東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

國木田独歩に関わる講義と史跡案内(1/2)

2025年03月15日 | 子供の育成関連

 毎年の事ですが、地元の麻郷小学校で國木田独歩についてお話をしました。午前中は教室で講義をし、午後は独歩に関わる史跡を案内をしました。
 國木田独歩は、二十代前半に田布施町の麻郷の吉見家に仮寓していたことがあります。そして、高塔山を中心に野山を子供達を連れて歩き回りました。頂上や尾根で休みながら、空を流れる雲、樹々のたなびく枝葉の緑、帆船が行き交う海、当時盛んだった塩田などを見下ろしながら、感性豊かに子供達に詞を作っては聞かせました。
 午前中のお話しが終わった頃、ちょうどお昼でした。思いがけず子供達と給食を食べることになりました。60年ぶりの給食でした。ご馳走様でした。

         子供達と一緒に、60年ぶりに給食をいただく


 午前中の講義は、國木田独歩の暮らしていた田布施町麻郷や麻里府についてお話をしました。そして、独歩の家系,独歩が仮寓していた吉見家,独歩の教え子が麻郷小学校の校長先生になったこと,富永有隣にインタビューし吉田松陰について尋ねたこと,独歩が片思いをした人,独歩の書いた小説や登場人物についてなど解説をしました。

講義に用いたディスプレイ  給食の用意をする子供達  配膳される料理の数々
  

 ところで、独歩に関わる講義が終わると。給食の時間となりました。思いがけず子供達と一緒に給食を食べることになりました。約60年ぶりの給食です。配膳する子供達を見ていると60年前の自分を思い出しました。
 さすがに60年経つと食器や料理の内容が違います。脱脂粉乳から牛乳へ,パン食からご飯食に,先割れスプーンからお箸へ,アルミ食器からプラスチック食器へなどです。子供達と一緒に食べながら、給食の歴史を少しお話をしました。給食が終わると、午後は校外に出て独歩の史跡を案内しました。

   美味しそうな食材がたくさん       私がいただいた給食
 


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