祠 次の目的地の西迫に向かう
姥ヶ盥の次は、1Km位先の西迫です。竹尾の田んぼをのんびり歩きながら西迫に向かいました。この場所は以前、国木・竹尾周辺ウォーキングで歩いた場所です。今回は逆向きに歩きます。3月のポカポカ陽気でのんびり歩きました。田んぼをひょいと覘くと、カエルの卵があるではありませんか。近づいて見ると、卵から孵った小さなオタマジャクシがたくさん泳いでいました。
カエルの卵とオタマジャクシ 林の道をのんびりと 圃場整備中の西迫
西迫に行く途中河原田を通りました。河原田の道を歩いていると、元郷土館長Nさん邸の庭にNさんの姿が見えるではありませんか。大声をかけて手を振ると、下見中の我々に気が付いたようでした。少しの間N邸前で談笑しました。そして、西迫の史跡について少し情報を仕入れました。その情報の一つに、西迫の山中に石柱または石段のようなものが転がっているとのことでした。
文明二年(1470年)~元禄三年(1690年)西迫にあった八尋石八幡宮の鳥居の残骸
元禄三年(1690年)に今の場所に移転
西迫に着くと、その石柱または石段に行ってみることにしました。ところで、その場所に行く時、足を滑らせて崖下1.6mに落ちてしまいました。落ちる瞬間「やばい!」と思いました。しかし、落ちた場所は田んぼで柔らかく、靴と服が汚れただけで済みました。良かったあ!
観音堂前広場 観音堂のお地蔵様 国木小学校跡に到着
石柱を調べてみると、かつての八尋石八幡宮石鳥居の残骸でした。なかなか立派な鳥居です。とても重いので、今の八尋石八幡宮まで移動することができなかったようです。鳥居の道はかつては参道だったのでしょう。鳥居残骸から戻ると、石迫の観音堂に行きました。今は集会所として使われているとのこと。中には立派なお地蔵様が安置されていました。観音堂に着いた頃、浄泉寺跡の場所を地元の方に聞きましたが、よく分かりませんでした。再度調べる必要があるようです。次に、スタートした国木小学校跡に戻りました。これで今回の下見ウォーキングは終わりです。お疲れ様でした。
下見した、国木~千坊山~竹尾ウォーキングコース
我家の庭にはジャーマンアイリスが植えてあります。しかし、色は3色程度しかありません。そこで、たまたまカタログで見つけた各色のジャーマンアイリス苗セットを購入してみました。ジャーマンアイリスについては育て方をあまりよく知りません。苗と一緒に入っていた説明書を読んでから植えてみました。
ジャーマンアイリス苗 約90cm間隔に苗を置く 移植ごてを使い移植
入っていた苗には花色の説明がありましたが、実際の花がそのとおりに咲くか分かりません。今年は茎や葉が育つだけで、花が咲くのは来年かも知れません。順調に芽が出てくれば追肥するなどして大切に育てようと思います。宿根性なので、うまく根付けば毎年綺麗な花を咲かせてくれると思います。とても楽しみです。
一列に苗を植えた、ジャーマンアイリス
やすらぎの広場で30分程度休憩すると、千防山スカイラインの道に戻りました。ところで、やすらぎの広場はツツジがたくさん植えられ綺麗だったのですが、最近草刈りをしていないのかどこにツツジがあるのか分かりません。灌木の間をよく観察するとツツジがありました。5月になればこのツツジが咲くのではないかと思います。また、もう少し灌木を伐採すれば展望が良くなるのではないかと思います。
コバルト台地に到着 コバルト台地近くの東屋
下見では昼食休憩をやすらぎの広場で取りましたが、もう二ヶ所候補があります。コバルト台地とその近くにある東屋です。展望第一とすればコバルト台地のように思います。ただ、日陰が少ないのが欠点です。本番ウォーキングではどこを昼食休憩場所にするか悩みどころです。
いこいの森道標 かおりの森道標 大城峠のお地蔵様
コバルト台地で展望を楽しんだ後、東屋に寄りました。かつては眼下に室積半島が見えたのですが、ここも灌木が茂っていて展望はありませんでした。その後、いこいの森道標を過ぎ、かおりの森道標を過ぎ、千坊山スカイラインの道をどんどん歩きました。すれ違う車はありませんでした。しばらく歩いていると、岩屋と竹尾を結ぶ大城峠に着きました。この峠にはお地蔵様が安置されています。岩屋と竹尾のどちらの方がお世話をしているのでしょうか。
山頭火の句Aと江良碧松の奥様の句B 奥竹尾のお地蔵様
大城峠を下っていると、農作業小屋とおぼしき山小屋がありました。その小屋の柱をよく見ると、山頭火の有名な句と江良碧松の奥様の句を書いた板が張り付けられていました。自由律俳句が好きな方の山小屋なのでしょう。その山小屋を過ぎてさらに下ると、竹尾奥じょうの観音堂と、その近くに安置されたお地蔵様が見えてきました。
竹尾奥じょうの観音堂
お地蔵様のうち、コンクリート製屋根に安置されたお地蔵様はもともと観音堂にあったそうです。観音堂が再建される見込みが無いとのことで、観音堂の外に出されたそうです。立派な観音堂だけに残念に思います。
下見した、国木~千坊山~竹尾ウォーキングコース
去年の第46回たぶせ桜まつりまではただ見に行くだけでしたが、この第47回たぶせ桜まつりで初めて郷土館としてブースを出してみました。郷土館PRも兼ねて、かつて田布施町の重要な産業だった織物と染物などに関する展示をしつつ、体験するコーナーを設けました。風が強く肌寒い一日でしたが、たくさんの方々に来ていただいたので展示して良かったと思いました。
織物の体験コーナー 染め紡ぎのコーナー 織機の展示コーナー
設営したブースは大きく四つです。一つは織物の体験コーナーです。段ボールを使用した超簡単な織機体験です。原理を知らなくても容易に織ることができます。子供向きのコーナーです。二つ目は染めや紡ぎなどのコーナーです。手回しミシンや糸車などを展示しました。私はもっぱら、足踏み紡ぎ器を使って糸を紡ぐデモをしました。また染物の展示もしました。
犬など小動物のブース ボーイ・ガールスカウトブース 雨避けにタープを張る
三つ目は織機のコーナーです。郷土館などに置いてある織機は、大きく重いため持ち運びできません。携帯用の小さな織機を展示しました。小さいとはいえ、縦糸600本程度は張れます。また長さ3mほどの布を織ることができます。四つ目は子供達を載せて走る車(トップカーとも呼ばれる農作業車)を置きました。子供達に人気で、何度も子供数人を載せて広場内を走りました。
段ボール製織機を使う子供達 織物を体験する家族
さて、今回のたぶせ桜まつりは、桜がほとんど咲いていませんでした。一週間後頃が満開ではないかと思います。今回は、晴れたリ雨が降ったりと、天気が目まぐるしく変わりました。念のためタープを用意していたので良かったです。段ボール製織機は雨に弱いため、雨が降り始めるとすばやくタープを張りました。
段ボール製織機を使って楽しく織物体験
お昼頃、婦人会の方々が作るうどんを食べるためブースを離れました。人がたくさん並んでいましたが、じきに席について食べることができました。薄味のとても美味しいうどんでした。ご馳走様でした。うどんを食べていると、突然電話が鳴りました。周りの喧騒で聞き取りにくく、「テントが風で倒れそうだ~とか、テントにロープを張った~とか、ペグを借りた~とか」でした。すぐにテントに戻ると、テントがローブで固定してありました。ロープを支え、ロープを張っていただいた方々、大変ありがとうございました。
色鮮やかな各種お店 うどんを食べた婦人会ブース 消防署ブース
15時半頃にステージに行きました。お目当ては、もちまきです。子供達はステージ前に、大人はその後で待機しました。もちまきが始まると、もちを目指しての喧騒で大賑わいでした。私は10ヶ程度の紅白もちとお菓子を二つゲットしました。
もちまきが終わるとブースに戻りました。そして、農作業車で会場を離れました。途中で雨が降り始め、家に着いた時はびしょ濡れでした。疲れが溜まっていたのかすぐに眠くなりました。濡れた服を脱いで寝ました。会場の準備片付け・清掃・警備された方など、関係者の方々ありがとうございました。今年も楽しいたぶせ桜まつりでした。
寒風の中で織物体験 歌が終わり閉会挨拶後、大盛況のもちまき
31日まで佐藤栄作元宰相映像展示をしましたが、1日からは山口県で発掘された遺跡を展示する「発掘された山口」展示会が始まりました。今は春休みで、どこかの高校の社会科で古墳についての宿題があるのでしょう。31日の午前中に高校生が一人、午後からは高校生を含む家族が古墳について見学に来ました。本来ならば1日からなのですが、1日スタートできるように展示済みでしたので、一日早く展示物を見学していただきました。
展示会受付コーナー 下津令遺跡の土器 下津令遺跡の説明
例年田布施の遺跡が展示されることが多いのですが、今年はありません。今回の目玉は防府市の下津令遺跡ではないかと思います。この遺跡コーナーに展示してある古代の釜の模型が目を引きます。今の時代、お米は炊飯にして食べています。しかし、古代においては蒸して食べるのが主流だったようです。
左下の土器は、お米を蒸して食べる釜(レプリカ)
その他で目を引くのは、子供を弔ったであろう堂道遺跡(山口市)の甕棺です。九州では大人が入るほど大きな壺が棺として使われているようですが、展示してある甕棺は小さいので子供用ではないかとのことです。その他、殿久遺跡(美祢市)や秋根土塁跡の遺跡も見ものです。後者は幕末の史跡で、長府藩を守るために元治元年に作られた防衛施設の遺跡とのこと。元治元年は、蛤御門の変,池田屋事件,四国艦隊事件などあり、長州藩が存亡の危機にあった年です。
子供用の甕棺土器 堂道遺跡 秋根土塁関連跡遺跡
今月の史跡巡りウォーキングは、主に田布施町と光市の境界である千坊山を歩きます。私が高校生の頃、自転車で麓まで行って自転車を置き、歩いて千坊山まで行きました。そして、頂上から周防灘を見下ろしたことがあります。その時、歴史的な事を先生から聞いたように思います。しかし、その時はそれほど歴史に興味がなかったため、景色が良かったことくらいしか覚えていません。
出発した国木小跡 散った河津桜数本 立派なお地蔵様
今回出発したのは光市に使い国木小学校跡です。そこから古道を通って大峯峠に向かうことにしました。今回歩いた古道は、江戸時代に司馬江漢が歩いた道です。司馬江漢は「西遊日記」天明8年(1788)9月28日で田布施について次のように書いています。「多武瀬村あり、染物屋多し。是より岩国領に非ず。羽野の市と云う村を過ぎ此処にて休む」。この記述から、当時すでに田布施町には多くの染物屋があったことが分かります。今の新町近くで休んだのでしょう。
石垣に囲まれたお地蔵様 移転したお地蔵様 国木の屏風岩
古道を歩いていると、いくつかお地蔵様がありました。お地蔵様の一つに、道の向かい側の竹林から移転したお地蔵様がありました。近くで農作業している方に聞きましたが、移転したこと以外あまり詳しいことは聞けませんでした。明治時代に安置された後、何年か前にここに移されたとのこと。
なかなか立派で巨大な国木の屏風岩
さらに歩いていると、田んぼの向こう側に立派な屏風岩が見えてきました。祠も何もないので、地元ではただの巨石扱いなのではないかと思います。町中にあれば必ずご神体になっていてもおかしくない巨石だと思います。その後どんどん歩いていると、大峰峠の十字路に着きました。この峠を越えると光市になります。
やっと到着した大峰峠 トイレの場所を確認 やすらぎの広場の坂道
十字路の道を右に行けば光市冠山総合公園に行きます。正面の道を行くと、光市の室積に降ります。そして、左に行くとコバルト台地に行きます。今回は左に行きました。左にしばらく進むとトイレがあり、さらに進むとやすらぎの広場への坂道が見えてきました。お昼になったため、やすらぎの広場でお昼休憩にすることにしました。
昔は眺めが良かったやすらぎの広場でお昼休憩